東大寺二月堂のお水取り(お松明)に6日小雨が降ったりやんだりの中を行ってきた。
7時からお松明が始まると聞いていたが、行くのが早すぎるのではないかと思いながら、東大寺の境内に入ると、二月堂への人の流れが途切れることがなかった。
二月堂全体が視界に入る場所などもう立錐の余地もない。
まして背の低い私は人の頭と傘だけが目の前にある状態だったので、仕方なく傘をすぼめレインコートをすっぽり被って、ちょろちょろと人の間を抜けて、竹がこいの1番前まで行った。
そこは、石灯籠と大木のわずかな間から二月堂の欄干と明かりが見える場所だった。
ここにお松明がきたときだけでも見えると良い。
写真を撮ることはすでに諦めていた。
7時になると二月堂の明かりが消えた。
ところが、さっきこの間から見えるだろうと思っていた目当てが真っ黒なので、カメラをどこに向けるのかさえ分からなくなった。
お松明を待つ間の一瞬の静寂の中で後ろの人が、「あっ見えた。見えた。」の声で私の目にも灯りが入った。
10本のお松明が一本ずつ本堂前に上ってくる。
この場所からでははっきり分からないが、お松明を回すと火の粉が1面に降るので、あたりが神秘的な明るさになる。
綺麗・すご~い・こんな声が火の粉が散るごとに渦のように聴こえる。
お松明が見えたときにシャッターをきったのが数枚、ボケまくっているが記録としてUPした。
暗闇には炎しか写らない(カメラのせいと腕のせい)。
約20分で今夜のお松明は終わった。
世の中の真の平和と人々の幸せを御仏に祈り続けてきたお松明だと改めて思いながら、人がいっぱい居るのに、なぜか静かな東大寺の境内を、足元を見つめながら歩いた。
私が1時間早く二月堂についていたら、もう少し写真の撮れる場所に行けたのかもしれない。
その遅くなった1時間は、この志津香の釜飯の魅力に勝てなかったからだ。
いつもは表に溢れる人が待っているのだが、夕食には早過ぎる時間帯だったので、待つことなく席に通された。
釜飯はうんと美味しかった。
ここで食事をしていなかったら、我慢強く7時まで小雨の中に立って待つことができなかっただろう。
クライマックスの日のお松明は、夜テレビで見ることにしよう。
10本のお松明が順次二月堂の本堂に上がってくるのも本当に良かった。
大日寺~常楽寺
7時からお松明が始まると聞いていたが、行くのが早すぎるのではないかと思いながら、東大寺の境内に入ると、二月堂への人の流れが途切れることがなかった。
二月堂全体が視界に入る場所などもう立錐の余地もない。
まして背の低い私は人の頭と傘だけが目の前にある状態だったので、仕方なく傘をすぼめレインコートをすっぽり被って、ちょろちょろと人の間を抜けて、竹がこいの1番前まで行った。
そこは、石灯籠と大木のわずかな間から二月堂の欄干と明かりが見える場所だった。
ここにお松明がきたときだけでも見えると良い。
写真を撮ることはすでに諦めていた。
7時になると二月堂の明かりが消えた。
ところが、さっきこの間から見えるだろうと思っていた目当てが真っ黒なので、カメラをどこに向けるのかさえ分からなくなった。
お松明を待つ間の一瞬の静寂の中で後ろの人が、「あっ見えた。見えた。」の声で私の目にも灯りが入った。
10本のお松明が一本ずつ本堂前に上ってくる。
この場所からでははっきり分からないが、お松明を回すと火の粉が1面に降るので、あたりが神秘的な明るさになる。
綺麗・すご~い・こんな声が火の粉が散るごとに渦のように聴こえる。
お松明が見えたときにシャッターをきったのが数枚、ボケまくっているが記録としてUPした。
暗闇には炎しか写らない(カメラのせいと腕のせい)。
約20分で今夜のお松明は終わった。
世の中の真の平和と人々の幸せを御仏に祈り続けてきたお松明だと改めて思いながら、人がいっぱい居るのに、なぜか静かな東大寺の境内を、足元を見つめながら歩いた。
私が1時間早く二月堂についていたら、もう少し写真の撮れる場所に行けたのかもしれない。
その遅くなった1時間は、この志津香の釜飯の魅力に勝てなかったからだ。
いつもは表に溢れる人が待っているのだが、夕食には早過ぎる時間帯だったので、待つことなく席に通された。
釜飯はうんと美味しかった。
ここで食事をしていなかったら、我慢強く7時まで小雨の中に立って待つことができなかっただろう。
クライマックスの日のお松明は、夜テレビで見ることにしよう。
10本のお松明が順次二月堂の本堂に上がってくるのも本当に良かった。
大日寺~常楽寺