何度も千早赤阪村に来ているのですが、森屋地区にある墓地の中の2基の5輪塔のことは全く知りませんでした。
前日の村の地図の拡大したのを頼りに、村の普通のお墓に辿り着きました。
丁度石材屋さんが来ていて、新しいお墓を作っていました。
周りがみんな新しい石材のお墓の中に、そこだけが時代を遡ったような、五輪塔を1基見つけました。
訪ねる人が多いのでしょう。「寄手塚」と案内板がありました。五輪塔の敷地の中には「寄手墳」と石碑に彫ってありました。
教育委員会の説明文を読んでいくうちに、千早赤坂の戦いで戦死した、敵軍兵士の霊を弔うために楠木正成が建立したと言われていることが分かりました。
正成は敵という文字を使わずに「寄手」という表現を使って敵方の魂を鎮めたのだそうです。
「寄手塚」より少し離れた所に、「身方塚」という五輪塔がありました。
二つを比べて見ますと、寄手塚は身方塚よりも明らかに小さいことが分かりました。
南北朝時代政治の流れで、厳しい戦いでしたが、戦いの末戦死した人の魂には、敵も味方もなく、同じように魂を鎮めるための
五輪塔を建立した、楠木正成の人柄をうかがい知ることができた村人たちは、今もどちらの五輪塔にも花を供え、
生誕の地の楠木正成の遺構を大切にし、「楠公さん」と呼び親しんでいるのが分かるような気がしました。