紀伊半島を縦断して、五條と新宮を結ぶ鉄道が、明治時代の末に計画されたそうです。
昭和14年に起工式にまで漕ぎ着けましたが、太平洋戦争で中断されてしまいました。戦後様々な経緯を経て、昭和32年バス路線として着工したものの国の諸情勢の変化によって昭和52年にストップしてしまいました。
現在は、一部の区間だけ、別会社のバス専用路線として利用されています。
写真にありますのは、町の中央、国道24号線を横切って、吉野川の手前で、ストップされた当時の姿を残す残骸です。ここから、吉野川(紀ノ川)を渡る筈だった橋脚なのです。
すっかり町の風景に溶け込んだこの橋脚を、近くのホテルの展望レストランから見ました。
町の発展を夢見て、潰えた多くの人がいたことでしょう。
車で、一瞬にして通過してしまう橋脚の下ですが、視点を変えて全貌に目を向けた時、ことの歴史や、人の夢や 切なる願いに思いを馳せることが出来ます。
昭和14年に起工式にまで漕ぎ着けましたが、太平洋戦争で中断されてしまいました。戦後様々な経緯を経て、昭和32年バス路線として着工したものの国の諸情勢の変化によって昭和52年にストップしてしまいました。
現在は、一部の区間だけ、別会社のバス専用路線として利用されています。
写真にありますのは、町の中央、国道24号線を横切って、吉野川の手前で、ストップされた当時の姿を残す残骸です。ここから、吉野川(紀ノ川)を渡る筈だった橋脚なのです。
すっかり町の風景に溶け込んだこの橋脚を、近くのホテルの展望レストランから見ました。
町の発展を夢見て、潰えた多くの人がいたことでしょう。
車で、一瞬にして通過してしまう橋脚の下ですが、視点を変えて全貌に目を向けた時、ことの歴史や、人の夢や 切なる願いに思いを馳せることが出来ます。
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