降りはしないものの、低く垂れ込めた空と、吹き抜ける風の冷たさが頬に痛い日だった。
歩道の出店を眺めながらの参詣道はいいものだ。
薬師参りの時は、車で行ったので、この参道を歩くのは初めてだ。
大きな石の鳥居が、前方に見えた。
創建当時は木の鳥居だったのを、1294年石の鳥居に作り変えられたと説明にある。
昭和20年3月14日の、大阪大空襲でも、この鳥居は免れている。
頑張ったねと言いたい気持ちでここをくぐる。
これは、極楽門と呼ばれている。
極楽に通じる門とは、今日一日だけでなく、いつまでも極楽の日々が続きますようにと願いたい。
石舞台を隔てて、どっしりとした六時堂がある。
ここは境内のほぼ中央である。
薬師如来が本尊で、昼夜6回僧侶が諸礼讃するところなのでそのように名づけられている。
薬師参りの時には、ここで、ご朱印を頂いたことを思い出す。
この建物も、大阪大空襲の時に戦火から免れたそうである。
聖徳太子創建の四天王寺にゆっくりお参りできたことが、いい一日だった。
西の大鳥居の扁額の字ですが、読めましたか。昔は全部読めたのに、最近目が悪くなって、文字が揺れます。
鳥居と言うのは、入って行くものという認識があるのに、この扁額を読むと、ここから出て行きたくなる。
極楽の東にある門の中心と書いてあります。天王寺の西門が、即極楽の東の入口とはねえ。
これも日想観の考えが定着している。
夕陽丘のすぐ近くが海であった頃から続いている信仰、沈む夕日に極楽浄土を観た浄土信仰ですね。
浄土を見たいと願いつつ、夕陽を観ていると、やがて美しい西方浄土が見えてくる。
それはやがて、目を瞑っていても浄土が見えるようになる。そこから阿弥陀様がお迎えにやってきて、導いてくれる。ああ、幸せだなあ。
私が留守の間に書かれたブログを今一気に読み終わりました。
その中で一番印象深いのは、やはり「風と共に去りぬ」です。
高い位置の看板、映画館でもないのに・・・
でも、良くそんなに高い位置なのに見つけられましたね。
「風と共に去りぬ」のレット・バトラーとスカーレット・オハラ 何回読み何回映画館で観た事でしょう。
中学2年生でしたか、読まれたのは。早熟でしたね、というか、読解力が有ったんでしょうね。
店内も素敵ですね。紅い薔薇の花といい、ポスターといい、行ってみたい!
東京だったら、私も常連客になっていることでしょう。
{ 扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、 ここが極楽の東門の中心である』の意です。この額は箕の形をしており<チリトリ>のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しています。}
FEFEさんのコメントを拝見してから、扁額について調べて見ましたら、このような項目を見つけ、扁額に書かれている意味と、FEFEさんのコメントに納得いたしました。
「あぁ、幸せだなぁ」と思える心の中に極楽があるのでは・・・
お帰りなさい。
真蘭さんより、まだ長く生きていますけど、
同じような世代の青春を送ったことで、
「風と主に去りぬ」に対する共通の思いもおありかと思います。
振り返るより前を見るようにしようと思っても、歩んできた道のりには、たくさんのことが多くあり過ぎます。
ざるで、振るい分けして、良い思い出に、巡らす時間は大切にしたいと、今年は、思いました。
本年も宜しくお願いします。
それと鳥居の扁額はあまり他では見られない独特のものですね、
それから幾星霜の後の今、私たちの願いは平和な世の中にと・・・思わずにいられませんね。
四天王寺界隈嘗て訪れたことがあり懐かしく拝見しました、来る21、22の縁日に亦訪ねようかと思っています。
子供の頃、寒行の人が、団扇のような形の太鼓を打ちながら、家々を回って来たのを思い出しました。
21・22日が縁日なのですね。あの参道の人の行き来で賑わうのでしょうね。
明日起きて、雪景色の朝でしょうかしら。
長野、新潟石川などでは、被害が大変な様子で、ニュースを見ては、心が痛みます。
何事も程々が一番良いですね。