カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

御霊神社の太々神楽祭

2010年04月29日 | ☆ ふるさと・大和

神様からの贈り物・御供

「ごくまき」小さいころは、そんな「ごくまき」のある町や近隣のお祭りなどに近所の子供たちが誘い合って出かけたものだった。
「ごく」が「お供えのお下がりのお餅であることと「御供撒き」はそのお餅を氏子やお参りの人たちへのおすそ分けや、厄払いとして頂くものであることを知ったのは、かなり後になってからだった。
去る4月25日、「御霊神社のごく撒きの写真を撮りにいったら・・・」と友達に誘われて出かけた日のお餅がこの画像である。
大きいのは笠餅といって、手にできた人はラッキーとのことだ。
そのラッキーな笠餅二つは、見知らぬ人からのプレゼントで、紅白の御餅は、カメラを構えている私のところに飛んできた御餅だった。


御霊神社鳥居と三々五々とお参りにやってくる人たち

この日は御霊神社の隔年ごとに4月第4日曜日にとり行われる、太々神楽祭であることを神社のパンフレットで知った。



拝殿

御祭神は本殿には井上内親王(聖武天皇皇女・光仁天皇の皇后)後に流罪で五條に流罪されこの地で逝去した、
南脇社殿に他戸(おさべ)親王、北脇社殿には早良(さわら)親王、他戸親王とは異母兄弟、桓武天皇の弟が祀られている。
別宮には、火雷神(ほのいかずち)この神は、井上内親王がこの地に流罪の途中、現在の奈良カントリーのあたりで生誕。
こうして祀られている井上内親王は、一時は皇后であった身ながら、当時の皇位継承の勢力争いの渦中にあり、不遇の生涯をこの地で終えられている。
詳しいことに興味をお持ちの方は、上の「御霊神社」のリンク先をご覧いただければ。

太々神楽祭は、この井上内親王親子が、幽閉された五條の地で、暗殺され逝去されたと伝えられる日が、775年4月25日(27日の説もある)と伝えられることから、御霊神社で鎮魂のお祭りが執り行われている日に友達の「写真を撮りに・・・」によってお参りでき、有意義な日となった。

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< やすいひろこの語り芝居と、木塲孝志アコースティックグループの二胡演奏>
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午前中の神事で社殿での神前奉納を済ませた後、御供撒きの前のアトラクションとして、今度は参拝者に大和の語部・やすいひろこさんの井上内親王親王にまつわる語り芝居と、木塲孝志アコースティックグループによる、二胡演奏があり、思いがけない感動をいただくことができた。



コメント (6)
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