迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―甲州道中4の3 布田五宿(上石原•下石原)

2011-10-27 06:57:22 | 旧甲州道中
小島一里塚跡を過ぎると、町並みは普通の住宅街となり、下石原一丁目交差点を抜けると、そのまま地名に残っているかつての下石原に(上段写真)。 ここから5分ほど行った下石原1-45辺りの上石原信号で、北側を走る国道20号線の現道から分岐した道が合流。 ここから京王線「西調布駅」前の界隈、ちょうど現在の上石原一丁目が、かつての布田五ヶ宿の最後、上石原。 このエリアの、中央高速道路の高架が脇を走る . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―甲州道中4の2 布田五宿(下布田•上布田)

2011-10-27 06:56:05 | 旧甲州道中
京王線「国領駅」前で右へカーブ、次の「布田駅」前の交差点から先、現在の布田二丁目が、かつての下布田(上段写真)。 続く現在の布田一丁目、京王線「調布駅」北側界隈が上布田で、 上布田の一部とされた隣りの小島町には、六里目の「小島一里塚」(調布市小島町1-17)の北塚が昭和40年頃まで遺っていたそうですが、危険防止の理由で伐り倒され、跡地は現在、一里塚に因んで「えの木駐車場」となり、その一角 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―甲州道中4の1 高井戸宿→布田五宿(国領)

2011-10-27 06:54:56 | 旧甲州道中
上高井戸宿を抜けて約20分、世田谷区給田3-29-1の個人宅前に、古い道標が↑。 これは日本橋を起点とする従来の一里塚とは別に、明治3年(1870年)に内藤新宿を起点に設置した“新一里塚”と云われるものの生き残り。 その後撤去され、長らく他の場所に保管されていたものを、近年になってかつての場所に最も近い、現在の地点に移したものだとか。 “品川縣”とあるのは、明治3年当時の、このあたりの区域名 . . . 本文を読む
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