迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

てつみちがゆく──緑ゆたかな名車、玉電200形

2018-06-12 16:06:01 | 鐵路
そのクルマの塗装に目を惹かれ、足をとめる。

なぜ目を惹かれたか。

それは、今はまう無ゐ「玉電」の塗装に、そっくりだからだ。



昭和44年まで二子玉川園~渋谷を結んでゐた東急の“玉電”こと玉川線は、現在の田園都市線の地下区間の前身であり、それゆゑに昭和52年に開通した当時は、「新玉川線」といふ名称だった。

時代の流れで現在では田園都市線の名称で一本化されてゐるが、私のなかでは新玉川線のはうが、今もしっくりくる。

その玉電時代、当時の最先端技術を存分に導入して製造されたのが、通称“ペコちゃん”、また走るその姿から“いもむし”とも呼ばれた、200形だ。

現在も一編成が、田園都市線の宮崎台駅に隣接する「電車とバスの博物館」に、静態保存されてゐる。



ここに、上のクルマの塗装にそっくりな往年の玉電車両の実物が見られるわけだが、ライトグリーンに、ややグリーンがかったクリームの配色は、目に優しく安心感を与へることに気が付く。

現在でも斬新に映るこの配色は、自然の緑が人間に爽快感を与へることに、通じるものがある。

昭和30年に誕生したこの車両は廃止までの16年間、首都高速3号線にフタをされる以前の国道246号線を走ってゐたのである!

ちなみにこの塗装は、玉電支線からの生き残りである現在の世田谷線を走る300系の一部に、受け継がれてゐる。



導入した技術が新しいあまり、よく故障したらしいこの200形、連結部分の幌が卵形の車体とほぼ同じ寸法となってゐるのも特徴で、



東海道新幹線N700系のそれの原形と、



見てとれなくもない。

新幹線の場合、空気抵抗を減らすための工夫ださうだが、なんであれ技術といふのは、先人たちの知恵と文化の結晶であることは、間違ひない。
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