久しぶりに京王線に乗る。
昨年十月末日に京王線車内で發生した殺傷事件以来、あちこちの電車内や鐵道用地内で連鎖反應とも思える事件が多發してゐることを受けて、
「車内で迷惑行為を見た時はご自身で注意せず、乗務員または車内巡回中の警備員や警察官にお知らせください」
「車内のSOSボタンを押して、状況を係員にお傅へください」
と、車内放送がなされてゐた。
こんな呼びかけを電車内で耳にするやうになるとは、つくづく令和とは物騒な時代だと嘆息する。
しょせん、迷惑行為は迷惑行為でしかない。
“カネを拂ってゐる=お客サマ=神サマ”
さうした従来の弱腰な發想を、鐵道會社はまう捨てる時代(とき)が来たのではないか。
鐵道の安全運行を妨げる“障害物”に對しては、もっと毅然とした態度に出てよい。
オトナしく乗ってゐられないモノには、數百圓の運賃よりはるかに高い代償をきっちりお支拂ひいただくに限る。
さうした“前例(みせしめ)”は、ぜひ多く作っておくべきだ。
「特急」の車内を、パッと見は警察官のやうな制服の警備員が巡回してゐた。
つまり、あの事件によって仕事(収入)を得た人もゐるわけか……、とその豊満な後ろ姿に、浮世の皮肉な仕組みを思ふ。