“伝統芸能デザイナー”の活動として、「猩々」を五分ほどの曲にデザインし、文化ホールのステージイベントのなかで、試演する。
試演なので装束は用ひず、黒紋付に袴の、いわゆる“素”の形式を採り、扇は祖母の形見を用ひる。
私の場合、型をあれこれ考えるよりも、あるとき頭にパッと閃いたものをすぐに書き留め、後で整理することのはうが多い。
今度の「猩々」も、だいたいそんな感じで出来上がったものだ。
もっとも、出来上がったと云ってもそれは稽古段階における話し。
いざ本番の舞台にのせると、その場の急な思ひ付きで型を変へたり、結果として初めとはだいぶ違った作品になったりする。
それがすなはち、創造のたのしみ。
なぜならば、舞台は生きているからだ。
だから、あるときには怖ひ思ひもする。
その怖さがあるからこそ、また挑戦しやうといふ気になる。
さて、つぎはどんな趣向でいきますかな。
試演なので装束は用ひず、黒紋付に袴の、いわゆる“素”の形式を採り、扇は祖母の形見を用ひる。
私の場合、型をあれこれ考えるよりも、あるとき頭にパッと閃いたものをすぐに書き留め、後で整理することのはうが多い。
今度の「猩々」も、だいたいそんな感じで出来上がったものだ。
もっとも、出来上がったと云ってもそれは稽古段階における話し。
いざ本番の舞台にのせると、その場の急な思ひ付きで型を変へたり、結果として初めとはだいぶ違った作品になったりする。
それがすなはち、創造のたのしみ。
なぜならば、舞台は生きているからだ。
だから、あるときには怖ひ思ひもする。
その怖さがあるからこそ、また挑戦しやうといふ気になる。
さて、つぎはどんな趣向でいきますかな。