ラジオ放送で、觀世流の「松虫」を聴く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/58/14d51e7ab7183c4d20d00ad45b6883a0.jpg?1633174806)
今は靈となった男の慕ふ相手が同性であるところがこの曲の特徴だが、現在で云ふところの“同性愛”は室町時代にはごく普通のものであり──廢曲の「東尋坊」もさうした愛の形を扱ってゐると聞く──、主題はもちろん、廣い意味における“愛”の永續性を謳ったところにある。
この曲の「松虫」とは、現在の“鈴虫”をさすらしい。
私が子ども時代を過ごした町では、最晩夏に寝床で鈴虫の聲を聴き、それが夏の終はりと秋の始まり、一日の終りと明日の始まりの橋渡しとなったものだった。
秋は空気が澄むぶん、虫の聲も透き通って聞こえる。
もっとも、今回の放送にさうした興趣はなく、むしろただの能を鑑賞してゐるやうだったのは、シテの風邪でもひいたかのやうな聲柄のためだ。
これも趣向だとしたら、能樂はなかなか奥が深い。