石部宿を出発し、次の水口宿までの三里半(約13.7㎞)の間には、家棟川、由良谷川、大沙川と、天井川の隧道が三ヶ所ありました。
上の写真はそのうちの、由良谷川の隧道です(家棟川の隧道は、近年の河川切り下げ工事により、撤去されています)。
「家屋より高いところを流れる自然の川とは、どんなだろう……?」
と、草津宿のそれを見て以来気になっていたわたしは、傍らの土手から隧道の上へと上がってみました。
↑これは、隧道の真上にあたる部分。
河川の付け替え工事によって現在では水がありませんが、かつてはここに、自然の力を思わずにはいられない事実が存在していたのです。
流れの跡と、その眼下に続く旧東海道を見て、
世の中には、都市にのみいたのでは決してわからないことがたくさんあるのだ、とつくづく思いました。
石部宿から長閑に続く道を楽しむこと約1時間、JR草津線の踏切を渡ってしばらく行くと、「三雲駅」の前に出ます。
旧道はここを過ぎて野洲川に沿って進み、やがて「横田の渡し」へと至りますが、もちろん渡しは現在ではないため、
駅前から国道1号線の横田橋を迂回して対岸へ渡り、、かつての舟着き場跡に残る常夜灯を見て、
そこから続く旧道へと入ります。
間もなくモニュメントとして復元された「泉一里塚」を過ぎ、古い民家が残る泉地区を通ると、道は「北脇縄手」という、かつては松並木だった長い直線が、水口宿の入り口まで続いています。
ちなみに「縄手(なわて)」とは、もともとは田んぼのなかの道、「畦道(あぜみち)」のことをいいます。
この場合は、「曲がりくねっていない真っ直ぐの道」という意味だそうです。
北脇縄手を歩くこと約40分、古い酒屋の前を過ぎた先、水口町西林口の交差点が、かつての桝形跡。
ここを左、右と折れた角には、五十鈴神社境内に残る「林口一里塚」跡があり、
これより水口城の城下町、「水口(みなくち)宿」となります。
古くは“美濃部”と云ったこの宿場は、いかにも城下町らしく、住宅地にいくつも残る桝形を通るうち、次第に古い町並みへと入っていきます。
そして近江鉄道線「水口石橋駅」の踏切を渡ると、駅名にもなっている短い石橋の先で、道は三つ叉に分かれています。
旧東海道は、真ん中の道。
昔はかんぴょうが名物だったと云うこの宿場は、古い道中記によると旅籠の客引き女が旅人を有無をも言わさず力づくで引き入れるといった、かなり乱暴なことをやっていたようですが、現在ではそんな“活況”も全く無縁な、寂れた雰囲気です。
“三筋の町”と云うこの三本並行した道は1㎞ほど先、本陣と脇本陣が並ぶ水口元町で再び一本の道に合流し、二里二十五町(約10.6㎞)先の、土山宿へと続いています。
―と言うことで、これより先は、またいづれ歩いてみることにします。
上の写真はそのうちの、由良谷川の隧道です(家棟川の隧道は、近年の河川切り下げ工事により、撤去されています)。
「家屋より高いところを流れる自然の川とは、どんなだろう……?」
と、草津宿のそれを見て以来気になっていたわたしは、傍らの土手から隧道の上へと上がってみました。
↑これは、隧道の真上にあたる部分。
河川の付け替え工事によって現在では水がありませんが、かつてはここに、自然の力を思わずにはいられない事実が存在していたのです。
流れの跡と、その眼下に続く旧東海道を見て、
世の中には、都市にのみいたのでは決してわからないことがたくさんあるのだ、とつくづく思いました。
石部宿から長閑に続く道を楽しむこと約1時間、JR草津線の踏切を渡ってしばらく行くと、「三雲駅」の前に出ます。
旧道はここを過ぎて野洲川に沿って進み、やがて「横田の渡し」へと至りますが、もちろん渡しは現在ではないため、
駅前から国道1号線の横田橋を迂回して対岸へ渡り、、かつての舟着き場跡に残る常夜灯を見て、
そこから続く旧道へと入ります。
間もなくモニュメントとして復元された「泉一里塚」を過ぎ、古い民家が残る泉地区を通ると、道は「北脇縄手」という、かつては松並木だった長い直線が、水口宿の入り口まで続いています。
ちなみに「縄手(なわて)」とは、もともとは田んぼのなかの道、「畦道(あぜみち)」のことをいいます。
この場合は、「曲がりくねっていない真っ直ぐの道」という意味だそうです。
北脇縄手を歩くこと約40分、古い酒屋の前を過ぎた先、水口町西林口の交差点が、かつての桝形跡。
ここを左、右と折れた角には、五十鈴神社境内に残る「林口一里塚」跡があり、
これより水口城の城下町、「水口(みなくち)宿」となります。
古くは“美濃部”と云ったこの宿場は、いかにも城下町らしく、住宅地にいくつも残る桝形を通るうち、次第に古い町並みへと入っていきます。
そして近江鉄道線「水口石橋駅」の踏切を渡ると、駅名にもなっている短い石橋の先で、道は三つ叉に分かれています。
旧東海道は、真ん中の道。
昔はかんぴょうが名物だったと云うこの宿場は、古い道中記によると旅籠の客引き女が旅人を有無をも言わさず力づくで引き入れるといった、かなり乱暴なことをやっていたようですが、現在ではそんな“活況”も全く無縁な、寂れた雰囲気です。
“三筋の町”と云うこの三本並行した道は1㎞ほど先、本陣と脇本陣が並ぶ水口元町で再び一本の道に合流し、二里二十五町(約10.6㎞)先の、土山宿へと続いています。
―と言うことで、これより先は、またいづれ歩いてみることにします。