志村けんさんの急逝による衝撃からやうやく気持ちが落ち着いたところで、東村山驛前の「志村けんの木」へ、献花をさせていただく──當今流行りの“○○させていただく”といふ用法は、このやうに用ゐるものだ──。
私が初めて「志村けんの木」を訪ねたのは、奇しくもちゃうど昨年の今頃。
TVが本當の意味で夢のある樂しいものだった私の子ども時代、その象徴たる最高のコメディアンに、弔意よりも敬意を捧げる。
そして、師匠がやはり急逝した時と同じく、「生きやう……!」と固く誓ふ。
私が初めて「志村けんの木」を訪ねたのは、奇しくもちゃうど昨年の今頃。
それから早くも一年が経ち、このやうな形で再び訪れる事になるとは……。
滞留しないで下さい、と言ふ警備員の聲掛けに従ひ、献花を済ませるとすぐに離れる。
忌々しいことばかりの令和二年弥生、
志村けんさんへの献花のおかげで、
末日に至りやうやく心に薄日が差す。