迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

新たなる春に偲ぶや初芝居。

2025-01-14 18:55:00 | 浮世見聞記

二年ぶりに淺草公會堂の初春芝居へ出かけ、昼の部を觀る。


歌舞伎の次世代を担ふ、かもしれない若手役者たちの修業の場であるこの興行も、今年から世代交替が行なはれ、その序幕が「繪本太功記 尼ヶ崎閑居」で開く。

若手ならば一度は必ずどれかの役を經験しておくべき教科書的狂言なれど、近頃は珍妙な新作モノを先に經験するのが當世流らしい。

(※八代目市川中車の武智光秀)

それはさておき、出演者それぞれがいま持てる力を精一杯出し切って大役にぶつかっていく姿は眺めてゐても晴々しいが、同時にそれぞれの日頃の心掛けの差なども表れるところが、觀客側(わたし)としては最も興味をひく。

今日に觀た一例としては、初菊が地絣(舞薹に敷かれたネズミ色の布)に座ってゐる時、衣裳の裾が膝の下に巻き込まれてゐて、なんとも見た目が惡い。

よく通る美聲を引き立てる赤い華やかな振袖姿もあれでは臺無しになりかねず、やはり裾引き衣裳らしく扇形に開くやう直すべきだ。

そもそも、さういふことを氣が付ける人が、周りにゐないのだらうか。

(※七代目澤村宗十郎の武智十次郎、七代目尾上榮三郎の初菊)

この一幕の大功勞者は後場をつとめた竹本の太夫三味線の両名、近頃の文樂でもお目に掛かれないやうな、義太夫芝居のお手本を聴かせてくれた。




景事は「道行旅路の花聟 落人」、かつて山口廣一氏が「江戸末期における戯作者なみの低劣な美意識」と痛烈に評した假名手本忠臣藏のパロディだが、間違ひなく伴奏の清元は名曲であり、今回は家元の清元延壽太夫みずからが出演してお客を驚かせたものの、正月の“お年玉”と云へるほどにはあらず。 

(※三代目中村梅玉の早野勘平、五代目中村福助の腰元おかる)

櫻と菜の花と、とりあへず白粉を塗ればキレイに見える花形役者に春の薫りを聞ければ充分であり、さうした狙ひにおいてはなかなか成功してゐた。

(※四代目坂東八十助=九代目坂東三津五郎の鷺坂伴内)

前幕では赤い振袖姿の若女形が、ここでは間抜けな襦袢姿の道化方で登場し、かうした三枚目がいかに難しいか身を以って示してゐたことが、今日の初芝居見物における私にとっての、“お年玉”。










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