このなかなかショッキングな光景は、静岡県の大崩(おおくずれ)海岸に遺る、旧東海道本線の「石部(せきべ)隧道」の跡です。
死者を出すほどの難工事の末、このトンネルが開通したのは、大日本帝国憲法発布と同じ、明治22年(1889年)。
昭和19年(1944年)に内陸側を行く現在のトンネルが完成するまで使用され、その後は線路を撤去して車道に転用されました。
しかし同23年(1947年)の台風によって入口付近が著しく損壊、
同37年(1962年)、ついに完全廃止となりました。
かつて東京方面からやって来た列車は、トンネルを抜けると海を横に眺めながら護岸の上を行き、現在は埋め立てられたその先のトンネルへと再び入っていたそうです。
しかし現在、その護岸は海波の侵食をうけてトンネルの入口もろとも完全に崩落、波打際にその残骸を散らすのみとなっています。
↓はトンネルの入口跡を背に、かつて護岸壁が通っていた位置から神戸方面を撮影したものですが、
ここがかつて日本の主要交通路の一部であったとは、想像も出来ない光景となっています。
死者を出すほどの難工事の末、このトンネルが開通したのは、大日本帝国憲法発布と同じ、明治22年(1889年)。
昭和19年(1944年)に内陸側を行く現在のトンネルが完成するまで使用され、その後は線路を撤去して車道に転用されました。
しかし同23年(1947年)の台風によって入口付近が著しく損壊、
同37年(1962年)、ついに完全廃止となりました。
かつて東京方面からやって来た列車は、トンネルを抜けると海を横に眺めながら護岸の上を行き、現在は埋め立てられたその先のトンネルへと再び入っていたそうです。
しかし現在、その護岸は海波の侵食をうけてトンネルの入口もろとも完全に崩落、波打際にその残骸を散らすのみとなっています。
↓はトンネルの入口跡を背に、かつて護岸壁が通っていた位置から神戸方面を撮影したものですが、
ここがかつて日本の主要交通路の一部であったとは、想像も出来ない光景となっています。