迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

きょりにためされてふたりはつよくなる。

2016-10-08 10:51:12 | 浮世見聞記
川崎市岡本太郎美術館にて、「鉄道美術館」展を見る。


アーティストたちが、それぞれに鉄道への想ひを、作品といふ形で表現する。


現代アートのイデオロギー臭の強さにはアレルギーを持つわたしだが、鉄道といふはっきりしたテーマを以て観れば、それぞれの“才能”の奥深さが素直に楽しめる。


数色のチューブを一見ごちゃごちゃに張り巡らした栗山貴嗣氏の「東京動脈」といふ作品は、東京の“網の目のやうな”地下鉄網の実際を端的に表現した秀逸な作品だ。


(リーフレットより)

人は血管が詰まれば体調不良を起こすやうに、「東京動脈」もどこか一点が詰まれば―たとへば全面的に人が悪い“人身事故”など―、たちまちに“運転見合せ”といふ体調不良をおこす。

明治に鉄道が発祥して以来、人は鉄道とは密接な関係で生きていることに、ふと気付かされる。


そして昭和30年代以降の旧国鉄のポスターは、国がいかに高度経済成長の名のもとに国民を煽ってゐたか、そんな当時の鼻息も荒い高揚感が現在もリアルに伝わってくる。

あと数十年たったら、これらのポスターも“記憶遺産”に殿堂入りするのではないだらうか。


今回は私の好きな山口晃の作品を見ることが目的だったが、意外なヒットは、福島尚による絵画「一番列車」だ。

福島氏の鉄道絵画はいづれも見たまま、記憶したままをストレートに表現しており、余計な装飾が一切ない。


(リーフレットより)

その分、見る側には氏の心がまっすぐに伝わってくる。

「一番列車」は早朝の駅の景色をシルエットの手法で描いた作品で、朝早い時間ならではの、あの冷たくピンと張り詰めた空気を白と黒の二色だけで、見事に表現してゐる。

見てゐると、そのときの“気温”までもが伝わってくるやうで、わたしはキャンバスの前からしばらく動くことができなかった。



美術館をあとにし、生田緑地の公園を駅に向かって歩くと、途中に戦後まもない昭和23年に製造された旧国鉄の客車が静態保存されてゐる。



戦後ニッポンの常磐線を走り抜けた車両で、実体があるやうでないやうな曖昧模糊とした東京に、それでも夢と憧れを抱いた地方人を、多く乗せて走ったことだらう。



わたしは座席に腰をかけ、近くの芝生広場で遊ぶ子どもたちの嬌声を遠くに聞きながら、


もしこのまま遠くへ連れて行ってくれるならば、

帰る心配のないところに連れて行ってほしい、

あるいは降りる気遣いのない旅に連れて行ってほしい―


そんなことを思った。




人はなにゆゑ鉄道に惹かれるのか―?


『それは、人類の偉大な発明のひとつのだからだ』
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