迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

名代の川じゃ。

2019-01-23 17:57:59 | 浮世見聞記
私は決して、好き好んでその町へ出かけたわけではなかった。

そこはすでに、

川の向かふの、

よその「國」だったからだ。


しかし私は、その人に会ふことだけを今日の利点と考へ、

オトナと云ふお面をつけて、

川を越へた。



猿楽師はかつて、

旅藝人であった。


彼らは、

あらゆる國の堺を越へて、

猿楽を演じつづけた。


無駄なものはすべて削ぎ落とす知恵は、

その日々から生み出されたものであらう。


そして彼らは、

行く先々で見聞したことを、

おのれの藝に昇華させたことだらう。



川を越へる。


ときには、

河を越へる。


この先には、何を見るだらう。


思ひもしなかった出逢ひもあったはずだ。


ちゃうど、

今日の私のそれのやうに。




川は、

河は、

世界を見渡しながら、

越へるべし。
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