町田市立国際版画美術館の「西洋の木版画 500年の物語」展を観る。
木版画にせよ、銅版画にせよ、書物の挿繪と云ふ、必要性と實用性を使命としてゐた十九世紀初頭までの作品のはうが、私の心にはスッと入ってくる。
(※リーフレットより)
さうして私は、精密に刻み込まれたその世界を通して、遠い國の遠い歴史に、ゐながらにしてしばしの旅を樂しむ。
しかし十九世紀後半から冩真技術を導入した印刷技術が発達し、版画が實用品としての使命を終へて“美術品”へと性格が変化すると、作家の感性がそのまま抽象化された曖昧模糊なしろものが現れはじめる。
ポール・ゴーギャンの作品など、完全に私の理解の外である。
いはんや現代版画をや。
しかし、フェリックス・ヴァロットンの木版画だけは私の心を惹ひたのは、
(※リーフレットより)
そもそも日本國の浮世繪との出逢ひがきっかけで、自身も木版画を始めた藝術家だからかもしれない。
先日に川崎市で逢った月岡芳年の「月百姿」と云ひ、今日のヴァロットンと云ひ、その時代のその瞬間に遭遇し、格闘し、そして模索することが、本當の藝術家の在り方と識る。