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カレンダーでは今日は祝日となってゐるが、茶番大運動會云々のため、實は平日に変更されてゐる。
このやうな印刷の混乱ぶりを見てさへも、いかに無能無計画な愚劇であったかが解らうと云ふものだ。
時世とは全く無関係な、運動競技屋のごく個人的な名誉のため──實際、なにやら欣喜雀躍する彼らの姿に、國難下における強行と云ふ異常事態についての責任感や使命感と云ったものはまるで感じられない──、あらゆる事柄が振り回された“後遺症”のやうなものと云ってよい。
……などと、いまなお文句を垂れる私のもとに、十代目柳家小三治が今月七日に自宅で急逝してゐたと訃報が入る。
病氣と闘ひながらの享年八十一ならば、大往生と云ふべきか。
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小三治は落語を聴きはじめた學生時代に、図書館でカセットテープを借りていくつか聴いたことがあるきりだが、若い頃の音源ながら、活きの良い噺っぷりとの印象がある。
それだけに、どうしてこの人が師匠のあとを襲(つ)ひで六代目小さんにならなかったのかと、いまや見る影もない「柳家小さん」の大看板を思ふにつけ、いまだ殘念でならない。
小三治行きつけの床屋の主人いはく、
「細かい注文が多過ぎてうるさいので、あの人には本當に来てほしくない」──
床屋の主人と知り合ひと云ふ日舞師匠から十年ほど前に聞ひた、藝人の實際をよく表した噺。
それを踏まへて十八番だったと云ふ「小言念佛」を聴くと、なるほどあれは“素”か、と納得がいく。
もっとも私は、かつて弟子だった故・四代目三遊亭小圓朝師の「小言念佛」のはうが、可笑し味があって好きだ。