小金井宿から国道4号線を1.2㎞ほど歩いたところで、東側の畑の中を真っ直ぐに行く旧道が2㎞近くにわたって遺っており(上段写真)、その長閑な景色は歌のひとつでも歌いたくなるほど。
40分ほど行ったところで雑木林に突き当たって旧道は途切れますが、かつてはこの先も道は続いており、一里塚もあったとか。
一里塚は近年になって西側だけが雑木林の中で発見されたとあって、私も試しにちょっと分け入ってみましたが、
↑こんなに荒れているのではとても見付けようがなく、泣く泣く断念して先を急ぐことに。
この先の石橋宿の地名の興りは、かつてこの地の南方に池上明神があり、その前に石の橋が架かっていたからだそうですが、その場所は現在では工場団地となっており、残っているのは今や地名だけ。
その石橋宿には約30分後に到着。
三遊亭圓朝も泊まったと云う旧本陣はどのあたりだったのか今では見当もつかず、下段写真左手に見える赤レンガ塀の古いお宅を珍しく思いながら、面白味のない国道4号線の歩道を再び歩いて、約6㎞先の雀宮宿へ。
40分ほど行ったところで雑木林に突き当たって旧道は途切れますが、かつてはこの先も道は続いており、一里塚もあったとか。
一里塚は近年になって西側だけが雑木林の中で発見されたとあって、私も試しにちょっと分け入ってみましたが、
↑こんなに荒れているのではとても見付けようがなく、泣く泣く断念して先を急ぐことに。
この先の石橋宿の地名の興りは、かつてこの地の南方に池上明神があり、その前に石の橋が架かっていたからだそうですが、その場所は現在では工場団地となっており、残っているのは今や地名だけ。
その石橋宿には約30分後に到着。
三遊亭圓朝も泊まったと云う旧本陣はどのあたりだったのか今では見当もつかず、下段写真左手に見える赤レンガ塀の古いお宅を珍しく思いながら、面白味のない国道4号線の歩道を再び歩いて、約6㎞先の雀宮宿へ。