“稽古見学”のあと、僕は下鶴昌之の運転する車で、葛原駅前のホテルまで送ってもらった。
熊橋老人には夕食も誘われたが、丁重に辞退したのだった。
実際はそれよりも、溝渕静男に、面倒くさそうなものを感じていたからだ。
あの男の雰囲気では、じつは松羽目も、自分で手掛けるつもりだっただろう……。
車は姫哭山の裾を迂回する国道を通って、葛原駅を目指す。
窓から見る姫哭山は、すでに夜闇に溶け込もうとしていた。
あの山で熊橋老人に会ってからが、今日は長かったな……。
そんなことをぼんやり考えていると、
「近江さん、今日の熊橋さんの話し、あれは聞き流して下さい」
下鶴昌之は前を見ながら、ポツリとそう言った。
「ああ……」
僕は苦笑した。
「熊橋さんと溝渕さんは、先祖代々、ずっと仲がわるいんですわ……」
「そんな古くから……」
いわゆる“旧敵”、か。
「熊橋さんは宿場本陣の末裔で、ガチガチの保守派、いっぽう溝渕さんの先祖は、江戸時代に朝妻へ流れ着いて定住した、旅商人やったんです。日本各地を股にかけていただけに、見聞の広い開明派やったんですな」
「ああ……」
それでは、反りなど合うわけがない。
「近江さんが乗って来られたJR線も、明治時代に敷設する際、ほんとうはうちの宿場の脇を通って、今の集会所のあたりに、駅を作る計画やったそうです」
「ほう」
「溝渕さんの先祖は、地域の発展につながると賛成やったそうですが、本陣の主だった熊橋さんの先祖は、旅人がみんな素通りしてしまう、と猛反対して、けっきょく鉄道は町から大きく外れて、当時は小さな集落だった山隣りの葛原を通ることになり、駅もそこに作ったんです。そうしたら今や……」
下鶴昌之は笑って、僕を見た。
よく地方の古い城下町などへ行くと、駅がとんでもない町外れにあったりする。
それは、当時の住民が鉄道敷設に猛反対したためだ。
現在、地方の町から活気が失われた原因の一つが、この頃すでに、芽生えていたような気がする。
「いま走っているこの国道は、かつての旧街道をそのまま隔幅したものなんです。せやから姫哭山を、こないに迂回してまっしゃろ。かつては、姫哭山にトンネルを掘って、葛原と直線で繋ぐ計画があったんです。が……」
あとはお分かりになりますやろ、と言わんばかりに、下鶴昌之は目でニヤリとして見せた。
これはもはや、“確執”と言ったほうが当たっている。
僕は内心で、ため息をついた。
そんな旧々時代な話しが、この田舎ではまだまだ、現在進行形で生きている。
今日、保守派の熊橋老人が部外者(よそもの)である僕に奉納歌舞伎の稽古を見せたのは、おそらく溝渕氏への当て付けだったのだろう―
「下鶴さんは、町の歴史にお詳しいんですね」
僕はそう言ってから、いまの確執話に対する皮肉に聞こえたかな、と気になったが、下鶴昌之は言葉通りに受け止めてくれたらしく、ははは、と笑って、
「趣味が、郷土史なんですわ……」
やはり、あのホームページの―
しかし僕は、それは口にしなかった。
あくまでも、何も知らず写生に訪れた旅行者に徹したほうが、良いように思えたからだ。
僕は東京からやって来た“よそ者”、田舎の確執に巻き込まれないよう、適当な距離を保っていたほうが、安全だ。
僕は、金澤あかりの話しを辿ってここまで来たものの、どうやら知らなくてもいいことにまで首を突っ込もうとしている危険を、薄々感じていた。
しかしその一方で、奉納歌舞伎の師匠だった嵐昇菊と、女人禁制のそれに金澤あかりが出たこと、そして八幡宮の火事のことなど、それとなくこの人から聞き出したい、という欲求にも駆られていた。
だが、危険を感じていながらそんなことを知って、どうなる―?
調査を依頼された探偵でもないのに……。
朝妻八幡宮のプレハブ社殿を見て以来、絶えず僕の脳裏にあるのは、右目の泣き黒子にインパクトがある金澤あかりの姿だった。
僕は葛原駅前で車を降りて下鶴昌之と別れると、ホテルの部屋へと帰った。
ちょっと休憩してから、食事に出るつもりだった。
しかし、ベッドに仰向けになった途端、僕は意識が遠退いてしまった……。
続
熊橋老人には夕食も誘われたが、丁重に辞退したのだった。
実際はそれよりも、溝渕静男に、面倒くさそうなものを感じていたからだ。
あの男の雰囲気では、じつは松羽目も、自分で手掛けるつもりだっただろう……。
車は姫哭山の裾を迂回する国道を通って、葛原駅を目指す。
窓から見る姫哭山は、すでに夜闇に溶け込もうとしていた。
あの山で熊橋老人に会ってからが、今日は長かったな……。
そんなことをぼんやり考えていると、
「近江さん、今日の熊橋さんの話し、あれは聞き流して下さい」
下鶴昌之は前を見ながら、ポツリとそう言った。
「ああ……」
僕は苦笑した。
「熊橋さんと溝渕さんは、先祖代々、ずっと仲がわるいんですわ……」
「そんな古くから……」
いわゆる“旧敵”、か。
「熊橋さんは宿場本陣の末裔で、ガチガチの保守派、いっぽう溝渕さんの先祖は、江戸時代に朝妻へ流れ着いて定住した、旅商人やったんです。日本各地を股にかけていただけに、見聞の広い開明派やったんですな」
「ああ……」
それでは、反りなど合うわけがない。
「近江さんが乗って来られたJR線も、明治時代に敷設する際、ほんとうはうちの宿場の脇を通って、今の集会所のあたりに、駅を作る計画やったそうです」
「ほう」
「溝渕さんの先祖は、地域の発展につながると賛成やったそうですが、本陣の主だった熊橋さんの先祖は、旅人がみんな素通りしてしまう、と猛反対して、けっきょく鉄道は町から大きく外れて、当時は小さな集落だった山隣りの葛原を通ることになり、駅もそこに作ったんです。そうしたら今や……」
下鶴昌之は笑って、僕を見た。
よく地方の古い城下町などへ行くと、駅がとんでもない町外れにあったりする。
それは、当時の住民が鉄道敷設に猛反対したためだ。
現在、地方の町から活気が失われた原因の一つが、この頃すでに、芽生えていたような気がする。
「いま走っているこの国道は、かつての旧街道をそのまま隔幅したものなんです。せやから姫哭山を、こないに迂回してまっしゃろ。かつては、姫哭山にトンネルを掘って、葛原と直線で繋ぐ計画があったんです。が……」
あとはお分かりになりますやろ、と言わんばかりに、下鶴昌之は目でニヤリとして見せた。
これはもはや、“確執”と言ったほうが当たっている。
僕は内心で、ため息をついた。
そんな旧々時代な話しが、この田舎ではまだまだ、現在進行形で生きている。
今日、保守派の熊橋老人が部外者(よそもの)である僕に奉納歌舞伎の稽古を見せたのは、おそらく溝渕氏への当て付けだったのだろう―
「下鶴さんは、町の歴史にお詳しいんですね」
僕はそう言ってから、いまの確執話に対する皮肉に聞こえたかな、と気になったが、下鶴昌之は言葉通りに受け止めてくれたらしく、ははは、と笑って、
「趣味が、郷土史なんですわ……」
やはり、あのホームページの―
しかし僕は、それは口にしなかった。
あくまでも、何も知らず写生に訪れた旅行者に徹したほうが、良いように思えたからだ。
僕は東京からやって来た“よそ者”、田舎の確執に巻き込まれないよう、適当な距離を保っていたほうが、安全だ。
僕は、金澤あかりの話しを辿ってここまで来たものの、どうやら知らなくてもいいことにまで首を突っ込もうとしている危険を、薄々感じていた。
しかしその一方で、奉納歌舞伎の師匠だった嵐昇菊と、女人禁制のそれに金澤あかりが出たこと、そして八幡宮の火事のことなど、それとなくこの人から聞き出したい、という欲求にも駆られていた。
だが、危険を感じていながらそんなことを知って、どうなる―?
調査を依頼された探偵でもないのに……。
朝妻八幡宮のプレハブ社殿を見て以来、絶えず僕の脳裏にあるのは、右目の泣き黒子にインパクトがある金澤あかりの姿だった。
僕は葛原駅前で車を降りて下鶴昌之と別れると、ホテルの部屋へと帰った。
ちょっと休憩してから、食事に出るつもりだった。
しかし、ベッドに仰向けになった途端、僕は意識が遠退いてしまった……。
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