迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ぼくらはみんななかまだよね。

2014-03-11 14:50:29 | 浮世見聞記
建物から出た途端、そばに立っていた男性が、

「地震だっ!」

と叫んだ。

その声によって、わたしはいま、地面が大きく揺れていることを、自覚した。


見れば、路肩に停車している路線バスが、どれも激しく横揺れしている。

交差点の角に建つビルなどは、いまにも横倒しになりそうだ。


揺れがおさまってから、わたしは自宅へと急いだ。

部屋のなかは、物が散乱していた。


それは同時に、わたしのこれまでの生活、そして価値観が、崩壊した瞬間でもあった-




それからわずか十日ばかりのち、わたしは地震の被害には遭わなかったある地方の町に、しばらく滞在することになった。

駅で出迎えたその人は、

「こちらはノープロブレムですわ」

と笑ったことに、わたしは内心で、微かな反感をおぼえた。


旅館のテレビを通して被災地の現状を見つめながら、生き延びたわたしは何をするべきなのか、本気で考える日が続いた。


持てる技術を生かして、慰問することも考えた。

そのためのチームを組もうと、わたしは滞在先の人々に、提案をしてみた。


しかし、スケジュール云々を言い訳に、誰もが無関心だった。


同じ天が下に住んでいても、自分たちが被害に遭わなければ、しょせん“対岸の火事”なのか-


わたしは暗然たる気持ちになった。



また、或る場所では、

「そういうのは、“売名行為”だよ!」

と決め付ける人もいた。

「本当に被災者をおもうのなら、“祈って”いるものだ」

、と。

しかしわたしは、その人がそういう素振りしている様子を、一度も見たことがない。


『“がんばれ”などと口で言われても、わたしたちにはなんの励ましにもならない』-

被災者の方々の声が、胸に重く響く。



折しも、誰がけしかけたのか、


『絆』


などという文字が、大流行した。

“人と人との結び付きの大切さを、教えられました”-


しかし現実には、誰もが自分(おのれ)だけは生き残るべく、スーパーマーケットへ食糧品の買い占めに、奔走した。


『絆』


人はただ、その字面の響きに、酔っ払っていただけにすぎない。





あの日から、今日で三年。


いま、日本国がやろうしているのは、

増税と、

物価の便乗値上げ。


国民から金を捲き上げることだけは、いつもながらどなたも、たいへんに手際がよろしい。



“明日のために、今日を生きない”


ある時代小説の主人公の生き様が、いまのわたしの気持ちに、近い。







合掌。
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