迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

八月十五夜な距離。 

2021-10-17 11:10:00 | 浮世見聞記
ラジオ放送で、喜多流の「小督」を聴く。


平清盛を恐れて嵯峨野の賤屋に逃避した高倉天皇寵愛の小督の局のもとへ、天皇の御書を携へた源仲國が八月十五夜に琴の音を頼りに訪ねて来る──



「小督」は忘流で二度観ており、一度目はシテの仲國が若い二枚目だったため、むしろ仲國と小督とが戀仲と錯覺しさうになり、それはそれで面白かった。

一年ほど経た二度目の時は、シテは仲國の實年齢に近い年配の演者であったが、勅使からの宣旨を受けて一度橋掛りから揚幕へ入る時、揚幕係が忘れてゐたのか何なのか幕が上がらず、シテが自ら中啓で幕を退けて中に入り、ほどなく奥から怒聲が響くと云ふ、おそらく他流ではお目に掛かれない珍しい小書(こがき)──特殊演出──を拝見した。


さて、源仲國が小督の居所を探し當てるよすがとしたのが、彼女の彈く「想夫戀」の琴音。


雅樂のそれを手猿樂の「河原左大臣」に一部取り入れことで、私にも馴染みある曲だ。

また「小督」の仕舞にある型を、やはり手猿樂の「落官女」にひとつ取り入れことで、私にも理解できる曲となった「小督」。


ちなみに「平家物語 巻六」によると、このあと小督の局は高倉天皇の意を受けて再来訪した仲國によって無理に御所へ連れ戻され、天皇との間に内親王を儲けるが、案の定清盛の怒りに触れて尼にさせられ、再び嵯峨野に隠棲して寂しく世を去った云々。


他人(ひと)の榮耀榮華な噺など全く興味ないが、かと云って悲哀に過ぎた噺も、私には却って興味をそそられない。


故郷と同じく、想ひ人は遠くに在るからこそ、辛くとも美しいものであり續けるのだから。








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