笛吹橋を渡るとすぐに右折、道に沿って数百メート続く松並木↑は当時の名残りなのかな、と思いながら20分程歩くと、左手に「笛吹権三郎之像」が↓。
この少年は、
『鎌倉末期、日野資朝らと鎌倉幕府へ反旗を翻した藤原道義の嫡男で、笛の名手でもありました。
計画が失敗して甲斐へ逃れた父を慕い、母とこの辺りまで訪ねて来たところ、川の洪水によって母を見失ってしまいました。
その後何日も母を捜し続けましたがついに見つからず、落胆した権三郎少年は川に身を投げてしまいました。
下流で発見された遺体の手には、しっかりと愛笛が握られていました。
事情を知っている地元の人々は深く同情し、少年を手厚く葬りました。
しかし、それ以来夜になると、川から悲しげな笛の音が聞こえてくるようになり、地元の人々はさらに少年に同情するのでした。
それからというもの、この川は「笛吹川」と呼ばれるようになりました。』
石像から先の旧道筋は、一部が民家と畑で消滅。
途中から残る、とてもかつての街道だった思えないような細道を、
次の石和宿へと向かいます。
この少年は、
『鎌倉末期、日野資朝らと鎌倉幕府へ反旗を翻した藤原道義の嫡男で、笛の名手でもありました。
計画が失敗して甲斐へ逃れた父を慕い、母とこの辺りまで訪ねて来たところ、川の洪水によって母を見失ってしまいました。
その後何日も母を捜し続けましたがついに見つからず、落胆した権三郎少年は川に身を投げてしまいました。
下流で発見された遺体の手には、しっかりと愛笛が握られていました。
事情を知っている地元の人々は深く同情し、少年を手厚く葬りました。
しかし、それ以来夜になると、川から悲しげな笛の音が聞こえてくるようになり、地元の人々はさらに少年に同情するのでした。
それからというもの、この川は「笛吹川」と呼ばれるようになりました。』
石像から先の旧道筋は、一部が民家と畑で消滅。
途中から残る、とてもかつての街道だった思えないような細道を、
次の石和宿へと向かいます。