孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ラオス難民のモン族  今なお続くベトナム戦争、更にイラクへ

2008-07-31 18:38:09 | 国際情勢

(アメリカ・ミネソタ州 セントポールの市場で モン族難民の子供 “flickr”より By kdurril
http://www.flickr.com/photos/kdurril/5085747/)

****モン族難民、タイで苦境に=国境なき医師団の島川医師語る****
「故郷には病院もないし、今後も薬なんて手に入らない」-。ラオスのジャングルから命からがらタイの難民キャンプへ逃れた少数民族モン族の男性はがんを患う妻の身を案じてこう話した。最適の治療を受けさせたくても、難民を取り巻く厳しい事情がそれを許さない。国際医療援助団体、国境なき医師団(MSF)の日本人医師、島川祐輔さん(30)がこのほど一時帰国し、モン族難民が直面している窮状を訴えた。
 MSFは、ラオスを脱出したモン族約6000人が暮らすタイ北部のファイ・ナム・カオ難民キャンプで2005年に医療・心理ケアを開始。島川さんは、昨年10月から診療に加わっている。
 キャンプは鉄条網で囲まれ、タイ軍の厳重な監視下にある。タイ政府は6月、キャンプ内の約800人をラオスへ移送した。MSFは「軍による強制送還」として即時停止を要請したが、7月初めにも200~300人が強制送還されたとの情報が流れている。【7月30日 時事】
***************

【モン族とベトナム戦争】
モン族は、中国では貴州省を中心に、他にも湖南省、雲南省、四川省など広く居住しています。また、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも多く住んでいます。
中国ではミャオ族と呼んでいます。
タイなどではメオ族とも呼びますが、これは蔑称だそうで、この文中ではモン族の呼称を使用します。
なお、ミャンマーには全く別の“モン族”と呼ばれる少数民族が存在し、やはり政府と衝突したりしていますので、そちらとの区別に注意する必要があります。

ウィキペディアによると、現在モン族は中国に約300万人、ベトナム約79万人、ラオス約46万人、アメリカ約19万人、タイ約15万人・・・となっています。
5月のGWにベトナムのサパを旅行しましたが、中国国境も近いエリアですので、黒モン族やカラフルな花モン族などの人々に会うことができます。
“それにしても、どうしてアメリカに19万人も?”というのが今日の話題です。

ベトナム戦争が始まる頃、ラオス北部山岳地帯のモン族は焼畑などで暮らしていました。
北ベトナム軍の有名な補給路ホーチミンルートはこのエリアを通っており、北ベトナム側もアメリカ側もこの地に詳しいモン族を陣営に引き入れることになります。
結果、同じモン族が両陣営に分かれて戦うことになります。

アメリカ側についてみると、CIAはフランスのスパイも務めた有名なモン族軍人将校Vang Pao に接触し、ベトナム戦争への協力を求めました。
Vang Paoは1964年にラオス国王軍の軍司令官を命じられ、約3万人のモン族兵は、アメリカ政府より賃金(1日10セント)等の保障を受けながら、北ベトナム軍やパテト・ラオを相手に参戦することになります。

ベトナム戦争でモン族の約17,000人の兵士が殺害され、市民5,000人が死亡したとされています。
戦争終結に伴い、アメリカ軍は撤収します。
Vang PaoもCIAよりラオス脱出を命じられます。

戦後のラオスは共産主義パテト・ラオが支配するところとなり、あとに残されたモン族は「裏切り者」として、ベトナム戦争時のアメリカ支持の報復を受けます。
多くのモン族がタイへ避難しましたが、10万人のモン族が殺害されたと言われます。
なお、ベトナム戦争で亡くなったアメリカ兵は58,000人です。

【難民資格も失われて】
国外に脱出したモン族は30万人とも言われています。
その多くがタイ国境沿いの難民キャンプで生活してきました。状況に責任を有するアメリカも約15万人を難民として受け入れてきましたが、国連が1992年に難民支援の打ち切りを決めたため、2004年にこれ以上移住を受け入れないことを決定しました。

このたため、タイに暮らすモン族は難民として保護される資格を失い国籍のない不法滞在者として扱われるようになり、その数は2万人以上と言われています。
彼等は国連からの援助もなくなり自活を強いられています。
一方で、国籍も持たない彼らが働くことは、違法労働としてタイ国内での摩擦を引きおこします。
1995年の難民キャンプ閉鎖により、何千人ものモン族がラオスに帰国しましたが、今もなお彼らへの拷問や虐待が続いていると言われます。

タイ政府は行き場を失ったモン族難民の受け入れをアメリカに要望する一方、2007年5月、ラオス政府との間で「ラオス・タイ国境安全委員会」を設置し、2008年末前までにモン族難民のラオスへの強制送還を実施する意向を明らかにしていました。

今年5月23日、タイ北部ペチャブン県にあるモン族の難民収容キャンプで火事があり、竹などで編まれた小屋800棟以上が焼失しました。タイ当局見解は“国際社会の注目を集めるため難民が放火した”というものです。

タイ政府は6月22日、ラオスから逃れてきたモン族の難民推定800人をラオスに強制送還しました。
さらにタイ当局は、タイのペッチャブン県ファイ・ナム・カオ村の難民キャンプに留まっている6千人のモン族難民についても近日中にラオスへ送還すると公言しています。
国境なき医師団(MSF)は、タイ・ラオス両政府に対して直ちにモン族難民の強制送還を全面的に停止するよう要求しており、冒頭の島川医師語の発言はこのような状況を受けてのものです。

ラオスに送還された推定800人の難民は、タイとラオスの両政府が交わしたモン族難民の強制送還の合意に反対する抗議デモに参加した約5千人が軍に拘束され、その後強制送還に至った者とも言われています。
しかし、タイ当局は“難民たちの自発的な帰還である”と主張しています。
モン族難民の多くが、ラオスに送還されることを非常に恐れているなかでは、信じがたい主張です。

MSF活動責任者は、「今回の強制送還の実施においては透明性が完全に欠如しており、これは問題をさらに悪化させるだけです。もしタイ、ラオス両政府が独立の監視機関の介入を容認すれば、この問題の解決につながるかも知れません。」と語っています。【5月3日 asahi.com】

【アメリカのモン族難民受入れ】
一方、アメリカが受け入れたモン族難民。
アメリカミネソタ州セントポール、人口30万人のこの町ではベトナム戦争直後に三万人近くのモン族難民を受け入れましたが、更に2004年には追加受入れを決定しました。
市長は、「モン族に借りを返すのは我々の義務です」「一つの戦争があれば、これだけ長い間、人々の生活に大きな影響を及ぼすのも 避けられないことなのです」と語ったそうです。
移住に当たっては、アメリカ政府から一時金として一人に付き800ドルが支給され、また、生活保護として月に600ドルほどが支給されたとか。

アメリカの行った行為には多々論ずべき点はありますが、一方でこのような難民受入れなどは日本などでは出来ないことです。
アメリカ社会の懐の深さみたいなものを感じます。

しかし、アメリカ全体がモン族を暖かく迎え入れたのか・・・という点については、当然ながら多くの摩擦があります。
**04年年11月、米中北部のウィスコンシン州の森の中で、鹿狩りに来ていたラオスの山岳少数民族モン族の出身の男性が、口論の末、白人ハンターの男女6人を殺害した。この男性は、白人たちから侮辱的な言葉(「おれの土地にアジア人が入ってきてむかつく」など)を浴びせられた主張。また白人ハンターの1人が銃を先に発砲したため、正当防衛で6人を殺害したと反論した。しかし、ウィスコンシン州裁判所の陪審員は16日、男性の主張を認めず、殺人罪で有罪評決を下した。陪審員の12人はいずれも白人だった。男性の家族は、人種差別の評決だと憤っている。」・・・・アジアの関係組織には「モン族は“ごみ”だ」といった嫌がらせのファクスやEメールが送られた。モン族の家にペンキスプレーで「殺人者」の文字が書かれた。「ハンターを救え、モンを撃て」という自動車ステッカーを売る業者も現われた。【05年9月26日 日刊ベリタ】 
**********

【更にイラクへ】
04年6月、イラクでモン兵士の最初の死者が出ました。
ラオスから米国に逃れて再定住したモンは米国生まれのモンを含めると23万人を超えました。
米軍に加われば市民権を得やすくなるという理由で、多くのモン族青年が異国の戦場に赴きました。
未だ終わらぬベトナム戦争に苦しむモン族は、イラクでの新たな戦闘に向かいました。(日本「自由社会」構造研究会 “歴史で知るモン族” より)

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インド  未だ遠い目標:貧困解消 揺らぐ基盤:宗教対立・カシミール問題

2008-07-30 19:59:26 | 国際情勢

(“カシミール国境警備隊” “flickr”より By morisius cosmonaut
http://www.flickr.com/photos/22215857@N06/2139944132/)

【印僑パワーと農村】
先日、NHKスペシャル「インドの衝撃 第3回 “世界の頭脳” 印僑パワーを呼び戻せ」を観ました。

“世界130カ国に暮らす印僑の数は合わせて2,500万人、各地でその存在感を高めている。
最も多い250万人が暮らすアメリカでは、印僑の9人に1人が年収1億円以上、人口は0.5%ながら、全米の億万長者の10%を占める。数学や金融に強い特質ともに、彼らの力の源泉となっているのが、世界に張り巡らされた印僑のネットワーク。成功者が若い印僑に、国際ビジネスや起業のノウハウを伝授、成功の連鎖が起きている。
そして今、本国インドが急成長を遂げる中、アメリカの頭脳となってきた印僑たちが、相次いでインドに帰国し、新しい産業の担い手となりつつある。
優秀な起業家を生み出し続ける印僑ネットワークや、印僑のスーパー人材を狙ったヘッドハンティングの動きを追い、世界を揺るがす印僑パワーの核心に迫る。”【NHKホームページより】

正直なところ、観ていて違和感を感じました。
年収1億を越すエリート達のアグレッシブな生き方と、第1回で紹介されていたインドの農村の現実がうまく結びつきません。
お掃除用ロボットを開発して起業しようとする若者、携帯電話の新しいシステムを売り込む若者、それらを審査しアドバイスする成功者達・・・
一方、はシャンプーをこれまで使ったことがなく泥で髪を洗っていた農村の人々、TVが買えて小躍りして喜ぶ人々・・・

番組紹介にあるようなトップ・エリートは別にして、確かに90年代以降の成長によってインドにおいても中間層が育ってきているのは事実です。
仮に“中間層”を20~50万ルピー(2001年度価格年収 日本円で50万円~125万円)で定義すると、2001年度は6200万人(全人口の6.1%)にすぎませんでしたが、2009年度は1.73億人(14.5%)に拡大する見込みだそうです。
(堀本武功「インド グローバル化する巨象」より)
比率にすればまだまだの感はありますが、その絶対数は日本人口をはるかに上回り、インドの成長を支える原動力です。

しかし、インド政府の公式年鑑「インド年鑑2006年版」によれば、農村には1億9300万人の貧困者がいるとされています。貧困者の4分の3が農村に集中しています。
成長する中間層を凌駕する集団ですが、政府発表の数字ですから、実態は押して知るべきものがあります。
マハトマ・ガンジーは「インドの魂は農村に息づいている」と言ったそうですが、“インドの魂”はいまだ貧困に喘いでいるようです。

【経済成長だけでは・・・】
WTOのドーハ・ラウンドではインドのナート商工相がインド農民の生活を守るべく奮戦し、結局交渉は“決裂”したようです。
それはともかく、その“インドの魂”の生活は“お掃除ロボット”や“携帯新システム”で救われるのでしょうか?
番組に登場する起業家・投資家は盛んに「インドのために」という“国益”を強調していましたが。

経済成長が持続すれば、やがてその恩恵は低所得者層にも雫がたれるように伝わる・・・“trickle down effect”の考え方でいけば、“拡大するIT産業が成長を牽引し、やがては・・・”ということでしょうが、それ以上に貧富の経済格差が問題になりそうです。

同じNHKスペシャルで以前、バングラデシュのマイクロクレジットによる農村女性を働き手とする零細な繊維産業起業支援や、女性の小商い支援を紹介していましたが、こちらの方がまだ貧困者の暮らしには直結していそうに見えます。

農民の生活水準引き上げのためには、土地所有制度の改革、農業インフラの整備なども必要です。
中国でも小平の“先富論”から、都市農村・地域格差にも配慮して調和ある社会“和諧社会”を目指す共同富裕論に方針変更がありました。
インドでも“経済成長だけでは貧困が解消できない”という視点からのアプローチが提起されているそうです。

【揺らぐ社会の安定 爆弾テロ】
いずれにしても、経済成長がインド長年の悲願である貧困解消にとって、その推進エンジンとなることには変わりはないでしょう。
そしてその成長を可能にする基礎は、社会の安定です。
国内的にはヒンドゥー教徒とムスリムの長年の対立。
それを反映した国際的なパキスタンとのカシミール紛争。

ここにきて、インド社会の安定を危ぶませるような事件が報じられています。
7月25日午後、カルナタカ州バンガロールで、15分間に市内中心部の8カ所で爆発する連続爆弾テロと見られる爆発がありました。死者は2名、負傷者は7名。
翌26日、グジャラート州アーメダバードでも連続爆発事件が発生し46人が死亡、140人以上が負傷した。
爆発は大きく2度に分けて発生。市内の繁華街で多くの負傷者を出す爆発があった後、負傷者が運び込まれた病院で再度、爆弾が爆発したそうです。
更に、27日には、グジャラート州南部のスーラトでも、警察によって爆弾を積んだ車両が発見されました。

3日間連続の爆弾テロに対し、シン首相は27日声明を発表、国民に対し平静を保つよう訴えています。
今年5月には、ラジャスタン州ジャイプルで連続爆弾テロが発生しており、今回テロ事件の現場となった2州とあわせ、いずれもヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党(BJP)が州政権に就く州で連続してテロ事件が発生しています。
このため、政府はヒンドゥー至上主義を掲げるBJPを狙ったイスラム系過激派の犯行との見方を強めています。

【カシミール 越境・発砲・死者】
インドとパキスタンは7月21日、関係正常化に向けた包括対話の第5ラウンドをニューデリーで開始しました。
両国は04年2月に包括対話を開始し、今回はパキスタンで3月にギラニ内閣が発足して以降で初の包括対話となりました。 
アフガニスタン・カブールのインド大使館前で今月7日、インド人外交官ら約60人が犠牲になった自爆テロ事件について協議がなされました。
インド側代表は対話後の記者会見で「テロの背後にパキスタンがいる」と非難、対話でもパキスタン側にテロ対策強化を求めたとみられています。
当然ながら、パキスタン側代表は会見でテロへの関与を否定しました。

27日には、アーメダバードで起きた連続爆弾テロ事件で、非合法イスラム過激派組織「アーレ・ハディース」所属のアブドゥール・ハリム容疑者が逮捕されました。
この組織については、パキスタン軍統合情報部(ISI)の支援を受けている疑いも取り沙汰されています。

そんなパキスタンとのギクシャクした雰囲気を決定付けるように、カシミール地方の停戦ライン付近で28日、両国軍が16時間にわたり交戦。
パキスタン側4人、インド側1人が死亡する事態となりました。
インド軍側の情報によると、パキスタン軍兵士15人が停戦ラインを越えて侵入し、発砲したと言われています。
インド側が建設中の塹壕のことで口論になったとも言われます。
実効支配線を越境しての戦闘は2003年11月の停戦発効後初めてです。

こうした国内・国際両面での不安定化は、インド経済発展の基盤を揺るがすことにもなりかねない問題です。
中国と並び今後世界を牽引することも予測されるインドですが、社会の安定という基礎的な条件に大きな不安があり、また達成すべき貧困の解消も、カーストなどの社会問題とも絡んで容易な目標ではありません。

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カンボシア・タイ  対立が解けない「プレアビヒア寺院」問題

2008-07-29 21:53:44 | 国際情勢

(プレアヒビア寺院へのタイ側からの入口ではないでしょうか・・・ 境内はカンボジアが占有しています。 “flickr”より By Mofaitsontdm
http://www.flickr.com/photos/mofaitsontdm/2337274442/

【にらみ合いつつも、奇妙な“平和”】
今月ユネスコ世界遺産に登録されたカンボジアのタイ国境にあるヒンズー寺院遺跡「プレアビヒア寺院」の領有権問題で、これに抗議するタイ人3人が、国境の検問所を飛び越えて寺院へ行こうとし拘束されたのが15日。
以来、カンボジア・タイの軍隊がにらみ合う事態が続いています。
当初はそれぞれ数十人単位でしたが、日増しに“増強”され、今では数千人規模にまでなっているとか。
(「プレアビヒア寺院」問題の背景、タイ政局との関係などについては、7月4日ブログ「カンボジアとタイの世界遺産登録をめぐる摩擦」で取り上げたところです。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080704

“にらみ合う”とは言っても、今のところは、そんなに張り詰めた緊張状態ではないようです。
「領有争いの地 奇妙な“平和”」と題する地元紙のルポによると、「両国軍がにらみあうというものではなく、国境未画定地域内での“混在”だった。両国軍の兵士は山中や野原に隣り合うようにテントを設営、警戒にあたるが、食事を交換し、冗談を言い合い、同じ池の水で一緒に体を洗うなど友好ムードに満ち、衝突とは程遠い雰囲気だ。」【7月25日 南日本】といった様子だそうです。
タイ語とカンボジア語のかなりの部分が似通っており、互いの意思疎通は可能だそうですから、“冗談を言い合う”ことも可能です。

【暴発の危険も】
ただ上記ルポでも触れているように、兵士は常時自動小銃や手榴弾を携帯しており、小競り合いもあります。
武装した軍隊が混在している限り、暴発は常に隣り合わせと言えます。
とりわけ印象的だったのは、あるカンボジア兵士(25歳)の言葉です。
「戦えればハッピー。タイが我々の領土を奪うのは許さない」と不敵な笑みを浮かべる・・・・。
“やるならいつでも相手になろうじゃないか”というところでしょうが、“不敵な笑み”が目に浮かぶようです。

【戦争への構図】
今回の衝突を見ていると、どのようにして“戦争”というものが起こるのかわかるところがあります。
タイは、一旦はカンボジア側の世界遺産登録申請に同意した経緯があります。
以前から領有権で揉めていたとはいっても、かつて国際司法裁判所の判断が出ていることもあり、一般的な認識としては「お互いが協力して世界にアピールすれば、観光的に両国のメリットになるじゃないか」という常識的な判断があったと思われます。

しかし、タイ国内ではタクシン前首相とつながるサマック政権に対する反政府運動が激しくなっており、“自国領土を譲り渡すのか! タクシン一派が観光利権を狙っているのではないか?”という形で、領土問題と反政府運動が結合して国内政局絡みの運動として激しさを増していきます。
世界遺産登録に同意した共同声明への署名が憲法裁判所によって「違憲」とされたこともあって、外相は辞任に追い込まれ、政治家は不用意にものを言わない状況が生まれています。

そうした状況の背景には「踏みにじられたナショナリズムがタイ・カンボジア両国民間の憎しみの感情を煽っている。南東の隣人に対して優越感を抱くタイ人は(寺院の件で)面子を失ったと感じ、反カンボジア感情が高まっているのだ」【17日タイ英字新聞The Nation】という国民感情(傷ついた理由のない優越感)があります。

一方のカンボジアでは、フン・セン首相が世界遺産登録を政権の“実績”として大々的に国民にアピールしてきており、しかも選挙戦を控え、これまた“弱腰”の対応はとれない状況にありました。
むしろ、強気の姿勢を示すことで、国内求心力を強め、選挙での圧勝を盤石のものにする・・・という方針がとられたように見えます。

その背景には、カンボジア国民のタイに対する鬱積した感情、歴史的に絶えず侵略されてきたという思い、しかし現在経済的にタイに大きく頼るかたちになっている現実への釈然としない思い・・・そういった思いがあるのでは。

人々に広がる“愛国的要求”に棹差すのは非常に難しい覚悟を要することです。
理性の通用しない、いわゆる“引くに引けない状況”となりがちです。
こうした状況で、何らか“不測の事態”が突発すると、両国首脳の思惑にかかわらず、国民に突き上げられるようして戦端が開かれることになるのでしょう。

【中国・ロシア 国境画定 「北京五輪へのプレゼント」】
領土を譲ることにつながる決断は政治家にとっては厳しい判断です。
どこの国にも扇情的に領土問題を煽る勢力はいます。
ロシアと中国は21日、北京で中ロ間の東部国境に関する追加議定書に調印し、表面上はロシア側が中国へ譲るかたちで、未解決のまま残されていたアムール川(中国名・黒竜江)とウスリー川の中州の国境線が画定しました。

今回中国領に決まったタラバロフ島(中国名・銀竜島)と大ウスリー島(同・黒瞎子島)西部の計174平方キロについて、ロシアは従来から“アヘン戦争後の北京条約(1860年)でロシア領になった”と主張してきました。
ロシアメディアは今回の“譲歩”を 「北京五輪へのプレゼント」と表現しているとか。

ソ連時代には武力衝突も起きて、タイ・カンボジア対立とは比較にならない衝撃を世界に与えた問題ですが、次第に欧米と対立を強めるプーチン大統領(当時)が対中接近に動き、04年10月の中露首脳会談で従来の方針を変更したと言われています。
この方針変更に対し、地元ハバロフスク地方の議員は当然のごとく反対しましたが、プーチン政権は地元への経済支援と“強権”で反発を抑え込んだそうです。
「極東の発展には中国との関係強化が不可欠」という考えも背景にあったそうです。
【7月26日 毎日】

表面上は譲歩ととられるような形で領土問題を解決することで、両者の関係を強化し、現実的な利益をはかるというような政策は、プーチンのように強権を振るえるような立場にないと難しそうです。

【問題解決へ向けて】
「プレアビヒア寺院」問題に戻ると、第三者的には、とても戦争を覚悟するような問題には思えません。
ここで衝突してもお互いなんのメリットもないように見えます。
観光を柱とする両国のダメージは大きなものがあります。
カンボジアにとって地域大国タイとの関係を絶つことは経済的に非常な負担となります。

カンボジアのナムホン外相とタイのブンナー外相は28日、問題の打開に向け、カンボジア・シエムレアプで協議を行いました。
12時間に及ぶ協議の結果、両外相は寺院周辺から軍部隊を撤収させることを“検討していくこと”で合意したものの、事態打開に向けた明確な解決策は示されなかったそうです。
協議では軍部隊の撤収に向けた明確な目標も立てられず、次回の会談日程も定められませんでした。
その一方で、両国は事態の平和的解決を主張し、国境線を確定するために必要な地雷除去などを含む事態打開策を提案しています。【9月29日 AFP】

“冷静な対応を期待する”と言えば月並みに過ぎますが、政局的に苦しい立場にあるタイ・サマック政権よりは、選挙で予想通り圧勝して“強権”もふるえる立場にあるカンボジアのフン・セン首相の方がフリーハンドを有しているようにも見えます。
多少タイ側の面子も立てる形で穏便に処理してもらいたいものです。



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キューバ  「全員一致は求めない。それは虚構になりがちだ」 中国は?

2008-07-28 21:01:16 | 世相

(兄フィデルのレリーフの上で演説するラウル・カストロ この人は軍服が全く似合いません。スーツ姿はなかなかの恰幅なのですが。 “flickr”より By onepotscreamer
http://www.flickr.com/photos/onepotscreamer/942926132/)


【意見の多様性を尊重】
キューバ東部サンティアゴデクーバで26日、キューバ政府主催の革命記念日の式典が開かれました。
フィデル・カストロが引退した後、自由化・変革の動きも伝えられるところですが、今後キューバがどういう方向に進むのか、この式典でのラウル・カストロ国家評議会議長(77)の演説が注目されていました。
(カストロ引退後の変革については、6月13日「エジプト、キューバ 見直される“勤労”、“労働の報酬”」参照
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080613

ラウル議長は、「我々は世界的危機の中で生きていると肝に銘じなくてはならない」「今あるもの以上を消費することはできない」と指摘、食料不足や石油価格の高騰による耐乏生活を覚悟し準備するよう国民に呼びかけ、慢性的な物不足にあえぐ国民に理解を求めました。

更に、「貧者の貧者による貧者のための社会主義革命を忘れてはならない」と革命の継続を強調し、また、40年間以上にわたりキューバへの経済封鎖を続ける米国については、「米国の大統領選の結果と関係なく、防衛はおろそかにしてはならない」と訴えました。

今回のラウル議長のスピーチで最も興味深かったのは、「全員一致は求めない。それは虚構になりがちだ」と述べ、意見の多様性を尊重し反対意見に耳を傾ける柔軟な政権運営を目指す考えを示したとされることです。
民主主義の基本的な理念ですが、社会主義体制のリーダーの口からこのような言葉を聞くのは以外でした。
ラウル議長は先月“賃金の上限額の撤廃”を発表しており、今後かなり踏み込んだ体制変革が実施されるのでしょうか。

とかく無謬性を前提とした独裁になりがちな体制にあって、今後“意見の多様性を尊重”する社会をどのような政治システムで現実的に担保するのか、非常に関心が持たれます。
“多様な意見”は多くの場合、“政府批判”でもあります。
“柔軟な政権運営”において、どこまで政府批判が許されるのでしょうか?

【揺れる中国】
隣国中国では、チベットやウイグルの民族問題、所得格差や官僚・警官の腐敗に対する住民の批判が、ときに“暴動”というかたちで噴出していることは毎日のように報じられているところです。
当局側の対応も、行政側の責任者を処分するとか、警官の暴行について治安当局側が謝罪するとか、従来と比べると柔軟な対応も一部見られますが、全般的にはやはり批判・多様性を許さない一党支配の硬直性が諸問題の根底に存在しているように思えます。

一方、中国のネット利用者は6月末で2億5300万人に達し米国を抜いて世界一となり、再三にわたってネット規制を強化しても、もはや国家によってコントロールしきれない段階にきているようです。
ネットに溢れる多様な意見・多量な情報は、一方で当局による情報隠しを困難にし、結果的に当局に対し情報公開を促すようにも働いているように見えます。

しかし、当局の対応もまだ揺れているようです。
例えば、中国共産党指導部で宣伝工作を担当する李長春政治局常務委員は10日、香港・鳳凰衛星テレビの取材に対し、北京五輪で外国メディアが中国について「マイナス」の報道をしても容認する姿勢を強調したそうです。
李常務委員は「どの国にもマイナスの面はある。中国のような大きな国であれば、それがあることは避けられない」「われわれは開かれた気持ちを保つ」「真実の中国が全世界に伝えられるよう望む」と語っています。【7月10日 時事】

非常に妥当な考え方であり、中国も変わったものだ・・・と感心したのですが、“米政府系の自由アジア放送(RFA)の中国語ウェブサイトは27日、中国メディア関係者の話として、同国当局が全国の国内メディアに対し、北京五輪期間中は自国のマイナス面を一切報道してはならないと指示したと報じた。”【7月27日 時事】といった報道もありました。
外国メディアにはマイナス報道を許すが、国内向けには許さないということでしょうか?
自己変革はなかなか容易ではなさそうです。

中国首脳が「全員一致は求めない。それは虚構になりがちだ」と言明してくれれば、中国社会の変革も一気に進むところでしょうが・・・。
もっとも、かつて50年代に「中国共産党に対する批判を歓迎する」という百花斉放百家争鳴を受けて共産党を批判した者は、その後の政策転換により、反右派闘争で激しく弾圧された・・・という歴史もありますが。
それにしても、オリンピック終了後、粛清の嵐なんてならなきゃいいですけど。
9月20日頃、北京旅行を予定していますが、どんな雰囲気でしょうか。
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イラク  “民主主義国家”新生イラクに向けて

2008-07-27 13:54:50 | 国際情勢

(「馬鹿にしないでよ!」と言わんばかりにちょっと険しい表情のクルド人少女 東洋人の目にクルドもアラブもその違いはよくわかりませんが。 “flickr”より By James Gordon
http://www.flickr.com/photos/jamesdale10/1950164657/)

【「マフディ軍」掃討作戦の成果】
このブログでは思いつきでその時々の話題を気ままに取り上げていますが、イラクを話題に取り上げることが少なくなりました。
一言で言えば、それだけ落ち着いているということでしょう。
いまや、米軍と北大西洋条約機構(NATO)軍の死者合計も、2カ月連続でアフガニスタンがイラクを上回る状況で、アメリカの関心もアフガニスタンに重心を移しつつあります。
そんなイラク関連で目にしたのが次の記事。

****イラク:シーア派民兵の影響力低下 ヘジャブ脱ぐ女性も***
バグダッドで市民に恐れられてきた対米強硬派のイスラム教シーア派「サドル師派」の民兵組織「マフディ軍」の存在感が低下している。スンニ派住民に暗殺の恐怖を植え付け、シーア派住民には厳格な宗教態度を押しつけてきたマフディ軍だが、イラク政府の摘発強化が功を奏した形だ。繁華街や大学では、同軍が強要してきたへジャブ(頭髪を隠すスカーフ)を脱ぎ捨てる女性の姿も目立ち始めている。
 シーア派地区のムスタンシリア大学では、構内を埋め尽くしていたサドル師派指導者、ムクタダ・サドル師のポスターが一掃され、マフディ軍の牙城だった学生自治会も解散に追い込まれた。
 女子学生のヤスミンさん(22)は「4月末以降、状況は劇的に変わった」と説明し、「もうへジャブをかぶらないで通学できる」と声を弾ませる。7月に催された卒業パーティーではダンス音楽も流され、「過激派(マフディ軍)におびえずに済むパーティーは(イラク戦後)5年間で初めてだった」という。
 同大のシャヤル総務部長(45)は「ようやく政府に実行力が伴い始めた」と指摘。同氏によると、学内の状況好転を反映し、近隣諸国に避難した教授らからの復職願が急増しており、ヨルダンからの31件をはじめ、近隣諸国からの問い合わせは6月末までに計92件に上る。
 シーア派地区の繁華街カラダ地区でも、これまで爆破や暗殺の対象とされてきたCD店やDVD店が急増中だ。民兵組織や武装勢力による強奪のリスク減少を反映し、新車を購入する市民も増えている。
 ただ、6月の民間人死者数は戦後最少レベルといえども、依然として全土で448人(AP通信)を数え、バグダッドでも爆発テロが散発している。東部のサドルシティーの多くの壁には「いずれ戻ってくる」と、マフディ軍によるとみられるスローガンが大書され、市民は慎重に治安状況の推移を見守っている。
 また、治安面とは対照的に、電力や水道供給などの行政サービスは壊滅状態。治安改善が政府の信頼回復につながっているとは言い難い状況だ。【7月26日 毎日】
**********

女子学生の発言にある“4月末以降”というのは、言うまでもなく、マリキ政権によるシーア派「サドル師派」の民兵組織「マフディ軍」掃討作戦が実行された時期です。
この掃討作戦はマリキ首相が陣頭指揮にたって3月末に開始され、一旦終息したかに見えましたが、すぐに再燃、米軍を巻き込んでサドルシティーを中心に戦われましたが、5月10日にサドル師側からイラク政府と停戦に合意したと発表がなされました。

このあたりの経緯は
6月9日「米軍死亡者は5月最少の19人、しかし・・・」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080609
4月4日「マフディ軍掃討がもたらしたもの」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080404
で取り上げてきました。

当時の評価は、この“無理な”作戦で、結局マリキ政権は求心力を失い、サドル師側の存在感が逆に強まったというものでした。
しかし、上記記事によればそれは誤った見方だったようです。
掃討作戦の結果、マフディ軍の勢力は大幅に削がれたようです。
それが現在のイラクの落ち着きに結びついているとのことです。

【新生イラク 強気のマリキ首相】
こうした流れの背景にあるのは、やはり米軍増派の成果ではないか・・・ということで、産経が“他者の行動を「悪」「誤り」そして「失敗」と断じて激しく反対し、その中止を求めたのに、その行動は前進し、意外にも「善」とか「成功」の様相を呈してくる。いまさら「成功」を認めるわけにもいかず、みてみないふりをする-。”“ブッシュ政権の米軍増派がイラクの治安の改善と民主化の進展に顕著な成果をもたらしたことはもうどうにも否定できなくなった。その新しい現実は米国の大統領選だけでなく対外戦略全般を変え、中東情勢にも大きな変化をもたらすかにもみえる。”と論じています。

***********
激動の危険を秘める中東のイラクという枢要地域に親米の民主主義国家が生まれるという可能性も、米国にとってはいまや非現実的ではなくなってきた。もしそうなれば、米国も中東政策から国際テロ対策、対外戦略全般までを前向きに大幅修正することとなる。核武装へと向かうイランに対しても新生イラクは頼りになる防波堤となる。【7月26日 産経】
***********

マリキ首相はこの展開に強気になっているようで、イラクにおける米軍の「地位協定」に関し、イラク政府への治安権限移譲、米軍戦闘部隊の削減-などの目標に向けて“日程協議を進めること”で、「日程的な展望」を明示したくないアメリカと合意したそうです。

また、イラク軍とイラク警察当局は、中部ディヤラ州で8月1日から、国際テロ組織アルカイダ戦闘員や武装勢力に対する、約3万人を動員した大規模な掃討作戦を行うと発表しています。

確かに“アメリカ・ブッシュ政権の誤ったイラク政策によってもたらされたイラク混乱”というイメージが強いため、そのような観点から物事を見てしまいがちなところはあるでしょう。
イラクに“民主主義国家”が生まれるのであれば、それは喜ばしいことです。
ただ、ここに至るまで払われた、また、今なお生じている多大のイラク人犠牲は、“結果オーライ”で片付けられるものではないように思われます。

【厄介なクルド問題】
今後の事態は当然ながら流動的で、“民主主義国家”成立が順調に進むのかどうかは判然としません。
恐らくアルカイダ勢力を支持しているイラク人はそう多くないと思われますので、この勢力一掃はある程度可能でしょう。
シーア派とスンニ派間の対立は厄介ではありますが、シーア派内部でも激しく争っているように単なる宗教対立ではありませんから、逆に言えば何らかの利害調整の余地がある問題のように思えます。

一番厄介なのはクルド人の問題ではないでしょうか?
ユーゴスラビアが崩壊したように、あの中国共産党ですらチベット・ウイグル問題で手を焼いているように、民族問題を押さえ込むのは非常に困難です。
コソボのように“民族自決”が世界の潮流となっているなかで、民主的に多民族共存を実現するのも至難の業です。

****地方選挙法案に大統領が拒否権 年内実施困難に****
イラクのタラバニ大統領(クルド人)は23日、イラク連邦議会が22日に承認した地方選挙法案について「拒否権」を発動、議会に同法案の再審議を要請した。北部の石油都市キルクークでの影響力拡大を狙うクルド人勢力が同法案に反発しているためで、今年10月に予定されていた地方選の年内実施は困難な情勢となった。
クルド人勢力は、キルクークのクルド地域への編入を切望しており、同市を含むタミム県のクルド地域への帰属を問う住民投票を憲法の規定に沿って実施すべきだと求め続けている。
地方選挙法案ではタミム県での選挙を例外扱いとし、クルド人とアラブ人、トルクメン人に10議席ずつ、キリスト教徒に2議席を分配する方式を取ることとした。だがクルド人は現在、県議会の圧倒的多数を占め、クルド人勢力は法案に強硬に反発していた。
米ブッシュ政権は、地方選挙をイラクの国民融和の成果と位置付け、年内に実施するよう求めている。【7月24日 毎日】
**********

クルド人が多数を占めるこの地で憲法に規定する住民投票を行えば、キルクークのクルド地域への編入、更にはクルド人自治区の独立性強化の方向に向かうと思われ、アラブ人・中央政府との対立が激化します。
国内にクルド問題を抱える隣国トルコ、更にイランもこの問題の推移を注視しており、混乱が生じれば介入の事態も考えられます。

アメリカの本格的な撤退はこの問題に展望が開けてからにしないと・・・という感ありますが、米軍がいつまでも駐留できる訳でもないので(マケイン候補は以前“百年でも”と言っていましたが)、結局は自分達で決着をつけないとどうにもならないのかな・・・とも。

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チャベス・ベネズエラ大統領  「黙れ!」のスペイン国王、隣国コロンビア、宿敵アメリカとの関係

2008-07-26 15:42:32 | 国際情勢

(支持者にこたえるチャベス大統領 “flickr”より By ¡Que comunismo!
http://www.flickr.com/photos/quecomunismo/2039971925/)

【「なぜ黙らないのか」から8ヶ月】
強硬な反米左派でいろんな話題を提供してくれるチャベス・ベネズエラ大統領ですが、昨年11月のイベロアメリカ首脳会議でスペインのアスナール前首相を「ファシスト」と執拗に非難。
これにフアン・カルロス・スペイン国王が「なぜ黙らないのか」と叱責した“事件”が当時話題になりました。
この国王の「なぜ黙らないのか」という言葉は、スペイン語圏の流行語となったそうです。

今月、そのチャベス大統領とカルロス国王が8ヶ月ぶりに再会することになりました。
チャベス大統領は訪欧前のテレビ・ラジオ番組で、「国王を抱擁してやりたい。でもフアン・カルロス、わたしは黙りはしない」と相変わらずでしたが、地中海のバレアレス諸島にある夏の別邸で休養中のカルロス国王と面会した大統領は、「まるでキューバかジャマイカのような暑さだ。ビーチに行きましょう」と親しげに語りかけ、関係修復をアピールしたそうです。【7月26日 毎日】

【ウリベ・コロンビア大統領と差しの会談】
態度・反応がころころと変わるのは、いかにもチャベス大統領らしいところです。
隣国コロンビアとの関係も、断交したり修復したり目まぐるしく変わります。

コロンビアの左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)をめぐっては、コロンビアとベネズエラは互いに非難しあうような関係が続いていましたが、今年3月に実施されたFARCに対するコロンビア軍のエクアドル越境攻撃に対し、チャベス大統領は即刻在ボゴタ大使館を閉鎖、職員を帰国させる事実上の断交措置をとりました。
(エクアドルやニカラグアと違って完全に断交しなかったところがミソでしょうか。)
一時は国境に戦車隊を配置するようなものもしい状況にもなりましたが、ラテン・アメリカらしく、事態は一転して解決へ向かいました。

ただ、両国の関係はその後もすっきりはしていなかったようで、今月11日、コロンビアのウリベ大統領とベネズエラのチャベス大統領は関係正常化を目指して、ベネズエラ北西部の町プントフィホで差しで会談を行いました。
(表向きの非難、険悪な両国関係にも関わらず、両首脳同士の関係は比較的“良好”だとの話を聞いたこともあります。)

会談では、両国国境での協力や貿易が中心に話し合われ、チャベス大統領はこの会談について、「関係緊密化、協力、平和、中南米の一体化などを目指すもの」としています。
いつも対立が取り沙汰されるコロンビアはベネズエラにとってはアメリカに次ぐ貿易相手国で、取引は年間約60億ドル(約6375億円)に達しているという“緊密な関係”が背景にあります。

【「持ちつ持たれつ」の関係】
ところで、“宿敵”アメリカとの関係ですが、ベネズエラにとっては最大の貿易相手国でもあります。
チャベス大統領はブッシュ米大統領を「悪魔」とののしり、対米石油禁輸を再三ほのめかしてきました。
しかし、ベネズエラのアメリカへの原油・石油製品の輸出量は全体の5割を占め、07年の対米輸出額500億ドルのうち95%は原油だったそうです。

また、アメリカが消費する石油の約6割は輸入で、うちベネズエラは3番目に多い11%を占めています。
米会計検査院の06年の報告書によると、ベネズエラが石油禁輸を発動した場合、米国市場の原油価格は8~11%上昇し、ガソリンも高騰するそうです。【7月26日 毎日】

結局、アメリカはベネズエラにとって無視できない顧客、ベネズエラはアメリカにとって現実的には重要な石油供給国で、両国はいわば「持ちつ持たれつ」の関係にあります。

【したたかな外交】
表向き非難しあっても、実利を阻害しないように配慮する。
機会を捉えて、豹変するような関係修復も辞さない。
国と国との関係は、このような“したたかさ”というか“二枚舌”というか、“正論”だけでは片付かないところもあります。

生真面目だけでは外交はうまくいかない・・・ということですが、政策を支える国民にそのような“したたかさ”を受け入れる思慮がなければやむを得ぬところでもあります。
もっとも、チャベス大統領のスタンドプレー的な豹変ぶり、思いつきのような行動は、いささか度が過ぎるように思えますが。

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フランス  サルコジ大統領が進める憲法改正・経済改革 その他、時短・GDPのこと

2008-07-25 15:37:04 | 世相

(サルコジ大統領本人の支持率はさほどでもないですが、前妻のセシアリ夫人といい、今回のカーラ夫人(写真中央)といい、奥様の人気は上々のようです。
写真左はラマ・ヤデ人権担当相 セネガル出身、30歳の若さでサルコジ氏によって抜擢されました。周囲に素敵な女性が集まるのは、やはり“甲斐性”というものでしょう。“flickr”より By philippe leroyer
http://www.flickr.com/photos/philippeleroyer/2393480179/)

【1票差の憲法改正】
フランスではサルコジ大統領の進める“改革”が進行しているようです。
21日には大統領選挙時の公約であった憲法改正案が議会で“1票差”で可決されました。

大統領の再選回数を2期までに限定し、一定の条件で大統領による公的機関の長の任命に対する拒否権を議会に与える、また、国民議会(下院)の採決なしに首相が法案を通せる権限に制限が設けられるなど、大統領の権限を制約し議会により多くの権限が与る内容も含んでいます。

それらの点については世論もほぼ賛成していましたが、世論の賛否が分かれたのは、アメリカ大統領の一般教書演説のような年次演説を大統領にさせることを許可する条項だったそうです。
全く知りませんでしたが、フランス憲法では行政府と立法府の分権を根拠に、国家元首のこうした演説を禁じていたそうです。
今後は、議会でサルコジ大統領が熱弁をふるうシーンがたびたび見られれるという訳です。

社会党など野党の反対もそこにあるのでしょう。
“1票差”ということですが、賛成票を投じた10人の左派系議員のなかでも、サルコジ大統領のお声がかりで憲法改正などにかかわる委員会の副委員長も務めた社会党重鎮のラング元文化相が“戦犯”として、ロワイヤル氏などの怒りを買っているとか。

それはともかく、日本は議院内閣制ですので、大統領のイメージがつかみずらいところがあります。
行政府の長たる日本の首相はべったり議会にはりついていますが、大統領というものはそういうものではないようです。
アメリカとは異なりフランスには首相も存在します。
かつて、左派のミッテラン大統領のもとで保守のシラク氏が首相をつとめることもありました。
首相は大統領だけでなく議会にも責任を負うので、首相は議会多数派でないと現実的に運営ができない事情から、大統領の政党とは異なる政党が議会多数を握る場合、このような大統領と首相のねじれ(コアビタシオン:同居・同棲の意)が生じます。
このコアビタシオンにおいては、通常大統領が外交、首相が内政をリードするそうです。

【週35時間制の実質的撤廃】
憲法改正と並んで、最近フランスで改正されたのが法定労働時間の問題。

****仏議会で経済改革法案が成立、週35時間の法定労働時間撤廃も*****
フランス議会上院は23日、法定労働時間の週35時間制の撤廃を定めた大規模な経済改革法案を可決、成立させた。また、ストライキに関する規則変更や失業手当基準の厳格化、競争力を強化することで生活コストの抑制を目的とした経済開放などを含む重要な改革案も可決された。
 これらの法案は、ニコラ・サルコジ大統領の支持母体の国民運動連合が支持・推進していたが、野党・社会党は反対していた。下院では、今月初めにすでに可決されていた。

 新しい法律では、労働時間は週35時間に据え置くものの、企業に対し労働者と直接相談して労働時間を決定できる権利を与えるという。
 社会党や労働組合から最も異論が噴出していたのは、週35時間労働制だった。この制度は10年前に、当時与党だった社会党によって導入されたもので、保守派からはフランスの経済競争力にとっての障害だとの批判を受けていた。
 35時間労働制は失業率の抑制を目的としていたが、フランス国立統計経済研究所(INSEE)は、この制度によって1998-2002年の間に35万人の新規雇用者を創出したものの、政府は数十億ユーロに上る企業への補助金を負担することになったとしている。【7月24日 AFP】
****************

【“改革”の流れ】
昨年11月にはサルコジ大統領の進める年金改革案に対して国鉄労組が無期限ストを構えるなど、政府対労働組合の対決がありましたが、結局世論の支持を背景にサルコジ大統領が力でねじふせた形で決着。
今回の経済改革法案も、そうした社会の流れ、力関係の反映のように思えます。
日本で言えば75年のスト権スト以降の労働側の一方的長期敗北・左翼勢力衰退の流れでしょうか。

【労働時間比較】
この件に関する私自身の最初の印象は、“週35時間?そんなに短い労働時間でどうやって経済・生活を支えていけるんだろう・・・。ストックの差だろうか?やっぱりヨーロッパと日本の社会では底力が全く違うんだな・・・”というものでした。

ただ、かつて“働きバチ”とか揶揄されることもあった日本でも、労働時間の短縮は随分進んでいるようです。
本川 裕氏のサイト「社会実情データ図録」のなかに、OECDの資料をもとに“年間実労働時間の国際比較”をグラフ化したものがあります。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3100.html(製造業以外も含む数字ですが、本川氏が指摘しておられるように、経年比較用の数字であり、各国間で基準が異なるので横並び比較は厳密には難しい数字です。)

敢えて、大まかな横並び比較をすると、1990年頃まで日本は年間で2100時間程度に対し、英・米・仏は1800時間前後と圧倒的な差がありました。
スウェーデンとかドイツは1500時間台と信じられない数字でした。

国際協調・国民生活の質の向上を掲げる「前川リポート」が発表されたのが86年で、このころ労働時間短縮が社会的にも注目され始めました。
私が個人的にそういった方面と少し関わったのもその頃でしたので、今でも「今なお長時間労働の日本」という固定化したイメージが頭に残っています。

しかし、上記グラフで見ると、その後の90年代は日本でも時短が進んだようです。
(いろいろ問題は含んでいるのでしょうが、それらは今回は割愛します。)
88年に、法定労働週を48時間から40時間へ短縮する改正労働基準法が制定されたことが流れを決定付けたようです。
しかし、まだ西欧諸国との間には大きな差も残存しています。

日本の年間実労働時間は、現在では1800時間にまで減少して、横ばいで推移してきたアメリカと同水準になっています。
なお、日・米より100時間あまり少ないのがイギリス(1600時間台後半)、そこから更に100時間ほど少ないのがフランス・スウェーデン(1500時間台後半)といった関係になっています。
ドイツ・オランダは1400時間前後です。
総じて、ここ数年は各国とも時短の流れは停滞しているようです。

労働政策研究・研修機構のサイトには製造業での国際比較データがあります。
http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/06/197_6-1.pdf
この資料によれば、日本とアメリカは1900時間半ば~2000時間弱というあたりで、ほぼ同水準にあります。
イギリスがこれより若干少なく、フランス・ドイツは1500時間あまりといったところです。

休日数も同様の傾向で、年次有給休暇日数で見ると、日本が8.3日、アメリカが13.1日に対し、英・独・仏は25日~30日といったレベルです。
無理やり休暇をとって“弾丸トラベル”の海外旅行をすると、ヨーロッパの旅行者とこの差はまさに実感します。

【変化する現実 GDP】
少なくとも、日本一国が突出していた時代から、アメリカ並みへの改善はあったようです。
他にも、数字を見ていると「ふーん、そうなんだ・・・」と思うものがあります。
GDPに関するウィキペディアのデータ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%B7%8F%E7%94%9F%E7%94%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
80年代、90年代の「日本=経済大国」というイメージが頭にこびりついていますが、購買力平価(PPP)でみると、IMFがまとめた2007年の“一人当たりGDP”は、シンガポール(世界6位 49,713ドル)、香港(10位 41,994ドル)に対し、日本は(24位 33,576ドル)。
まあ、シンガポール、香港は規模の小さい国で比較は難しいから・・・というところもありますが、台湾(28位 30,126ドル)韓国(34位、24,782ドル)も日本とそう大差ないレベルです。

英・独・仏各国もPPPによる一人当たりGDBでは日本とほぼ同水準ですから、こうした数字には直接には反映されない、労働時間や休暇日数に見られるような“格差”も存在する訳で、それは日本と台湾・韓国の間でも言える・・・ということでしょうか。
いずれにしても、十数年前の古びたイメージは捨てないと現実を見誤る危険があります。

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ジンバブエ  「ケニア方式」は実現できるか?

2008-07-24 20:50:20 | 国際情勢

(農園主の妻 襲撃者によって地面に投げつけられ肩を破損 火のついた小枝を口に置かれたとか・・・TIA(This is Africa) “flickr”より By Sokwanele - Zimbabwe
http://www.flickr.com/photos/sokwanele/2625296770/)

【初の直接会談】
大統領選挙後の“混乱”で国際的批判が集中しているジンバブエのムガベ大統領ですが、ようやく事態収拾に向けて重い腰をあげたような報道がされています。

********
大統領選挙の結果をめぐって政治的混乱が続いていたジンバブエで21日、ムガベ大統領と野党・民主変革運動(MDC)のツァンギライ議長が事態打開に向けて本格的な協議を開始することで合意した。
首都ハラレで行われた式典では、長らく仲介役を務めてきた南アフリカのムベキ大統領が見守る中、ムガベ大統領とツァンギライ氏が握手を交わし、ジンバブエは歴史上最もつらい時期を経験したが、今は協力していく時だと語った。
ツァンギライ氏はまた、今は「苦々しい思い」を忘れ、過去のライバルと協力して事態の解決を目指していくと語った。両者が交わした覚書きはこれまでのところ公表されていないが、ムベキ大統領によると、すべての当事者は事態の早急な解決を図りたい構えだという。
一方、ムガベ大統領は「憲法はさまざまな点で改正すべきだということで意見が一致した」と語り、ツァンギライ氏との間で憲法改正でも合意したと発言した。この発言を受け、大統領選に端を発した暴動解決のために首相職を新設して解決を図ったケニアと同様の合意がなされたのではないかとの憶測が流れている。
ムガベ大統領とツァンギライ氏の直接会談は、1999年にツァンギライ氏がMDCを結成させて以来初めて。【7月22日 AFP】
*********

“今は協力していく時だと語った。”の主語がはっきりしませんが、南アのムベキ大統領でしょうか?
ムガベ大統領が語ったのなら意味がありますが・・・。
“両者が交わした覚書き”については、下記報道があります。

*********
文書は暴力を非難し「新政府」の樹立や「再建への決意」をうたうものの、大統領派による野党弾圧の反省や、与野党和解への具体策はなく、今後の協議の難航が予想される。
合意文書はA4判5枚。「対立に終止符を打ち、暴力や腐敗のない自由な社会の再建への決意」が語られ「新政府」の樹立がうたわれている。また、「暴力を回避」して「市民生活の安全を保証」するため、声明を早急に発表するとしている。
しかし、大統領派による野党弾圧への検証や、拘束した野党支持者の解放などについては触れていない。また白人農場主の農地を強制収用し、黒人に分配する政策が欧米から非難されているが、改善への具体的な言及はなかった。さらに「外国の干渉や制裁」が議題としてあげられるなど、欧米に対して挑戦的な大統領の姿勢は維持されている。【7月23日 毎日】
*********

【欧州系企業の現地化】
遅まきながら実質的な仲介にたった南アのムベキ大統領は、首相ポストを新設してツァンギライ議長をこれにあて、権力分担をはかる「ケニア方式」を考えているようですが、ムガベ大統領が応じるか・・・難しそうな感じもします。
ムガベ大統領による選挙戦“混乱”の根底には、白人農園の強制収用等による生産低下、年率220万%に及ぶハイパーインフレーション進行による経済崩壊などの長年の“失政”がありますが、政権側は今のところ政策を改めることは考えていないようです。

*****欧州系企業を接収か=外国の圧力に反発、現地化促進目指す****
ジンバブエ政府は20日、接収の可能性がある対象として欧州系企業数百社を会計検査していると発表した。ムガベ政権に対する外国の圧力に反発する動きと伝えられている。
ジンバブエではこのほど、企業の地元所有権を強化して現地化を目指す法律が発効した。国営メディアによれば、大国によるムガベ政権への国連制裁の呼び掛けに賛同する企業は接収されるという。

サンデー・ニュース紙は政府筋の話として、欧米の反発が高まる中で、政府は友好国の企業にこれら企業を引き受けるよう要請する方針だとし、友好的とみなされる国、とりわけ極東の国の投資家がジンバブエの経済安定化プロセスを促進するため列挙されるだろうと報じた。【7月21日 時事】
************

ますます経済は混乱しそうです。
“(友好国とみなされる)極東の国の投資家”とは中国のことなのでしょうが、中国もそこまで欧米各国と事を構えるようなことをするでしょうか?。

【白人農園への襲撃】
白人農園に対する襲撃の実態を伝える記事がありました。
*****「白人はジンバブエを出ろ」…3度目の襲撃****
 午後3時半。銃を持った退役軍人ら約50人が「土地を明け渡せ。白人はジンバブエに住むべきでない」などと口走りながら、農場内の自宅に押し入った。
 (農場主の)キャンベルさんは激しく殴打された。殴られた(妻の)アンジェラさんは両手を重ね、助けを懇願したが、結婚指輪が奪われ、銃身が振り下ろされた。左腕の骨を2カ所折られた。「殺してやる」。(娘婿の)フリースさんも銃身で殴られ、左頭部から顔面にかけ長さ約15センチの深い傷を負った。時折、男たちは壁に発砲した。

 キャンベルさんら白人農場主約80人は、暴力や農場からの強制退去など、これまで受けた230件以上の人権侵害を「南部アフリカ開発共同体」(SADC)に確認するよう求める文書を提出していた。武装集団が要求したのは、この文書の取り下げだ。男たちは持参した書面へのサインを要求したが、キャンベルさんは拒否。男は指2本の骨をへし折った。銃を突き付けられアンジェラさんはやむを得ずサインした。

 その後、3人は約15キロ離れた金鉱山で、ため池に突き落とされた。「祈るしかなかった。恐怖と寒さで震えが止まらなかった」
池から引き上げられた後、南西約50キロの町で路上に放り出された。3人を救うため追跡したキャンベルさんの息子の車には約40発の銃弾が浴びせられた。
暴行中、携帯電話や財布が奪われた。自宅からは家財が持ち去られ、飼い犬も撃ち殺された。解放されたのは8時間以上がたった午後11時45分ごろだった。

 一家の農場は1713年から続く。襲われたのは00年、03年に続き3度目だ。ハラレ市内で入院中の同夫妻は「ジンバブエの農業生産に長く貢献してきたのになぜなのか。悲劇だ」と話す。
手術を終えたばかりで右目が充血し、腫れもひいていないフリースさんは語る。「それでもジンバブエは人も気候も土地もすばらしい。人種も民族もなく共に農業を営みたい。平和な国になるよう祈り続けるだけだ」
 ジンバブエでは、00年にムガベ大統領が「白人からの完全な独立」を宣言。白人農場主所有の農場を強制収用し、黒人農家などに分配する政策を打ち出した。以後、白人の農場が退役軍人らに襲われ、奪われる事件が続発。今回の大統領選が始まった3月以降、襲撃は激化した。かつて約4600人いた白人農場主は今、400人足らずに減っている。【7月24日 毎日】
*********

いまだ400人残っているのが不思議なくらいですが、こうした実力行使による白人農場の“強制収用”によって経済失政に対する国民の不満をそらす狙いがあるようです。
しかし、生産ノウハウを持たない黒人農家への無計画な分配は、結果的に生産激減を招いているとも言われています。

【これまでの政策を変えるのか?】
確かに、白人農園を否定する、これを収用して黒人のものへ転換する考え方はあろうかと思います。
“人種も民族もなく共に農業を営みたい。平和な国になるよう祈り続けるだけだ”と白人農場主は言っていますが、これまで植民地時代、そして悪名高き人種差別社会のローデシア時代をとおして、膨大な利益を得てきたのは一握りの白人達であったのは事実ですから、その清算を黒人側が要求する考え方は当然にあると思います。
“今まで同様に平和に農場が営める”と考えるのは、今まで収奪された側からすれば手前勝手とも思われます。

ジンバブエ・ムガベ大統領は、政権当初“白人農園の市場価格での買い取り”という穏便な方法を選択して、“脱アパルトヘイト”のモデルケースとも目されましたが、諸般の経緯で資金的に破綻、宗主国のイギリスとの対立が激化し、近年の“襲撃”による強制収用に至っています。

日本の農地改革を含め、世の中には“革命”的な社会変革もありえますので、一概に強制収用を否定できませんが、少なくとも上記記事のような“襲撃”という剥き出しの暴力を是認したくはありません。
(法律に基づいて粛々と進められる“拘束”のような“暴力”ならいいのか?という問題にはなりますが・・・)
また、結果として生産現場が破壊されて国民経済が疲弊しており、ジンバブエの場合、政策的な失敗であるとも言えます。

こうした状況を見ると、これまでの政治の総括が必要であり、単にふたりを組み合わせて「ケニア方式」で・・・というのはやはり難しいようにも思えます。
仮にスタートしても無理がすぐに出るのでは。
それしか途がなければ止むを得ませんが。

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インド  “世界最大の民主主義国”に対する“特例的”原子力協定

2008-07-23 15:17:55 | 国際情勢

(“taj mahal nuclear plant”というタイトルがついていますが、実際にタージ・マハール近郊に原発施設があると言う訳ではない・・・と思います。“flickr” By jrambow
http://www.flickr.com/photos/rambow/127532058/)

【内閣信任 可決はしたものの・・・】
インドはときに“世界最大の民主主義国”と呼ばれます。
それは欧米的“民主主義国”とは異なる政治体制の中国を除くと、世界最大の国民を有しているということだけでなく、1947年に英植民地支配から独立したインドの政権交代が、つねに選挙または決められた法的手続きによって実現されてきたこと、クーデター等による非合法な政治変革を経験していないということによるものです。

しかし、人口の過半数を占める貧困層の存在、宗教・カースト・種族による対立や差別・・・“世界最大の民主主義国”にふさわしくない側面を色濃く残す社会でもあります。

そんなインドで昨日、アメリカからの核燃料や原子炉の供給を可能にする米印原子力協力協定を推進するシン内閣の信任投票が行われ、賛成275、反対256の9票差で内閣は信任されました。
これまで与党国民会議派と連立を組んできた左翼4党が“原子力協力協定によって、伝統的に非同盟を維持してきたインドと米国との結びつきが強くなりすぎる”と反対して連立を解消、最大野党の右派インド人民党も“協定はインドの核実験再開の余地を奪う”と反対。
左翼4党の連立解消で過半数割れに追い込まれたシン首相は、“成長著しいインド経済のエネルギー需要を満たすためには米印原子力協力協定は必要不可欠”と、自身の内閣の信任を問う“賭け”に出て、その結果の信任獲得でした。

この信任を得るため、社会党など少数政党に閣僚ポストをばらまく多数派工作も行われましたが、僅差の勝負が予想され、政府は収監中の下院議員6人(多分与党側の議員)に対し投票のために保釈を認める措置を取ったそうです。
一方の野党側も、心臓のバイパス手術を受けた議員を含む、病気療養中の下院議員を召集するため、チャーター機を手配したとか。【7月22日 AFP】

更に、投票直前に、最大野党インド人民党の議員が「投票を棄権するようにと現金を渡された」と告発。
与党側から受け取ったとされる大量の現金の札束を議場で示し、議場は紛糾して審議が一時ストップする事態もありました。
人民党は議長に調査を求めるとともに「倫理的責任を求める」としてシン首相の辞任を要求しており、今後に尾をひくものと報道されています。

こうした話を聞くと、“世界最大の民主主義国”も日本と五十歩百歩かと安心するところもあります。
しかし、この米印原子力協力協定の問題は、1年近く前の昨年8月19日ブログ「インド 民生用核協力協定の行方、そしてアジアは」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070819)で取り上げたところで、そのときと状況は全く変わっていません。

【動き出す米印原子力協力協定】
この1年間、全く進展が見られなかったというか、辛抱強く反対勢力への民主的説得が続けられていたというか・・・いずれにしても強権国家ではありえない話です。
その意味では、確かに“民主主義国家”に値するのかも。

インドの原子力発電事情は厳しい状態にあります。
国営の原子力発電公社(NPCIL)によると、民生用原子炉17基のうち1基はウラン燃料不足のために運転停止を強いられているほか、稼働中の原子炉も同じ理由から軒並み発電量を大幅(50~70%)に落としています。
核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドは、ウラン燃料の輸入に国際的な規制が掛かっており、2002年に90%だった設備稼働率は年々低下を続けています。 【07年10月23日 時事】
シン首相が内閣の命運をかけて協定を推進する背景にはこのような事情があると思われます。

上記“現金買収”騒動がどう展開するのかはわかりませんが、一応インド国内はこれでクリアしたかたちです。
しかし、国際的な手続き・ハードルが待ち受けているのは各紙が報道しているところですし、上記1年前のブログで取り上げた問題がそっくりそのまま残っています。

北海道洞爺湖サミットで、インドのシン首相はブッシュ米大統領に対し、米印の民生用原子力協定の発効に向けた国際原子力機関(IAEA)との査察協定締結手続きを開始したと伝えました。
今後IAEAが査察協定を締結すること、更に、査察協定締結後に原子力供給国グループ(NSG)と米議会の承認が必要となります。
まず、8月1日にはIAEA理事会が開かれ、査察協定が討議されます。
日本など45カ国が参加するNSGは、ウランなど原子力燃料や技術の国際間取引を管理していますが、参加国の中には核拡散防止条約(NPT)非加盟のインドを例外扱いすることへの懸念が潜在しています。
米議会内にもこの点について反対する向きがあると聞きます。

【アメリカの“ダブル・スタンダード”】
“例外扱い”と言えば、確かにアメリカのインド厚遇は“ダブル・スタンダード”でしょう。
「平和目的で原子力を求める国々にウラン濃縮や再処理は必要ない」と強調し、核兵器につながる再処理・ウラン濃縮技術の拡散防止を振りかざしてイラン・北朝鮮に制裁を課し、場合によっては実力で排除しようかというブッシュ政権が、一方で核拡散防止条約(NPT)枠外の核保有国インドに米国製核燃料の再処理を認めるという二重基準に他なりません。

また、インドが核実験を実施した場合、米国は燃料返還を求める権利を確保する一方で、供給継続の担保として戦略備蓄や国際市場へのアクセス確保で支援を約束。米国が仮に供給を停止しても、インドが他国から燃料を輸入する道は残した内容になっています。
これを受けてシン首相は“インドの核実験再開が制約される”という野党からの批判に対して、下院本会議で「合意は、インドが将来必要に迫られれば核実験を実施する権利に何ら影響を及ぼすものではない」と述べ、核実験の権利を保留していることを明言しています。

なぜ、NPT非加盟のインドを例外扱いしないといけないのか?
民生用核の支援が、軍事目的に援用され、核実験再開につながらないのか?
今後、NSGの一員である日本も、その判断を求められます。
アメリカがインドを“例外”とする“二重基準”を使うのは、インドが将来ますますプレゼンスを高める“最大の民主主義国”であるからに他なりません。
中国やイランをにらんだ世界戦略の一環でしょう。

理屈を言えば“おかしな話”ですが、すでに核兵器保有している一部の国以外の核兵器保有を禁じるというNPT自体が、極めて“現実妥協的”な存在です。
そんな現実を踏まえて、昨年8月のブログでは“このまま国際監視の枠外にインドを放置するよりは、不完全でも国際監視の枠内に取り込んでいったほうが、世界全体の核管理の視点からベターではないか・・・”という個人的意見を述べています。

しかし、ここ1年のイラン・北朝鮮への制裁、シリア核施設攻撃、イラン核施設爆撃の噂・・・そういったものを考えると、やはりインドの特別扱いには釈然としないものが残ります。
“世界最大の民主主義国”と“ならずもの国家”の違いと言えばそれまでですが。
せめて、核実験再開に対する何らかの歯止めが担保されない限りは、例外を認めるべきではないのでは・・・そんな思いがしています。


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2050年 世界人口は120億人 蜘蛛の糸

2008-07-22 18:32:59 | 世相

(昨年11月バングラデシュを襲ったサイクロン・シドルによって被害を受けた田。収穫は前年の1割程度とか。 “flickr”より By IRRI Images
http://www.flickr.com/photos/ricephotos/2247242833/)

【日本の少子化】
国立社会保障・人口問題研究所の平成18年12月推計によれば、日本の人口は平成17年の12,777万人から、2050年には9,555万人(合計特殊出生率を1.26と仮定した中位推計。 同1.55と仮定した高位推計では10,195万人、同1.06と仮定した低位推計で8,997万人)へ減少するとされています。

人口推計の主な変動要因は出生率です。
最近の合計特殊出生率は下げ止まって若干持ち直しているようですが、高位推計で仮定しているようなレベルは抜本的な少子化対策でもなければ難しいでしょう。
むしろ、今のレベルから更に落ち込む危険の方が現実的かも。
まあ、そんな状況ですので、いずれにしても2050年の日本の人口は9,500万前後、1億弱というところでしょう。

これだけ問題があきらかなのに、国家的な戦略が立てられないというのは日本も不思議な国です。
私はその頃はもう生きていないかもしれないので、どうでもいいですが。
アメリカ以外の先進国はどこも同様な少子化の問題を抱えており、その中でフランスが相当高い出生率を達成していることは以前も触れたことがあります。

【世界の人口爆発】
一方、世界全体で見ると、少子化どころではなく、全く逆の人口爆発状態です。
“適切な避妊が推進されなければ”、現在の64億人から、2012年には70億人、2050年には120億人にまで急増する見込みだそうです。

****家族計画失敗で2050年には人口120億人に****
現在の世界人口は64億人。適切な避妊が推進されなければ、2012年には70億人、2050年には120億人にまで急増するとみられている。
国連人口基金によると、世界で1年間に1.9億人の女性が妊娠するが、このうち5000万人が中絶を行っているという。しかし、不適切な中絶手術のために推定6.8万人が毎年死亡し、多数の女性が障害を負っている。

しかし、女性の死亡率を下げるための予算は圧倒的に不足している。
そのひとつの理由は、米国のブッシュ政権が、国内の政治的理由から国連人口基金への拠出金を意図的に滞納しているからだ。つい先週には分担金3400万ドルの支払いをしないことを決めた。これは国連人口基金の予算の10%にあたる。ブッシュ政権は2002年以降、計2.35億ドルの支払いを滞らせている。

ブッシュ政権が滞納の理由としてあげているのは、国連人口基金が中国で行っているプロジェクトだ。米国は、基金が中国で強制的な中絶や不妊治療に資金を投じていると非難している。しかし、国連はこれを否定している。

基金で女性問題の責任者を務めるタマラ・クレイニン氏によれば、米国が今年滞納している3400万ドルによって、200万人の意図せざる妊娠、80万人の中絶、4700人の妊婦の死亡、7万7000人の乳幼児の死亡を防ぐことができるという。【7月19日 IPS】
********

避妊について冷淡なのはアメリカだけではありません。
カトリック教会の祭典「世界青年の日」のためローマ法王ベネディクト16世が訪問中のオーストラリアのメルボルンで20日、Coalition of Compassionのメンバーが巨大なコンドームを模した衣装を身につけ、コンドームの使用を認めない法王に対する抗議の声を上げたそうです。
また、同日シドニーでは、カトリック教徒数万人がコンドームの使用や性の自由を求めて抗議運動が展開したとか。
【7月21日 AFP】
コンドームの問題は女性の権利、人口問題のほか、エイズ問題にも関係します。

【豊かさを求める人々】
こうして人口は爆発するだけでなく、増加した人々はますます豊かさを求めます。
昨日放映されたNHKの番組“インドの衝撃”は、これまで市場としての価値が認めらなかった農村貧困層をターゲットにした販売戦略を紹介したものでした。
農村の女性を販売員に教育する企業、インターネットによる買取価格に関する情報提供で従来の流通システムを超えて農家と直接取引をする企業・・・そうした企業側の努力もさることながら、次第に商品経済に目覚め、引き込まれていく農村貧困層の人々存在感が印象的でした。

上記のインターネット情報を利用するおかげで以前より豊かになったある農家は、高価なカラーTVを購入します。
その農家の女性は「お金持ちになったみたい」と大きな笑い声をあげて喜びます。
インドの経済成長はまだまだスタート地点に立ったかどうかという段階で、本格化するのはこれからでしょう。
膨大な農村貧困層が商品経済へ怒涛のごとく押し寄せてきて、ある者は豊かさを手に入れ、ある者は格差を恨むことになるのでしょう。
そんなに無分別に商品経済の世界に引き込んでいいのだろうか・・・というためらいも感じます。
この激流に自分達が今手にしている豊かさが押し流されてしまうのでは・・・という勝手な不安、“蜘蛛の糸”のような思いも感じます。

いずれにしても、世界はこの爆発する人口、豊かさを求める人々を支えることができるのか・・・そうした素朴な疑問を感ぜずにはいられません。
そのために、世界各国の首脳が会議を開き、英知を結集して対策を練っているのでしょが、こころもとないように思えて仕方がありません。
人口増加、豊かさを求める人々の欲求・・・そうした社会変化のスピードについていけてないのではとも危惧します。

【洪水耐性稲の試験】
まずは食糧です。
温暖化ガスをめぐる2050年論議がなされていますが、2050年の120億人まで増加した世界人口を養う食糧がきちんと確保できるのか?という問題の方がより深刻なように思えます。

日本・アジアではコメの問題になります。
食糧生産の問題は、国内の種々の生産を取り巻く問題、今WTOで議論しているような国際的な条件・環境整備の問題など多岐にわたりますが、そのひとつが品種改良の問題。

毎年アジアでは台風・サイクロンの洪水によって農作物も甚大な被害を受けます。
一面冠水した田畑の映像を見ると、これらの農家は今年どうするのだろうか・・・という思いもします。
先日TVで、そんな冠水にも耐える稲の品種改良を行っている国際稲研究所が紹介されていました。

この冠水に耐える稲は単純な交配によってではなく、遺伝子研究によってもたらされたもので、洪水耐性だけでなく品質も確保されたものとか。
すでに数カ国で試験が行われています。
ささやかではありますが、心強く思える情報です。
日本はこうした技術面でもっと世界・アジアに貢献できるものがあると思うのですが。



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