(「私たちには教育を受ける権利がある」、イスラム主義勢力タリバンを前に、アフガニスタンの15歳の少女が声を上げました。【12月30日 日テレNEWS24】)
【アフガンに民主主義はなじまない(タリバン幹部) 選挙管理委員会を解体】
この1年、国際面のニュースで一番印象的だったのはアフガニスタンの政権崩壊とタリバン支配の復活でした。
状況から見て「時間の問題」とは思っていましたし、米軍幹部などの予想にも「そんなに長くは持たないのでは・・・」とも思っていましたが、政権側が抵抗らしい抵抗も出来ずに、これほど劇的に変化するとは・・・
タリバン支配の在り様は、これまでも度たび取り上げてきたところですが、欧米の批判をかわし、国家承認を取り付けたい狙いから、政権幹部からの旧タリバン政権当時に比べると比較的穏健な発言もあるものの、現場から報じられる女性の権利、人権、民主主義、国内融和などに関するその実態は「やはりタリバンに多くを期待するのは無理か・・・」という感は否めません。
最近のタリバン政権の表向きの言動も、「やはり・・・」という懸念を裏付けるようなものとなっています。
****タリバン、選管を解体=民主制への影響懸念―アフガン****
アフガニスタンのイスラム主義組織タリバン暫定政権は25日、選挙管理委員会を解体したと発表した。
報道担当者は「必要があれば再び組織する」と述べたが、タリバンはもともと民主制には懐疑的な立場を取ってきた。女性や少数派の意見を反映した包括的政権実現の可能性がまた一歩遠のいたのではないかと懸念されている。
地元民放トロTVによると、暫定政権のカリミ副報道官は25日、記者団に対し「欠員に伴い政府職員を募集中だ。不要のため解体された政府機関の職員は他の職務に充てるべきだ」と選管解体の正当性を主張した。暫定政権への移行後、女性職員の労働が規制され、タリバンの報復を恐れ、出勤を見合わせる旧民主政権職員も多い。
暫定政権は他にも議会に関連する省庁などを解体した。カリミ氏は「必要があれば再び組織する」と説明したものの、タリバン幹部は今年8月中旬に政権を掌握後、アフガンに民主主義はなじまないといった発言を繰り返しており、見通しは暗い。
トロTVによれば、アフガンの政治評論家サイード・ハールーン・ハーシミー氏は「共和制や民主主義の破壊の第一歩だ」と批判した。
アフガンではこのほか、暫定政権下での経済的混乱やタリバンの脅迫などに伴い、報道機関の閉鎖やジャーナリストの失職も続いている。政権についての情報を国民に提供する機会が失われ、危機感が広がっている。
国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(RSF)は今月20日、タリバンの政権掌握後にアフガン全体の6割に当たる6400人以上のジャーナリストが失職したと発表した。特に女性ジャーナリストは8割が職を離れた。その後殺害されるケースも続発している。【12月26日 時事】
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タリバン支配のもとでの民主的な選挙、報道の自由を期待するのが「無理」というものでしょう。
【女性単独での遠出禁止 車内で音楽禁止 礼拝時間は停車 イスラム支配の現実】
女性の権利についても・・・・
****女性の遠出、男性伴わねば禁止 タリバン****
アフガニスタンで実権を握るイスラム主義組織タリバン暫定政権は26日、近親男性が同伴しない限り女性の遠出を禁止すると発表した。勧善懲悪省がソーシャルメディアに新指針を投稿した。
タリバンはさらに、全ての車両所有者に対し、髪をスカーフなどで覆っていない女性の乗車を拒否するよう求めた。車内で音楽をかけることも禁止される。
勧善懲悪省の報道官はAFPに対し「女性が45マイル(約72キロ)以上移動する場合、近親者が同伴しなければならない」と説明した。近親者は男性に限るという。女性が移動する場合、「ヒジャブ」の着用が求められるとも述べた。
タリバンは8月15日に実権を掌握すると、公的部門で働いていた女性の復職を禁じた。また、大半の女子生徒が中等教育を依然受けられていない。 【12月27日 AFP】
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女性単独での近場の外出を禁止していないだけ、まだましということでしょう。
ただ、遠出であれ近場であれ、女性が外に出ることへ厳しい目が向けられることになります。
音楽・テレビ・映画・サッカー・闘犬・凧あげなど市民生活における「娯楽」も旧タリバン政権では禁じられましたが、再びその兆しが。
****「車内で音楽禁止」「礼拝時間は停車」…タリバンのイスラム教解釈が先鋭化****
(中略)また、暫定政権の勧善懲悪省は、走行中の車内で音楽を聞くことを禁止し、礼拝の時間には停車することを義務づける通達を出した。イスラム教の規範を独自解釈して社会に適用する動きを加速させている。(後略)【12月26日 読売】
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「走行中の車内」に限定したのはどういう思惑か?
運転の妨げになるという“大義名分”で導入しやすい場面から「禁止」を導入し、やがては範囲を拡大しようというものでしょうか?
「礼拝の時間には停車」
以前、マレーシアの東海岸コタバルを観光したことがありますが、この地域はほとんどがイスラム教徒で、イスラム原理主義政党PASが支配する地域。
広場を多くの屋台が埋める市場を散策していると、礼拝を告げるアザーンが鳴り響き、拡声器を抱えた男性が。 言っていることはわかりませんが、多分「お祈りの時間だ。みんなモスクへ行け」と言っているのでしょう。
大勢の人で賑わっていた市場は、客も売り手もほとんどいなくなりガランとした状態に。
誰も肉を焼いている途中でモスクに行きたいとは思わないでしょう。多分、逆らうと営業出来なくなるのでしょう。
「イスラム支配というのはこういうものか・・・」と実感しました。
【「なぜ女子は学校に行けないのでしょうか? 私たちには教育を受ける権利があります。」】
こうしたタリバン支配の「本音」が次第に明らかになる状況で、女性の教育を受ける権利をタリバンに求めた少女がいるとのこと。
****「教育を」タリバンを前に声を上げた少女****
「私たちには教育を受ける権利がある」、イスラム主義勢力タリバンを前に、アフガニスタンの15歳の少女が声を上げました。タリバンが実権を握り、多くの女子生徒が学校に行けない中、少女の勇気ある行動に、世界的な注目が集まっています。
■「学校に行く権利がある」マララさん届けた少女のメッセージ
2021年12月、ノーベル平和賞の受賞者で人権活動家のマララ・ユスフザイさんは、アメリカのブリンケン国務長官と面会した際、あるアフガンの少女の手紙を読み上げ、女子教育への支援を訴えました。
「学校や大学が女子に閉ざされている時間が長ければ長いほど、私たちの未来への希望は失われていきます。女子教育は、平和と安全を築くための強力なツールです。私たちには、学校に行く権利があるのです」
■少女はタリバンを前に、ある驚きの行動に…
この手紙をマララさんに託したのは、アフガン西部ヘラート州に住む、15歳のソトゥーダ・フォロタンさん。日本の高校1年生にあたります。この2か月前、タリバンの当局者ら200人を前に、ある驚きの行動に出ていました。
イスラム教の預言者ムハンマドの誕生日を祝う行事で、詩を朗読する予定だったソトゥーダさん。壇上に上がると突然、こう訴えました。
「ヘラートは知識と文化の街なのに、なぜ女子は学校に行けないのでしょうか? 私たちには教育を受ける権利があります。女子のために、学校の扉を開けてください」
タリバンの旗がたなびく壇上で「学校に戻りたい」と、自らの思いを語ったのです。地元メディアによりますと、彼女の勇気あるスピーチの動画はSNSでも話題となり、タリバンのメンバーの中にも称賛する声があったといいます。
■少女の訴えは、地元政府を動かした
旧政権下では、女子教育を禁じていたタリバン。21年8月に実権を掌握した後は、女子の通学を小学校については認めたものの、中学・高校についてはいまだに認めていません。
教師の母に育てられたソトゥーダさんは、こうした状況の中で、女子のクラスメートの思いも背負い、教育を受ける権利を求めて声を上げたのです。女性初の外務大臣になりたいという夢が、ソトゥーダさんの勇気の源だといいます。
スピーチからおよそ2週間後、ヘラート州では、中学・高校の女子の通学が認められたのです。
■女子教育の再開…教師らによる粘り強い交渉も
(中略)タリバン暫定政権が正式に中学・高校の女子生徒の通学を認めていない中、なぜヘラート州は女子教育の再開に踏み切ったのでしょうか。ソトゥーダさんの訴え以外にも、現場の教師や保護者らの取り組みが後押ししたといいます。
AP通信によりますと、ヘラート州では、教師や保護者らが地元のタリバン当局者と粘り強く交渉を続けました。暫定政権の許可なしには再開できないとする地元のタリバン当局者に対し、学校では男女が分離されており、女子には女性教師が教えることや、女子はヒジャブを身に着けることなどを徹底すると訴えたのです。その結果、州独自の判断として、女子の通学が認められました。
ヘラート州以外でも一部の地域で、中学・高校への女子の通学が認められています。しかし、あくまで各地域の独自の判断とみられ、首都カブールなど多くの地域では、女子生徒が学校に行けない状態が続いています。
■貧困や治安の悪化で「教育現場は崩壊」の声
また、国民の多くが日々の食事にも困っている中で、学校に子どもを通わせる余裕のある家庭は多くないのが現状です。「教育現場は崩壊している」カーブルの複数の中学や高校で教師をしている女性は、NNNの取材にこう訴えました。
女性は21年11月から教師の仕事に復帰したものの、学校に通えるはずの男子生徒も、貧困や治安の問題で、およそ2割しか通学できていないといいます。
12月には、教えている男子生徒が通学途中に誘拐され、身代金を要求されるという出来事も。家族が身代金を払い解放されたものの、男子生徒は精神的なショックで学校には戻れず、他の生徒や教師にも動揺が広がっているといいます。
また、いまだ学校に行けない女子生徒らは自宅で自習するしかなく、将来に希望を見いだせない状態だといいます。女性の元には「奨学金をもらって海外で勉強したい」という相談も寄せられています。
■高まる“児童婚”のリスク
さらに深刻な問題もあります。ユニセフ(=国連児童基金)は、「10代の女子たちが学校に戻れない状況が続くと、児童婚のリスクが高まる」と警鐘を鳴らします。
ある学校の教師は、イギリスBBCの取材に対し、「タリバンが実権を握って以降、15歳以下の女子生徒少なくとも3人が結婚を余儀なくされた」と証言しました。女子生徒が学校に行けず、家にいるだけの状況に家族が不満を募らせると、こうした児童婚の増加に拍車がかかるのではないかと危惧していました。
■2022年 女子生徒は学校に戻れるか
タリバンを前に、教育を受ける権利を訴えたソトゥーダさん。イギリス・フィナンシャルタイムズ紙の、21年の「最も影響力がある女性25人」にも選ばれました。
しかしその後、脅迫を受けるなどして、学校に行けない状況に逆戻りしてしまったといいます。「彼女はオリに閉じ込められたカナリアのようだ」父親は、ソトゥーダさんの近況について、地元メディアにこう語っています。
また、一部の中学・高校では、女子生徒の通学を再開できても、説明もなく再び禁止されたり、タリバンの戦闘員が通学途中に女子生徒の服装を確認したりするため、多くの女子生徒が恐怖から登校をやめてしまったケースもあるといいます。
タリバン暫定政権は、22年に新たな教育政策が承認されるまで、女子生徒が中学・高校に通うことは許可しないとしています。タリバンが今後、どのような方針を示すのか、国際社会による監視と検証が求められます。【12月30日 日テレNEWS24】
■「学校に行く権利がある」マララさん届けた少女のメッセージ
2021年12月、ノーベル平和賞の受賞者で人権活動家のマララ・ユスフザイさんは、アメリカのブリンケン国務長官と面会した際、あるアフガンの少女の手紙を読み上げ、女子教育への支援を訴えました。
「学校や大学が女子に閉ざされている時間が長ければ長いほど、私たちの未来への希望は失われていきます。女子教育は、平和と安全を築くための強力なツールです。私たちには、学校に行く権利があるのです」
■少女はタリバンを前に、ある驚きの行動に…
この手紙をマララさんに託したのは、アフガン西部ヘラート州に住む、15歳のソトゥーダ・フォロタンさん。日本の高校1年生にあたります。この2か月前、タリバンの当局者ら200人を前に、ある驚きの行動に出ていました。
イスラム教の預言者ムハンマドの誕生日を祝う行事で、詩を朗読する予定だったソトゥーダさん。壇上に上がると突然、こう訴えました。
「ヘラートは知識と文化の街なのに、なぜ女子は学校に行けないのでしょうか? 私たちには教育を受ける権利があります。女子のために、学校の扉を開けてください」
タリバンの旗がたなびく壇上で「学校に戻りたい」と、自らの思いを語ったのです。地元メディアによりますと、彼女の勇気あるスピーチの動画はSNSでも話題となり、タリバンのメンバーの中にも称賛する声があったといいます。
■少女の訴えは、地元政府を動かした
旧政権下では、女子教育を禁じていたタリバン。21年8月に実権を掌握した後は、女子の通学を小学校については認めたものの、中学・高校についてはいまだに認めていません。
教師の母に育てられたソトゥーダさんは、こうした状況の中で、女子のクラスメートの思いも背負い、教育を受ける権利を求めて声を上げたのです。女性初の外務大臣になりたいという夢が、ソトゥーダさんの勇気の源だといいます。
スピーチからおよそ2週間後、ヘラート州では、中学・高校の女子の通学が認められたのです。
■女子教育の再開…教師らによる粘り強い交渉も
(中略)タリバン暫定政権が正式に中学・高校の女子生徒の通学を認めていない中、なぜヘラート州は女子教育の再開に踏み切ったのでしょうか。ソトゥーダさんの訴え以外にも、現場の教師や保護者らの取り組みが後押ししたといいます。
AP通信によりますと、ヘラート州では、教師や保護者らが地元のタリバン当局者と粘り強く交渉を続けました。暫定政権の許可なしには再開できないとする地元のタリバン当局者に対し、学校では男女が分離されており、女子には女性教師が教えることや、女子はヒジャブを身に着けることなどを徹底すると訴えたのです。その結果、州独自の判断として、女子の通学が認められました。
ヘラート州以外でも一部の地域で、中学・高校への女子の通学が認められています。しかし、あくまで各地域の独自の判断とみられ、首都カブールなど多くの地域では、女子生徒が学校に行けない状態が続いています。
■貧困や治安の悪化で「教育現場は崩壊」の声
また、国民の多くが日々の食事にも困っている中で、学校に子どもを通わせる余裕のある家庭は多くないのが現状です。「教育現場は崩壊している」カーブルの複数の中学や高校で教師をしている女性は、NNNの取材にこう訴えました。
女性は21年11月から教師の仕事に復帰したものの、学校に通えるはずの男子生徒も、貧困や治安の問題で、およそ2割しか通学できていないといいます。
12月には、教えている男子生徒が通学途中に誘拐され、身代金を要求されるという出来事も。家族が身代金を払い解放されたものの、男子生徒は精神的なショックで学校には戻れず、他の生徒や教師にも動揺が広がっているといいます。
また、いまだ学校に行けない女子生徒らは自宅で自習するしかなく、将来に希望を見いだせない状態だといいます。女性の元には「奨学金をもらって海外で勉強したい」という相談も寄せられています。
■高まる“児童婚”のリスク
さらに深刻な問題もあります。ユニセフ(=国連児童基金)は、「10代の女子たちが学校に戻れない状況が続くと、児童婚のリスクが高まる」と警鐘を鳴らします。
ある学校の教師は、イギリスBBCの取材に対し、「タリバンが実権を握って以降、15歳以下の女子生徒少なくとも3人が結婚を余儀なくされた」と証言しました。女子生徒が学校に行けず、家にいるだけの状況に家族が不満を募らせると、こうした児童婚の増加に拍車がかかるのではないかと危惧していました。
■2022年 女子生徒は学校に戻れるか
タリバンを前に、教育を受ける権利を訴えたソトゥーダさん。イギリス・フィナンシャルタイムズ紙の、21年の「最も影響力がある女性25人」にも選ばれました。
しかしその後、脅迫を受けるなどして、学校に行けない状況に逆戻りしてしまったといいます。「彼女はオリに閉じ込められたカナリアのようだ」父親は、ソトゥーダさんの近況について、地元メディアにこう語っています。
また、一部の中学・高校では、女子生徒の通学を再開できても、説明もなく再び禁止されたり、タリバンの戦闘員が通学途中に女子生徒の服装を確認したりするため、多くの女子生徒が恐怖から登校をやめてしまったケースもあるといいます。
タリバン暫定政権は、22年に新たな教育政策が承認されるまで、女子生徒が中学・高校に通うことは許可しないとしています。タリバンが今後、どのような方針を示すのか、国際社会による監視と検証が求められます。【12月30日 日テレNEWS24】
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少女の声に耳を傾けたタリバンも少なくなかったことでもわかるように、タリバンの中にも一定に女子教育の必要性に理解を示す者もいるのでしょうが、「宗教上の正義」を振りかざされたとき、そういう「理解」は抑圧されていまいがちです。
【社会にも受け入れられず、冬を迎え、一層厳しさを増す難民の暮らし】
厳しい状況はアフガニスタン後に暮らす人々だけでなく、様々な脅威から国を離れた難民も同じです。
****冬を迎え厳しさ増すアフガン難民家族の今***
イスラム主義勢力タリバンから逃れるため、アフガニスタンを脱出した大勢の難民たち。食料は不足し、満足な暖房器具もないまま冬を迎えている。あるアフガン難民家族に話を聞くと、故郷を捨て国外に逃れた彼らを待つ過酷な現実が浮き彫りになった。(中略)
■難民の受け入れはわずか、多くは「不法入国者」
イギリスにたどり着くことができた難民は幸運なほうだ。イギリスは約2万人のアフガン難民の受け入れを表明していて、彼らには居住や就労の権利が与えられる。
しかし、国外に逃れた全てのアフガン人がそうした待遇を得られるかというと、そうではない。
私は21年10月にトルコにやってきたアフガニスタン人の取材をした。彼らは密航業者に1人数百ドルの手数料を払い越境してきた「不法入国者」だ。「不法入国者」であるが故に正規の仕事には就けず、学校にも通えず、病院に行くことすらできない。もちろん治安当局に見つかれば拘束されてしまう。冬を迎え、彼らの生活は一層厳しさを増している。
彼らは今どのように暮らしているのか、オンラインで再び顔を合わせた。【取材日2021年12月16日】
■父親がタリバンに殺され…難民家族の今
話を聞いたのは母親(46)、長男(15)、二男(8)の3人家族。軍人だった父はタリバンに連行され、殺害されたという。身の危険を感じ、21年8月にアフガンを脱出、イランとトルコの国境近くにある街にたどり着いた。
寒さが厳しく、冬の最低気温はマイナス10℃近くにもなるという街。密航業者の仲介により、街はずれの民家の一室を借りて暮らしているが、部屋には暖房器具も給湯設備もなく、厳しい生活を送っている。母親は病気で働けないため、長男と二男が飲食店や商店の雑用で毎月日本円にして7000円程度を稼ぎ、生活を支える。
――食べ物は足りていますか?
(母)いいえ、残念ながら十分ではありません。
――家族の健康状態はどうですか?
(母)ここの寒さのせいで、家では二男がインフルエンザにかかり、せきをして熱を出していました。その前には、長男も病気になりました。私自身も腰の骨に問題を抱えていて痛みがあり、働けない上、家でもなかなか動けません。私たちは寒さと病気に悩まされています。
――病気になった場合、どうしていますか?
(母)こちらでは身分証明書を持っていないので、医者に行って診察してもらったり、処方箋をもらったりすることができません。治るまで、あるいは死んでしまうかもしれませんが、ただ家にいることしかできません。誰も私たちに関心を持っていません。そのため、状況は日に日に悪くなっています。
――将来の見通しについて、どう考えていますか?
(母)子どもたちの将来のために、どこかの国で教育を受けさせ、前に進んで行きたいと思っています。しかし、今の私たちにはトルコに滞在するための資格がありません。イスタンブールに移動するためのお金もありません。私たちは苦しんでいます。二男は週に100トルコリラ(約900円)で働いていますが、長男は先日仕事を解雇されてしまいました。
――滞在資格を得るための法的な問題について、サポートをしてくれる人はいますか?
(母)いいえ、法的問題についてサポートしてくれる人はいません。ここには誰も知り合いがいません。
■2人の子どもは学校に通えず生活費を稼ぐ毎日
――トルコで友達はできましたか?
(長男)トルコ語がわからないので友人ができません。私は一人で落ち込んでいます。
――状況は良くなっていますか?
(二男)いいえ、以前よりも状況は悪くなっています。私は仕事をしていますが、失敗をすると殴られ、または罰としてよりきつい仕事をさせられます。私にとっては最悪の状況です。
――今、何を一番望んでいますか?
(二男)自分と家族のために、平穏な日を過ごしたいです。毎日が良い日であってほしい。滞在の資格や身分証明書を得たい。良い人生を過ごしたいです。
(母)私は息子たちに良い未来を望んでいます。彼らが教育を受け、とても良い未来が待っていることを。もちろん、現在の生活で言えば、全てのものが必要です。洗濯機がない、冷蔵庫がない、お湯は出ない、暖房器具もない。私はたくさんの問題を抱えています。この部屋は寒くて、例えば壁に触れられないくらいです。病気にもなってしまいました。
(母)まずはトルコに受け入れてもらえなければなりません。病気になったら、医者に行かなければいけないのに、今私たちは医者に行くこともできません。
取材した家族は未来に全く希望を見いだせない今の状況に涙を流していた。
トルコ政府も難民を受け入れたい思いがないわけではない。しかし、現地の難民収容センターによれば、トルコはすでにおよそ500万人のシリア難民を受け入れていて、さらにアフガニスタンからの難民を受け入れる余裕はないのだという。
アフガニスタン難民の問題はG7、あるいはG20などで議論されている。人数が膨大な上に広い地域に拡散しているため手が回り切らないのが現状だが、引き続き国際社会の中での主要課題として位置づける必要があるだろう。
私が取材した家族のような、アフガン難民を取り巻く環境が、22年は少しでも改善されることを願ってやまない。【12月30日 日テレNEWS24】
イスラム主義勢力タリバンから逃れるため、アフガニスタンを脱出した大勢の難民たち。食料は不足し、満足な暖房器具もないまま冬を迎えている。あるアフガン難民家族に話を聞くと、故郷を捨て国外に逃れた彼らを待つ過酷な現実が浮き彫りになった。(中略)
■難民の受け入れはわずか、多くは「不法入国者」
イギリスにたどり着くことができた難民は幸運なほうだ。イギリスは約2万人のアフガン難民の受け入れを表明していて、彼らには居住や就労の権利が与えられる。
しかし、国外に逃れた全てのアフガン人がそうした待遇を得られるかというと、そうではない。
私は21年10月にトルコにやってきたアフガニスタン人の取材をした。彼らは密航業者に1人数百ドルの手数料を払い越境してきた「不法入国者」だ。「不法入国者」であるが故に正規の仕事には就けず、学校にも通えず、病院に行くことすらできない。もちろん治安当局に見つかれば拘束されてしまう。冬を迎え、彼らの生活は一層厳しさを増している。
彼らは今どのように暮らしているのか、オンラインで再び顔を合わせた。【取材日2021年12月16日】
■父親がタリバンに殺され…難民家族の今
話を聞いたのは母親(46)、長男(15)、二男(8)の3人家族。軍人だった父はタリバンに連行され、殺害されたという。身の危険を感じ、21年8月にアフガンを脱出、イランとトルコの国境近くにある街にたどり着いた。
寒さが厳しく、冬の最低気温はマイナス10℃近くにもなるという街。密航業者の仲介により、街はずれの民家の一室を借りて暮らしているが、部屋には暖房器具も給湯設備もなく、厳しい生活を送っている。母親は病気で働けないため、長男と二男が飲食店や商店の雑用で毎月日本円にして7000円程度を稼ぎ、生活を支える。
――食べ物は足りていますか?
(母)いいえ、残念ながら十分ではありません。
――家族の健康状態はどうですか?
(母)ここの寒さのせいで、家では二男がインフルエンザにかかり、せきをして熱を出していました。その前には、長男も病気になりました。私自身も腰の骨に問題を抱えていて痛みがあり、働けない上、家でもなかなか動けません。私たちは寒さと病気に悩まされています。
――病気になった場合、どうしていますか?
(母)こちらでは身分証明書を持っていないので、医者に行って診察してもらったり、処方箋をもらったりすることができません。治るまで、あるいは死んでしまうかもしれませんが、ただ家にいることしかできません。誰も私たちに関心を持っていません。そのため、状況は日に日に悪くなっています。
――将来の見通しについて、どう考えていますか?
(母)子どもたちの将来のために、どこかの国で教育を受けさせ、前に進んで行きたいと思っています。しかし、今の私たちにはトルコに滞在するための資格がありません。イスタンブールに移動するためのお金もありません。私たちは苦しんでいます。二男は週に100トルコリラ(約900円)で働いていますが、長男は先日仕事を解雇されてしまいました。
――滞在資格を得るための法的な問題について、サポートをしてくれる人はいますか?
(母)いいえ、法的問題についてサポートしてくれる人はいません。ここには誰も知り合いがいません。
■2人の子どもは学校に通えず生活費を稼ぐ毎日
――トルコで友達はできましたか?
(長男)トルコ語がわからないので友人ができません。私は一人で落ち込んでいます。
――状況は良くなっていますか?
(二男)いいえ、以前よりも状況は悪くなっています。私は仕事をしていますが、失敗をすると殴られ、または罰としてよりきつい仕事をさせられます。私にとっては最悪の状況です。
――今、何を一番望んでいますか?
(二男)自分と家族のために、平穏な日を過ごしたいです。毎日が良い日であってほしい。滞在の資格や身分証明書を得たい。良い人生を過ごしたいです。
(母)私は息子たちに良い未来を望んでいます。彼らが教育を受け、とても良い未来が待っていることを。もちろん、現在の生活で言えば、全てのものが必要です。洗濯機がない、冷蔵庫がない、お湯は出ない、暖房器具もない。私はたくさんの問題を抱えています。この部屋は寒くて、例えば壁に触れられないくらいです。病気にもなってしまいました。
(母)まずはトルコに受け入れてもらえなければなりません。病気になったら、医者に行かなければいけないのに、今私たちは医者に行くこともできません。
取材した家族は未来に全く希望を見いだせない今の状況に涙を流していた。
トルコ政府も難民を受け入れたい思いがないわけではない。しかし、現地の難民収容センターによれば、トルコはすでにおよそ500万人のシリア難民を受け入れていて、さらにアフガニスタンからの難民を受け入れる余裕はないのだという。
アフガニスタン難民の問題はG7、あるいはG20などで議論されている。人数が膨大な上に広い地域に拡散しているため手が回り切らないのが現状だが、引き続き国際社会の中での主要課題として位置づける必要があるだろう。
私が取材した家族のような、アフガン難民を取り巻く環境が、22年は少しでも改善されることを願ってやまない。【12月30日 日テレNEWS24】
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アフガニスタン国内に暮らす人にとっても、国を離れた難民にとっても、2022年がより良い年になるといいのですが・・・。