(07年の「スレブレニツァの虐殺」メモリアルセレモニーで、家族の死を悼む人々
“flickr”より By Adam Jones, Ph.D.
http://www.flickr.com/photos/adam_jones/3774058054/)
【「セルビアにとって歴史的な日だ」】
今年は、コソボ紛争に介入した北大西洋条約機構(NATO)軍が1999年に旧ユーゴスラビアを空爆してから10年目にあたりますが、空爆を受けたかつての敵対国、旧ユーゴスラビアの中核国セルビアが22日、EUに加盟申請を行いました。
しかし、ボスニア紛争の責任者の逮捕・引き渡しが相変わらず履行されておらず、今後の加盟交渉には時間を要すると見られています。
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セルビア:EU加盟を申請 大統領「目標だった」*****
旧ユーゴスラビアの主要構成国だったセルビアが22日、欧州連合(EU、加盟27カ国)への加盟を申請した。北大西洋条約機構(NATO)軍の旧ユーゴ空爆から10年を経て、セルビアはEU加盟を通じて欧州への統合を目指す意思を確認した。だが、欧州には紛争の苦い記憶が残っており、加盟交渉は時間がかかりそうだ。
セルビアのタディッチ大統領は22日、ストックホルムでEU議長国スウェーデンのラインフェルト首相に加盟申請書を手渡し、「セルビアにとって歴史的な日だ。戦争終結から10年間、EU加盟が目標であり続けた」と語った。ラインフェルト首相は「申請はセルビアだけでなく、(バルカン)地域にとって重要だ」と強調した。
セルビアとEUは昨年4月、加盟申請の前提となる「安定化・連合協定」を締結した。だが、ボスニア紛争のセルビア人勢力元最高司令官ムラディッチ被告の逮捕・引き渡しを求めるオランダの主張に配慮し、協定の批准・発効はセルビアが旧ユーゴ国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)に全面的に協力することが条件とされた。
EU域内に渡航するセルビア国民に対して今月19日から査証取得が免除されるなど関係の緊密化は進んでいるが、安定化・連合協定の批准開始は来年6月以降になる見通し。
タディッチ大統領はEU加盟申請後の記者会見で、ムラディッチ被告らの逮捕に全力を挙げる考えを示し、「加盟条件を数年以内に満たしたい」と述べた。
英BBC放送によると、セルビア国民の6~7割がEU加盟に賛成する一方、国内には依然、ムラディッチ被告を英雄視する傾向があり、逮捕・引き渡しには国民の過半数が反対しているという。【12月23日 毎日】
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【「スレブレニツァの虐殺」】
問題となっているセルビア人勢力元最高司令官ムラディッチ被告(67)は、1995年にスレブレニツァでイスラム教徒約8000人の虐殺(「スレブレニツァの虐殺」)を直接指揮したとされ、ジェノサイドなどの罪で国連の旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY)に起訴されていますがが、14年間にわたり逃亡を続けています。
「スレブレニツァの虐殺」については、これまでも何回か取り上げたことがありますが、事件の概要は次のようなものです。
国連防護部隊(UNPROFOR)は95年7月、ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部の街、スレブレニツァに「安全地帯」を設け、ムスリム(ボシュニャク人)をそこに避難させていました。
しかし、軽装備の国連部隊(オランダが担当)は武力で勝るセルビア人武装勢力に抵抗できず、ムスリム8000人をセルビア人側に引渡してしまいました。
引き渡されたムスリムはバスやトラックで連行され、山林などで虐殺されたそうです。
当時、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、宗教の異なるボシュニャク人(ムスリム人)、セルビア人、クロアチア人の3民族が互いに争っていました。
従って非人道的行為は、必ずしもセルビアだけが行ったものでもなく、ボシュニャク人やクロアチア人側にもそれなりの行為はあったと思われます。
ただ、だからと言ってセルビアの行為が免責されるわけでもなく、また、その8000人あまりにのぼる犠牲者の数でも特筆される事件です。
ムラディッチ被告はセルビア民族主義者にとっては今でも“英雄”であり、EU加盟を快く思わない軍部にも支持者が多いと言われています。
EU加盟を望むタディッチ大統領ですが、どこまで本気で、国内に支持者が多いムラディッチ被告拘束に動いているのかはわかりません。
「セルビア軍の協力者にかくまわれているため、拘束は容易ではないだろう」(英情報機関元幹部発言)【08年7月31日 産経】とも言われています。
今年6月には、ムラディッチ被告が昨冬、家族とともにリゾート地でスキーを楽しんでいるとみられるビデオ映像がTVで放映されたこともあります。(セルビア政府のICTY協力担当大臣は、映像は古いもので今年3月にすでにICTYに提出済みのものだと説明しています。)【6月12日 AFP】
セルビアの国内事情はともかく、こうした虐殺責任者が英雄としてかくまわれている状況では、EU加盟というのは、やはり筋が通らないように思えます。
【国際社会による紛争介入の難しさ】
「スレブレニツァの虐殺」が提起する問題は、セルビアの責任問題だけではありません。
8000人にも及ぶ人命を守れなかった国際社会の紛争への対応の仕方も問題になります。
セルビア側から言わせれば、ボシュニャク人は国際的な「安全地帯」を隠れ蓑にして、そこからセルビ人攻撃を行っているということにもなり、紛争介入の難しさも浮き彫りになります。
直接の当事者だったオランダはこの事件で深い傷を負うことになりましたが、オランダだけの責任ではありません。
ウィキペディアなどに事件の推移は詳しく書かれていますが、突発的に起きた事件ではなく、セルビア人勢力に包囲されたボシュニャク人(ムスリム人)から餓死者が出るような状況が長く続く中で起きた事件でした。
こうした事態になることが予見されたとも考えられます。
国際社会が彼らを見殺しにしたとも言える、また、準備もなく渦中に置かれたオランダ軍も被害者だったとも言える事件です。
国際社会が介入しながら、悲劇を防止できず見殺しにしてしまった事例としてはルワンダの虐殺もあります。
先のノーベル平和賞受賞演説で、オバマ大統領は「Just War(正しい戦争)」を力説しました。
イラクやアフガニスタンでの戦争が「Just War(正しい戦争)」にあたるかには大きな疑問もありますが、ルワンダやボスニアなどの紛争地における民族主義の狂気に対抗するためには、国際社会としての武力行使は必要に思われます。数少ない「Just War(正しい戦争)」としての武力行使ではないでしょうか。
【今も民族分断に苦しむボスニア・ヘルツェゴビナ】
「スレブレニツァの虐殺」を経験したボスニア・ヘルツェゴビナは、紛争が終結した今もなお、民族分断を克服できずに苦しんでいます。
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分断の学舎:内戦後のボスニアから/上 被害者は子供たち****
「ナイフ、針金、スレブレニツァ」。ボスニア・ヘルツェゴビナ西部の町ビテツ。9月中旬、中心部の公立小学校の教室の外壁に落書きが見つかった。95年、イスラム教徒がセルビア人勢力に殺された「スレブレニツァ虐殺」を挙げ、イスラム教徒を脅す内容だ。消しても数週間後にまた落書きされた。「一部の人の意識の底に差別がある」。イマモビッチ校長は嘆く。
2階建てと平屋の校舎が並ぶ。通うのはイスラム教徒とクロアチア人。一つの学校だが別々の教室で別々の授業を受ける。校長も2人。「一つ屋根の下の二つの学校」とも呼ばれる。
内戦(92~95年)で周辺をクロアチア人勢力が攻撃。イスラム教徒は少数派となった。クロアチア人の学校にイスラム教徒が同居し学ぶ試みだ。2階建て校舎の広い教室で学ぶクロアチア人とは対照的に、イスラム教徒は平屋の木板で仕切った狭い教室に机を敷き詰めて学ぶ。
内戦前に一つの教室で多民族が学んでいたボスニア。95年の和平合意後、ボスニアは二つの準国家に分かれ、準国家の一つ、ボスニア連邦はさらに10州に分けられた。民族・宗派対立を黙認する形で「地方分権」が進む。
「教育の統合は自民族の文化を消滅させる」としてセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒で異なるカリキュラムが導入された。歴史や宗教などの科目は違いが大きい。地域でどれを選ぶかはどの勢力が優勢かで決まる。差別を恐れ、遠方の学校に通う例もある。一部では隣国クロアチアやセルビアから輸入された歴史教科書が使われている。
08年、教育の統一を目指し、中央政府内に教育局が設立された。しかし地方に口出しはできず「紙の上の存在」とされる。背景には「分断が解決策」と見なす民族政党がいる。
イマモビッチ校長は言う。「民族・宗教により学ぶ環境が違うのは理不尽。子供は分断の被害者だ」【12月14日 毎日】
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ボスニア・ヘルツェゴビナでは来年秋に総選挙が予定されていますが、根強い民族主義の対立で情勢は明るくないようです。
「民族間の緊張を高めようとする極端な民族主義者の発言が繰り返されている。状況は悪化するだろう」
「和解という言葉に関心さえ抱かない政治家もおり、多民族国家は一つになれないと公言する者もいる」(国際機関・上級代表事務所のラフィ・グレゴリアン副代表)【12月21日 毎日】