(“flickr”より By aristarionne )
今日は少しマイナーな話題、多民族国家マーレシアのマレー系優遇政策“ブミプトラ政策”について。
数日前、インド系住民と警察が衝突したという記事を見ました。
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マレーシアの首都クアラルンプールで25日、自分たちの経済的問題は旧宗主国・英国に責任があるとして同国に対し数十億ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしたインド系住民が、訴訟の支援を訴えるデモを行い、警察と衝突した。
当局がデモを禁止したにも関わらず、治安部隊が道路を封鎖して厳戒態勢を取るなか、およそ8000人が英大使館に向かった。
ペトロナスツインタワー近くに集まったデモ隊に対し、警察は催涙弾や放水車で排除を図ったが、デモ隊は動かず、催涙弾が投げ返される場面も。放水車の水に含まれていた薬品のため、吐き気をもよおす人もいた。
主催者のヒンズー人権行動軍によると、400人以上が拘束され、19人が負傷したというが、警察側は、拘束者は100人程度だとしている。
英国を相手取った今回の訴訟は、原告のインド系住民の主張するところによると、イスラム教徒・マレー系民族主流のマレーシア政府によるインド系住民に対する差別に焦点を当てたものだという。【11月25日 AFP】
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マレーシアはマレー系(約65%)、華人(中華)系(約25%)、インド系(約7%)の主要民族のほか、マレー系に含まれているボルネオ島のサラワク州、サバ州に住む多様な民族、更に細かく見ると、オラン・アスリと呼ばれるマレー半島の先住民族、あるいはポルトガル系など、多くの民族から構成される多民族国家ですが、民族間の緊張は比較的少ないほうだと一般的には思われています。
実際、数年前マレーシアを旅行した際、宿泊したホテルではマレー系、中華系、インド系の人々がいて、どのようにコミュニケーションをとっているのか聞くと「他の民族の人と話すときは英語で話す」とのことで、うまく対応しているように思えました。
また、TVではしばしば、三つの主要民族共同体とサラワク・サバの地域共同体を代表する民族衣装の出演者が手に手をとって、“マレーシアは素晴らしい国だ”という雰囲気の民族融和を訴える歌(スジャトラ・マレーシア)を歌う映像がスポット的に流されていました。
ただ、イスラム原理主義政党PASが地方政府をおさえているコタバル方面では、街はスカーフ(トゥドゥン)の女性が殆どで、マレー系以外の人には住みにくそうな雰囲気でした。
かつては、三つの主要民族共同体はお互いに干渉することなく、独自にその集団内をコントロールしており、国家もそれには踏み込まないレッセ・フェール的な対応だったようです。
従って、マレーシア国家は半島に混在する3民族とボルネオの2地域、この5つの共同体の連合体という位置づけで、現実的には「政治はマレー人、経済は華人」という社会でした。
このような、民族の独自性は今も残っていて、マレーシアの人は多民族のことに対しては無関心を装うことが多いとも言われています。【地球の歩き方 マレーシアの民族(山本 博之)】
しかし、このような“レッセ・フェール”ではマレー人の経済水準は経済を牛耳る中華系、インド系に劣後した状態が永遠に続くことになる・・・という不満がマレー系には高まります。
また中華系の内部では指導的立場にある富裕層に対する貧困層の不満が大きくなって政治的に独自の代表を出す動きになっていました。
この二つの不満グループが衝突したのが1969年の“5月13日事件”で、両者の衝突、その後の放火、襲撃などで196人の死者を出す惨事となりました。
その後、マハティール等の新指導層は“ブミプトラ”政策によってマレー系住民の地位向上を図ります。
ブミプトラとはブミ(土地)とプトラ(子)の合成語で、「土地の子」の意味、つまり中華系、インド系以外のマレー系を中心としたもともとのこの地の住民・・・というニュアンスです。
暴発的衝突を回避しながら、マレー系住民の経済的水準向上を誘導していこうという政策のようです。
以下、「マレーシア -格差是正を模索するブミプトラ政策」(小野沢 純)によって、ブミプトラ政策の内容を見てみます。http://www.iti.or.jp/kikan65/65onozawa.pdf
ブミプトラ政策は資本の再編と雇用の再編からなります。
資本の再編は「株式資本総額に占めるブミプトラ資本の割合を少なくとも30%までに引き上げること」が目標とされました。
具体的には、新たに会社を設立する場合最低3割はマレ-系の資本を導入するとか、公企業のブミプトラへの優先的払下げなどの措置がとられました。
1970年に1.9%だったブミプトラの株式保有比率は90年には19.3%に上昇しましたが、目標の30%は大きく下回っています。その後は横ばい、むしろ微減傾向で2004年実績で18.9%に留まっています。
なお、90年までの比率上昇は、華人からのブミプトラへの転換ではなく、70年当時60.7%を占めていた外国資本からのブミプトラ、華人への転換によるものです。
華人の割合は70年が22.5%、90年が45.4%、その後はやはり横ばい・微減で、04年が39%でした。
インド系は70年が1.0%、04年が1.2%と、あまり大きなシェアは占めていません。
雇用の再編は、従来生産性の低い農業等の伝統的産業部門に多く就労していたマレー系を、より生産性の高い第2次、3次産業へ転換して、その所得水準の引き上げを図るものです。
具体的には、「あらゆる業種および職種レベルにおける雇用は、マレーシアの種族別人口構成比率を反映した種族別雇用比率を達成すること」という目標が掲げられました。
この目標はその後の産業構造の変化に伴ってほぼ達成されました。
70年には製造業従業者の7割が中華系(華人)でしたが、すでに90年にはブミプトラ50%、華人37%、インド系12%となっています。
ただ、行政・管理職については、05年においても華人55.1%、ブミプトラ37.1%であり、また、CEOについては70.4 %が華人で占められ、ブミプトラのCEO は20%にすぎないという、偏りは残存しています。
こうしたブミプトラ政策の結果、平均世帯所得は70年から04年の間に、ブミプトラで2,9倍、華人は2.7倍に増加、70年当時のブミプトラを1としたときの華人の所得2.29は、04年には1.64と、若干の格差縮小は実現できています。
このようなブミプトラ政策は一種の民族差別政策とも言えますので、当然中華系、インド系からは不満がでますが、マハティール前首相が「マレー人は華人より経済観念、勤勉さで劣っている。だからこれはハンディキャップです。」とマレー人が劣っていることを率直に認めることによって中華系住民の理解をある程度得る一方で、現実対応としては、例えば“マレー系の人間を名義上立てて政府の資金を導入して実質的利益は中華系が得る”などの抜け道的な対応も広く行われているようで、政府側もある程度はそれを黙認するといった、極めてアジア的な便法も不満が爆発しない理由のひとつのようです。【「Jalan Jalan 」http://www.junmas.com/classic/index-guide.html】
ただ、そのような抜け道で利益を得られるのは主に富裕層ですので、ブミプトラと競合する非ブミプトラの貧困層にはそれなりの不満があるのではとも想像されます。
今回のインド系住民はそのような経済的下層住民で、民族的にはインド南部からのタミル人が中心で、かつては農園労働者として働き、その後都市に流入して単純労働などに従事している層です。
スリランカの反政府武装組織LTTEを支える集団と同じ民族・境遇の集団です。
全くの想像ですが、中華系共同体に比べて相互扶助的な面で弱いところがあるのかもしれません。または、インド系は共同体自体が中華系に比べ小さいため、有効に機能しない面があるのかもしれません。
利益を受ける立場のマレー系については、どうしても優遇策に甘える部分もあり、政策を推進した前首相マハティールは著書で、「マレー人には勤勉さが足りない」などと、マレー人優遇が思い通りの成長につながらなかったことを述べているそうです。【ウィキペディア】
また、以前取り上げたように、同じ民族であるインドネシアからの出稼ぎ労働者に対する差別的な取り扱いといった問題もあります。(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071023)