(バングラデシュ東部テクナフで、ミャンマーからナフ川を渡ってバングラデシュ側に逃れようとしたイスラム系少数民族ロヒンギャの人たちを監視するバングラデシュの治安部隊員(2016年12月25日撮影)【12月30日 AFP】 ミャンマーからは虐殺・放火・レイプで追われ、逃れたバングラデシュでは銃で監視・・・行き場がないロヒンギャです)
【ASEAN非公式外相会議でスー・チー氏「時間と裁量の余地を与えてほしい」】
ミャンマー西部のラカイン州で続くロヒンギャの問題については、12月13日ブログ“ミャンマー ロヒンギャ問題で国軍の“民族浄化”も スー・チー氏はASEAN外相会議開催” http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20161213など、今年も何回か取り上げてきましたが、未だ改善の兆しは見えません。
イスラム教徒でもあるロヒンギャはミャンマー政府から国民として認められておらず、彼らを嫌悪する多数派仏教徒の圧倒的世論を背景とする国軍の暴力的対応は、ロヒンギャを国外に追い出すための“民族浄化”ではないかとの批判が国際的に高まっています。
****虐殺、暴行、放火と深刻な人権侵害****
隣国バングラデシュと国境を接するミャンマー西部ラカイン州で10月9日、国境に近い地域の警察施設など3か所が武装集団に襲撃され、警察官9人が死亡する事件が発生した。
武装集団の正体は不明だが、国軍は同州に多く居住するロヒンギャの反政府組織による犯行と一方的に断定、ロヒンギャの人々が暮らす集落への攻撃を開始したのだ。
タイに本拠を置く人権団体などによると、ロヒンギャ族が生活する住居は略奪の後放火され、男性は虐殺され、女性は暴行を受けるなどの深刻な人権侵害が続いているという。
越境してバングラデシュに逃れたロヒンギャ難民は2万人以上に達している。
人権団体は「現在の状況は治安維持を超えた軍事作戦レベルであり、このままではロヒンギャ族が絶滅しかねない民族浄化が続いている」と国際社会に「ロヒンギャ問題への介入」を強く訴えている。【12月26日 Newsweek】
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ミャンマー民主化が期待されたスー・チー国家顧問ですが、国民世論の反発を恐れてか、この問題には口を閉ざしており、事態改善を求める国連・人権団体などからの批判が強まっています。
国連や人権団体だけでなく、イスラム国家のマレーシア・ナジブ首相も「事態を静観、放置しているスー・チーは一体何のためにノーベル平和賞を受賞したのか」とスー・チー氏を強く批判するなど(ナジブ首相の狙いは、自信への汚職疑惑への国民批判をそらすことにあると思われますが・・・)、ASEAN内においても圧力が高まり、12月19日、スー・チー氏はミャンマー・ヤンゴンでASEAN非公式外相会議を開催し、事態鎮静化を図っています。
****ロヒンギャ問題「解決に時間を」 ASEAN会議でスーチー氏****
仏教徒が大半を占めるミャンマーでイスラム教徒ロヒンギャに対する人権侵害への懸念が高まっている問題をめぐり、東南アジア諸国連合(ASEAN)の非公式外相会議が19日、ヤンゴンで開かれた。
アウンサンスーチー国家顧問兼外相は問題解決に向けて「時間と裁量の余地」を与えてほしいと各国外相に訴えた。(中略)
ミャンマー政府は人権侵害を否定する一方、国際機関による人道援助やメディアの現地への立ち入りを制限している。
国際社会から懸念の声が上がり、ASEAN内でもイスラム教徒が多いマレーシアやインドネシアを中心にミャンマー批判が高まっている。
今回の会議はミャンマー政府が主催した。出席者によると、スーチー氏が現状を説明し、各国に理解を求めたという。ただマレーシア外務省によると、同国のアニファ外相はこの問題が「地域全体の懸念材料になっている」と訴えた。
マレーシアが特に強い懸念を抱く背景には、ロヒンギャの人々が難民として同国に脱出している事実がある。昨年には、数千人が同国をめざし、海上を船で漂流している事態が表面化した。迫害が続けば、さらに大量の難民が生まれるおそれがある。
また、イスラム過激派の動きが活発になるとの懸念も出ている。アニファ氏は会議で、現在の状況を過激派組織「イスラム国」(IS)が利用しかねないと警告。ASEANとして人道支援の調整などを行うべきだと提案した。
出席者によると、スーチー氏は人道支援の受け入れや加盟国への定期的な報告を約束。
ミャンマー政府は問題解決に向けてアナン前国連事務総長をトップとする諮問委員会を設置しており、各国はこの諮問委員会が来年2月ごろまでに提出する中間報告書の内容を見た上で対応を再検討することで一致した。【12月20日 朝日】
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「野にあって反軍政の立場の時は何事も恐れず果敢に理想に邁進したスー・チーだが、権力者の立場になるとあちらを立て、こちらに配慮、とまさに政治家に変質してしまった」(ミャンマーウォッチャー)【12月26日 Newsweek】とも批判されるスー・チー氏ですが、世論や国軍との関係を配慮せざるを得ない現実政治家としてはやむを得ないところはあります。
しかし、彼女が動かない限り事態が改善しないのも事実です。
【ASEAN内部からも強まる圧力に対し、「ロヒンギャ問題は純粋な国内問題である」】
マレーシア・ナジブ首相に加え、やはりイスラム教徒が多数を占めるインドネシアのジョコ大統領も仲介に動いているようです。
****ロヒンギャ問題でスー・チー苦境 ASEAN内部からも強まる圧力****
インドネシア主導で仲介工作
ナジブ首相に次いでインドネシアのジョコ・ウィドド大統領がロヒンギャ問題で積極的に動いている。
12月6日、レトノ・マルスディ外相をミャンマーに派遣してスー・チーとロヒンギャ問題で直接協議をさせた。会談でインドネシア側は「ロヒンギャ問題は人権問題であり、イスラム教徒でもある彼らをインドネシア政府は支援する方針である」と伝えた。
ジョコ大統領はミャンマーがインドネシアと同様の多民族国家であり、多様性を許容することが重要であるとの姿勢を強調することで問題解決の糸口を見出そうとしている。
ジョコ大統領は同月8日にはバリ島でロヒンギャ問題特使を務めるコフィ・アナン前国連事務総長とも会談し、インドネシアの立場を説明、協力する方針を伝えた。
インドネシア国内ではイスラム教団体がロヒンギャへの人権侵害に抗議してジャカルタ市内のミャンマー大使館前でデモや集会を行うなど世論もミャンマーに厳しくなっており、ジョコ政権の仲介を後押ししている。
内政不干渉の原則とのせめぎあい
一方でミャンマー国内には「ロヒンギャ問題は純粋な国内問題である」として内政不干渉が原則のASEANによる内政干渉、口出し、批判に対する反発が強まっている。
ナジブ首相がスー・チーを直接批判したマレーシアに対して、ミャンマー政府はミャンマー人出稼ぎ労働者の派遣停止を即座に発表している。
これに対しインドネシアやマレーシアは「ロヒンギャの人々が難民として国境を越えて流出している現実」を指摘して「これはもはや国内問題ではなく国際問題である」として重ねてミャンマー政府に「圧力」をかけ続けている。
「ノーベル平和賞」が枕詞あるいは代名詞だったスー・チーにとっては少数民族や国際社会、ASEAN加盟国に広がりつつある「失望感」をどう取り返すか、大きな岐路に立たされている。【12月26日 Newsweek】
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【多くが難民化しバングラデシュへ、更にインドへ】
「時間と裁量の余地」を与えてほしいとのスー・チー氏ですが、ロヒンギャの弾圧からの避難は今も続いています。その多くは隣国バングラデシュへ向かっていますが、バングラデシュ政府はロヒンギャの大量流入は阻止する姿勢です。
ミャンマー政府が「バングラデシュからやってきたベンガル人不法侵入者だ」とロヒンギャを自国民と認めず抑圧するのに対し、そのバングラデシュも、現在問題改善に声を上げているマレーシアやインドネシア・タイなど周辺国も、どこもロヒンギャを受け入れず、“行き場がない”状態にあるところにロヒンギャの問題はがあります。
****ミャンマーからロヒンギャ5万人流入、バングラデシュ「深い懸念」****
バングラデシュ外務省は29日、10月以降にイスラム系少数民族ロヒンギャ5万人がミャンマー軍の迫害を逃れてバングラデシュに流入したと明らかにした。
バングラデシュ政府は、ミャンマー西部ラカイン州で武装集団と軍との衝突が発生した10月初頭以来、ロヒンギャの大量流入を防ぐべくミャンマー国境での巡回を強化している。
バングラデシュ外務省は29日の声明で、ミャンマー大使を呼んで無国籍状態にあるロヒンギャ数万人の流入が継続していることへの「深い懸念」を表明し、「2016年10月9日以降にバングラデシュに逃れてきたミャンマー市民は約5万人に上る」と伝えたことを明らかにした。
さらに、ロヒンギャ30万人を含めてほとんどがバングラデシュ国内に不法滞在しているミャンマー人を早期に本国へ送還させるよう求めたという。【12月30日 AFP】
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こうした事態に、ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんら23人はが国連安全保障理事会に公開書簡を送り、人道支援や現地調査の実現を働きかけるよう求めています。
マララさんらが提出した公開書簡は「ミャンマーで民族浄化に等しい悲劇が広がっている」と指摘。平和賞受賞者でもあるミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が問題解決に向けて指導力を発揮しておらず、「不満を感じている」と表明しています。【12月31日 毎日より】
ミャンマーとバングラデシュなど周辺国との間で“押し付け合い”状態のロヒンギャですが、対応が厳しいバングラデシュから、比較的暮らしやすいインドへ密入国する事例が多くみられるとも報じられています。
****<ロヒンギャ>インドへ密入国、続々 警察の拘束恐れ****
ミャンマーで迫害を受けた少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」はインドにも相次いで入国している。
ミャンマーの隣国バングラデシュでは十分な支援が受けられなかったり、警察に拘束されたりする恐れがあるためだ。
インドとバングラの国境には密入国業者のネットワークも存在しており、インドへのロヒンギャ難民は今後も増える可能性がある。
ミャンマー西部ラカイン州マウンドー近郊に住んでいたヌール・アラムさん(40)は11月、国軍とみられる集団に村が放火され、自宅を追われた。
妻子らを含めた計11人で2日間歩き通し、闇夜に紛れてバングラとの国境の川を小舟で渡った。バングラ南東部で10日間ほど日雇いで働いたが、「いつ警察に見つかるか分からず、不安だった」と振り返る。
インド行きを決めたのは、数年前にニューデリーに逃れていた弟に勧められたからだ。紹介された密入国業者の指示で2晩かけて4台のバスを乗り継ぎ、インドとの国境に着いた。夜を待ち、業者に教わった道を進むとインド側で別の業者が出迎えてくれたという。
アラムさんは12月下旬にニューデリーで難民申請を済ませ、滞在許可を得た。今は同郷のロヒンギャの小屋に身を寄せる。「早く仕事を見つけて生活を安定させたい」と語る。
取材に応じたインド側の密入国業者によると、国境を抜けるだけなら1人当たりの「手数料」は数千円程度。夜中にフェンスの穴などの抜け道を通るケースが多い。
「最近は毎日2〜3人の密入国者を手引きしているが、中にはロヒンギャもいる」という。インド側では隠れ家に1泊させ、食事やインド製の服を与えたり、手持ちの現金をインド通貨に両替させたりする。目的地まで業者が同行することもある。バングラ側の同業者と連絡を取り、受け入れ態勢を整えるという。
インドには少なくとも1万4000人のロヒンギャがいるとされ、各地に居住区が形成されている。インドで同郷人を支援するロヒンギャ難民のアブドラさん(25)は「インドはバングラと比べ同情的で働きやすい。資金さえあればインドに来たいと願うロヒンギャは多い」と話す。【12月31日 毎日】
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ただ、こうした密入国者が増加すれば、インド当局もやがて厳しい措置に転じるのでは・・・とも思われます。
【「歴史上、ミャンマー国民として位置付けられたことは一度としてない」との「歴史書」刊行方針】
早急に、きちんとした対応をミャンマー政府が責任を持ってつくる必要がありますが、あまり期待できないような情報もあります。
****「ロヒンギャ族」を政府が公式に否定 スーチー氏への失望広がる****
ミャンマー政府は「少数民族ロヒンギャ族はミャンマーの正式な国民ではない」との立場を改めて明確にするための「歴史書」の発行に踏み切る方針を示した。
この政府の発表を受けて、アウンサンスーチー国家顧問兼外相への失望感が人権団体などの問で急速に広がっている。
ロヒンギャ族を取り巻く現状について国際社会から威しい指摘が出ていることに対しミャンマー政府は、近く開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議で説明する。その後にミャンマー史の公式書籍を出版すると説明している。
書籍の中では「そもそもロヒンギャという名称は正しくなく、ベンガル人であり、彼らは隣国バングラデシュからの不法移民に過ぎない」「歴史上、ミャンマー国民として位置付けられたことは一度としてない」との主張を強調して理解を求めようとしている。
こうした動きの背景に国内多数派である仏教徒の反発を危惧するスーチー氏の思惑があるのは確実とみられている。
既に「ミャンマー国民の指導者でなく、単なる仏教徒の指導者に過ぎない」「ノーベル平和賞受賞者とは思えない」(人権団体)と、批判の矛先がスーチー氏に向かう事態となっている。【1月号「選択」】
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この「歴史書」発行の方針は、ASEAN非公式外相会議後も変わっていないのでしょうか?
これでは、事態改善の道は閉ざされてしまいます。
【ウィキペディア】によれば、この地に移住したムスリムには下記のように4種の移民が存在しており、実際には他のグループと複雑に混じり合っているため弁別は困難であるとされています。
・(バングラデシュ)チッタゴンからの移住者で、特に英領植民地になって以後に流入した人々。
・ミャウー朝時代(1430-1784年)の従者の末裔。
・「カマン(Kammaan)」と呼ばれた傭兵の末裔。
・1784年のコンバウン朝ビルマ王国による併合後、強制移住させられた人々。
バングラデシュからの移住者にしても19世紀イギリス植民地時代にさかのぼる話ですし、それ以前のミャウー朝アラカン王国に至っては15世紀にさかのぼります。
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先述のミャウー朝アラカン王国は15世紀前半から18世紀後半まで、現在のラカイン州にあたる地域で栄えていた。
この時代、多数を占める仏教徒が少数のムスリムと共存していた。折しもムスリム商人全盛の時代であり、仏教徒の王もイスラーム教に対して融和的であった。
王の臣下には従者や傭兵となったムスリムも含まれ、仏教徒とムスリムの間に宗教的対立は見られなかった。【ウィキペディア】
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また、日本も現在の民族対立とは無関係ではないようです。
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第二次世界大戦中、日本軍が英軍を放逐しビルマを占領すると、日本軍はラカイン人仏教徒の一部に対する武装化を行い、仏教徒の一部がラカイン奪還を目指す英軍との戦いに参加することになった。
これに対して英軍もベンガルに避難したムスリムの一部を武装化するとラカインに侵入させ、日本軍との戦闘に利用しようとした。
しかし、現実の戦闘はムスリムと仏教徒が血で血を洗う宗教戦争の状態となり、ラカインにおける両教徒の対立は取り返しのつかない地点にまで至る。【ウィキペディア】
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どこの地域・国でも歴史を遡れば人々の移動の歴史であり、その結果として現在があります。
現在の国家体制の思惑から、長く現地に暮らす一部住民を排除するような考えは、狭量な民族主義・不寛容と言わざるをえません。
スー・チー氏に関しては、中国が進めるダム建設の再開をめぐり、反対する住民と、少数民族武装勢力への影響力を盾に再開を迫る中国の“板挟み”状態にあるとの話もあります。
現実政治家としては、対立する利害の調整が求められます。
来年は、“ノーベル平和賞も受賞した現実政治家”スー・チー氏の指導のもとで事態が改善の方向に向かうことを強く希望します。