(就任式でのマルコス夫妻【6月30日 ロイター】)
【父マルコス元大統領は「それ以前のどの政権よりも多くの道路を建設した」】
フィリピンでは、1986年のエドゥサ革命で独裁者として国を追われたマルコス元大統領の長男、マルコス氏が大統領に就任しました。
マルコス氏は5月9日の大統領選挙で、副大統領候補のドゥテルテ大統領の長女サラ氏とペアを組み、対立候補のレニー・ロブレド氏(現職副大統領)をダブルスコアの大差で破りました。
****マルコス氏がフィリピン新大統領に就任 長期独裁政権を敷いた元大統領の長男****
フィリピンの新大統領に、長期の独裁政権を敷いた元大統領の長男、マルコス氏が30日、就任しました。
父親の時代に国が豊かになったとして、独裁政権時代を美化するとともに、大規模なインフラ整備を進めたドゥテルテ氏の路線を継承すると訴えました。
マルコス新大統領「目の前の、そしてこれから始まる仕事に集中すれば、私のもとで大きな成果を上げることができるはずだ」
就任のスピーチでマルコス氏は、多くの市民が弾圧された父親の独裁政権時代について、「それ以前のどの政権よりも多くの道路を建設した」などと称賛するとともに、前政権下で大規模なインフラ整備を進めたドゥテルテ氏の路線を継承すると訴えました。また、コロナ禍で悪化した経済の立て直しなどに意欲を示しました。
6年の任期を終えたドゥテルテ氏は、退任直前の世論調査でも支持率は75%に上り、人気はおとろえておらず、副大統領に就任した娘のサラ氏を通じて、影響力を維持しそうです。【6月30日 日テレNEWS】
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【インフラ整備を積極的に行ったドゥテルテ前大統領 それが人権無視の免罪符になる訳でもないが】
マルコス新大統領の話の前に、ドゥテルテ氏の話。
****ドゥテルテ比大統領退任へ 75%の高支持率維持****
フィリピンのドゥテルテ大統領(77)が30日、6年の任期を終えて退任する。超法規的な麻薬撲滅戦争や国内メディアの弾圧など強権的姿勢が批判を浴び、対中融和姿勢も物議を醸した。
一方で退任直前まで75%という高支持率を記録。強い個性で過激な発言を繰り出した〝暴言王〟は退任後も一定の政治的影響力を保つとみられている。
「私の努力で成し遂げられる最大の成果を実現した」。ドゥテルテ氏は5月23日、任期の6年間を誇らしげにこう振り返った。
2016年の大統領就任後、ドゥテルテ氏が最重要課題として取り組んだのは麻薬撲滅だ。容疑者と見なした人物を、司法手続きを経ずに殺害する撲滅作戦を展開し、無実の市民を含む最大3万人が殺害されたとされる。
強引な手法に批判的だったオバマ米大統領(当時)を「売春婦の息子」と罵倒してまで作戦を進めたが、麻薬組織の跋扈(ばっこ)は続き、本人も公約の未達を認めている。
また、批判的なメディアに圧力を加え、「ジャーナリストだからといって暗殺を免れることはない」と恫喝(どうかつ)。今月28日付でドゥテルテ批判を展開したニュースサイト「ラップラー」の法人登録を取り消すなど、最後まで強権ぶりを見せつけた。
6年間で「民主主義の空間が大幅に縮小した」とは地元紙、インクワイアラーの分析だ。
外交面では当初、中国への融和姿勢を強く打ち出し、米国との関係に亀裂が入った。だが、中国の覇権的な南シナ海進出を抑えられず、米国との関係修復に乗り出すなど軌道修正を図らざるを得なかった。
批判を浴びながらも、ドゥテルテ氏が支持を集めたのは事実だ。インフラ整備計画「ビルド・ビルド・ビルド」を通じて資本を投下し、日本も関わる首都圏の地下鉄整備事業などが動き出した。地元政治コンサルタント会社パブリカス・アジアは、高支持率を誇るドゥテルテ氏について「最も人気のある大統領」と評し、退任後も政治的影響力が残るとの見方を示した。
ただ、麻薬撲滅作戦をめぐって国際刑事裁判所(ICC)が「人道に対する罪」で捜査に着手しており、今後ドゥテルテ氏の手法の是非が改めて問われる展開もあり得る。インクワイアラー紙は「歴史がドゥテルテ氏をどう見るかは分からない。判断するには早すぎる」と指摘した。【6月29日 産経】
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ドゥテルテ前大統領については麻薬問題で超法規的殺人を容認するような強権手法が、その功績を是認するか、あるいは人権無視・非民主的手法を非難するかは別として、常に議論されますが、「ビルド・ビルド・ビルド」でインフラ整備を積極的に行ったという別の側面があるようです。
地下鉄建設で長年の問題だった交通渋滞の改善が期待されています。そうした積極的なインフラ投資もあって、世界銀行の統計によるとフィリピンの貧困率はコロナ前の2019年に20.8%と、2015年の26%から改善。借金は膨らんでいるものの、経済成長率は6%台前後と安定して伸びていました。
そうした経済的「成果」が国民支持率の高さの背景にあると推測されます。
ただ、そうした経済的な成果は人権・民主主義の面での問題の免罪符にはならないと私個人は考えます。
経済的成果を重視して、人権・民主主義の問題を軽視するなら、結局、国を追われたマルコス元大統領(父)の「開発独裁」を再現することにもなります。
麻薬問題での強権手法を是とする発想は、政府を批判するメディアへの圧力など、政治・社会全体に及びます。
この問題はドゥテルテ前政権の問題であると同時に、父マルコスの時代を賛美して当選したマルコス新大統領、それを是認したフィリピン社会の問題でもあります。
【「民主主義疲れ」の「逆行」を生む現実への対応】
ただ、そうした流れを批判するだけでなく、その流れを生みだしているものが何なのかを探り、対応する必要があります。
****「民主主義疲れ」が決めたフィリピン大統領選東南アジア諸国で「民主化の逆行」が始まるのか****
(中略)
今回の選挙(5月の大統領選挙)では中間層や低所得者層がマルコス支持に流れたとみられるが、彼ら彼女らの目には、(父マルコス氏を独裁者として追放した)エドサ革命後に政権を担った寡頭制民主主義下の伝統的エリートは「何もしなかった」どころかフィリピンを「むしろ悪くした」と映る。
筆者はASEAN10カ国すべてを訪問した経験があるが、フィリピンほど汚職が日常化している国はなかなかないと思う。交通警察が違反キップ取り下げの代わりに現金を要求するのを初めて目撃したのもマニラだった。また、マニラの商業モールには、銃を持った警備員がいる。他の東南アジア諸国ではほとんど見ない光景だ。マニラに広がるスラム街を夜間歩くときは、身の危険を感じる。
民衆の立場からすると、国際的に非難を受けながらも麻薬戦争で治安回復に取り組み、これまでの政権が手をつけられなかった警察腐敗の撲滅に切り込んだドゥテルテ大統領は「ようやくフィリピンを変えた」リーダーなのだ。
だからこそ、フィリピン国内で高支持率を維持してきた。当然、有権者としては主要候補の中で唯一ドゥテルテ路線の継承を訴えたマルコス氏を推すことになる。
一時的な現象と言い切れるか
前出のハウ教授は今回のマルコス圧勝について、「エドサ革命後の自由民主主義体制への、そしてその制度が自由と平等を実現できなかったことへの幻滅、『民主主義疲れ』が起きている明確な根拠があると思います」と総括する。自由についてはある程度実現したが、平等はおろか繁栄も実現できなかったという見方だ。
マルコス独裁時代が「暗黒時代」でなく「黄金時代」だったというナラティブ(物語)の反転、そして今回の選挙結果が許したマルコス一族再興の裏には、マルコス退場後からドゥテルテ登場までの30年間への深い失望があると見ていい。
そして、そのフィリピン政治の転換が、中国が東南アジアで影響力を拡大させる中で起きたことは特筆に値する。
父親が大統領の時代にフィリピンが中国と国交を樹立したことなどもあり、マルコス次期大統領は引き続き中国と良好な関係を築くとみられる。中国はまたドゥテルテ一族との関係強化を狙って、2018年に彼らの本拠地であるダバオ市に領事館を開設した。中国の努力は実った。
それは、今回の副大統領選で過半数の票を得て当選確実となったドゥテルテ大統領の長女、サラ・ドゥテルテ氏(43歳)が一気に2028年の次期大統領選の最有力候補に躍り出たからだ。現職のドゥテルテ氏から3代続けて親中政権が誕生する可能性は小さくない。
さらには、東南アジア全体への波及効果も気になるところだ。ASEAN大陸部に目を向けると、タイやミャンマーでは軍事政権が根付きつつある。隣国インドネシアでも、2024年に迫る次期大統領選挙へ向けて強権化と権威主義的傾向が強まることへの懸念が広がる。ジョコ大統領を、現行憲法では認められていない3期目に推す声が上がっているのだ。
マルコス当選確実の報を受け、インドネシアの英字紙ジャカルタポストは「フィリピンに続き、インドネシアでも権威主義への回帰へ向けて機が熟している」と題した記事を掲載し、危機感を示した。
民主主義を放棄し、権威主義に逆戻りするのか
「インドネシアは、30年以上にわたって軍の後ろ盾で統治してきたスハルトを、同じく民衆の力で倒し、1998年にフィリピン、タイとともに東南アジアの民主主義リーグに加盟した。(中略)インドネシアは今、東南アジアの近隣諸国に対して、完全な自由を伴う民主主義が依然として最良の政府形態であり、成果をあげられるものである、そうした希望とインスピレーションを与える立場を守れるだろうか。それとも、民主主義を同じように放棄し、権威主義に逆戻りするのだろうか」
フィリピンで現在進行中の「逆行」を、安易な考えや誤解に基づいた有権者の一時的な揺れ動きと結論づけるのは早計だ。むしろ同国で長年蓄積されたやるせなさを反映した、「民主主義がすべてをよくするとは言えない」という意識の現れとして国際社会は直視すべきだろう。ことは構造的な問題なのだ。【5月28日 舛友 雄大氏 東洋経済ONLINE】
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なお、マルコス新大統領は就任式で“故マルコス大統領の実績も称えたが、過去を振り返るのでなく、より良い未来を目指すと訴えた。”【6月30日 ロイター】とも。
【微妙なサラ氏の立ち位置 将来的にマルコス氏と対立する状況の可能性も】
ドゥテルテ氏が長女サラ氏を通じて影響力を云々は、(大統領選挙立候補段階でいろいろあったように)ドゥテルテ氏とサラ氏の関係がよくわかりませんので、影響力云々もよくわかりません。まあ、父である前大統領を非難して責任を追求するということはないでしょうが。
こわもてドゥテルテ氏が恐れる唯一の人物とも言われるサラ氏は父親の操り人形になるような“やわ”な存在ではありません。国民的人気もマルコス氏を上回ります。それだけに今後、マルコス新大統領の統治が思うように進まなかったとき、どこまでマルコス氏を支えるのか・・・どこかでマルコス氏を見限る局面もあるのかも。 サラ氏が次期大統領を目指すというならなおさらでしょう。
****比で異例の副大統領宣誓式 マルコス氏に先行****
フィリピンのドゥテルテ現大統領の長女サラ氏(44)は19日、地盤の南部ミンダナオ島のダバオで次期副大統領として宣誓式を開いた。マルコス次期大統領は、大統領の就任宣誓式を30日に首都マニラで行う。
1987年制定の現行憲法下で正副大統領の宣誓式が違う日に行われるのは初めて。5月9日の正副大統領選で共闘したマルコス氏も出席した。
サラ氏の選挙の得票は約3221万票(得票率61.5%)で、約3163万票(同58.8%)だったマルコス氏を上回った。サラ氏は宣誓後の演説で「3220万人の声は大きく明白だ」と強調。子供のために力を尽くすと表明した。【6月19日 共同】
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【親中国路線の今後は状況次第】
親中国路線と言われたドゥテルテ前大統領ですが、中国の南シナ海進出を抑えられず、軌道修正も行われています。
****フィリピン、中国との南シナ海共同開発協力を終了****
フィリピンのテオドロ・ロクシン外相は23日、中国との南シナ海でのエネルギー共同開発事業について、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領から交渉を打ち切るよう指示があり、終了したと発表した。
両国はいずれも南シナ海の領有権を主張しているが、2018年、海洋資源を活用するため、石油・ガス開発で協力することで合意していた。
ドゥテルテ氏は、海域の大半の領有権を主張する中国に対して融和姿勢を見せ、20年10月には一時停止されていたフィリピン企業による同国沖での掘削を許可。両国の交渉加速が期待されていた。
しかしロクシン氏は、ドゥテルテ大統領が交渉を「完全に打ち切る」するよう指示したと明かした。指示があった時期については言及していない。
同氏は、「3年たっても、フィリピンにとって非常に重要な石油とガス資源を開発するという目的は達成されていないが、主権と引き換えに譲歩するつもりはない」と明言した。
オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は2016年、同海域に歴史的権利があるとの中国の主張は法的根拠がないと判断したが、中国側はこれを無視している。
在マニラ中国大使館にコメントを求めたが、現時点で回答は得られていない。 【6月24日 AFP】AFPBB News
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マルコス新大統領がどういう方針なのか・・・よくわかりません。マルコス氏は選挙戦で具体的な政策を何も語らず、討論会なども避けていましたので、どういう方向性を見せるのかはこれからの話です。
****マルコス比大統領が就任 「親中路線」修正示唆も****
フィリピンで30日、独裁体制を敷いた故マルコス元大統領の長男、フェルディナンド・マルコス元上院議員(64)が大統領に就任した。マルコス氏は対外的にはドゥテルテ前大統領の親中路線を修正する構えも見せるが、具体的な政策では見通せない面が多い。36年ぶりに復権した「マルコス」がフィリピンをどう導くか。手腕が注目される。
首都マニラの国立美術博物館で行われた就任宣誓式には、日本から林芳正外相、中国から王岐山(おう・きざん)国家副主席、米国からハリス副大統領の夫エムホフ氏らが出席。新政権への国際的関心の高さをうかがわせた。
就任演説でマルコス氏は父の統治期に触れ、「彼は必要なサポートがあるときもないときも成果を挙げた」とインフラ整備などでの実績を称賛。「その息子もそうだろう」と続け、実行力をアピールした。
宣誓式には、父の時代に数千足の靴を保有して批判を浴びた母のイメルダ氏(92)も出席。1986年の「ピープルパワー(民衆の力)政変」でマラカニアン宮殿(大統領府)を追われたマルコス一族が復権したことを印象付けた。
マルコス新政権はドゥテルテ前政権の施策を大筋で継承する見通しだが、マルコス氏自身は公開討論会の参加を拒否するなど、政治信念や政策を積極的に発信していない。
国内では新型コロナウイルス禍で経済が疲弊する中、5月のインフレ率が5・4%となるなど物価高が進行。当面は経済対策に追われるが、どう対応するかは未知数だ。
外交面では南シナ海の最前線フィリピンを取り込もうと、米中がマルコス新政権に秋波を送る。マルコス氏は就任前、米中の間で「非常に繊細な道」を歩まなければならないと述べたが、南シナ海問題で「海洋権益が踏みにじられるのを許さない」とも宣言した。ドゥテルテ氏の親中姿勢と一線を画す可能性を示したが、「中国は友人」と語ったこともあり、外交姿勢も見通せない面がある。
地元政治評論家、リチャード・ヘイダリアン氏はドゥテルテ氏の親中路線について「多くの国民は何の実りももたらさなかったことに気づいている」と分析。マルコス氏は国民感情も踏まえ、米国との同盟関係維持に努めるとみている。
政権運営をめぐる不安要素もある。ドゥテルテ氏の長女、サラ・ドゥテルテ副大統領(44)の人気は絶大で、マルコス氏と対立する可能性がある。
父の独裁政権下では多数の市民が殺害され、最大100億ドル(約1兆3600億円)と試算される不正蓄財も問題化した。マニラ市内では抗議デモが行われるなど「マルコス復権」への反発も根強い。【6月30日 産経】
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マルコス氏は強い政治信念で動くタイプではなく、よく言えば臨機応変、悪く言えば場当たり的に動くタイプのようですから、中国・アメリカとの関係も状況次第でしょう。
フィリピン世論はアメリカに好意的ですから、その世論にのっかれば、対米関係改善の方向に行くのかも。
ただ、中国から大きなプレゼントがあれば・・・。
それにしても、“宣誓式には、父の時代に数千足の靴を保有して批判を浴びた母のイメルダ氏(92)も出席”・・・・世の中、どういう風に変わるかわからないものです。1986年当時、こういう状況を想像した人はいなかったでしょう。
こうした想像できないような変化を生みだしたのは、マルコス家が地域で隠然たる政治力を昔も今も有しているというフィリピン的政治風土でしょう。