(「子ども兵士」で悪名高い「神の抵抗軍」(LRA)の指導者ジョゼフ・コニー(手前)【1月24日 Newsweek】
1986~2005年に6万6000人超の子供を誘拐したとされますが、今も活動を続けています。)
【テロで存在感を競うISとアルカイダ】
アフリカで民族・宗教間などの紛争・衝突、イスラム過激派の台頭などが見られるのは今更の話ではありますが、最近よく目にするのはブルキナファソやニジェールといった西アフリカ地域の状況。
貧困層が多く、国家の治安維持機能も脆弱な西アフリカでは、ISやアルカイダなどのイスラム過激派がその勢力を拡大し、テロも頻発しています。
****西アフリカのクリスマス・テロ――ブルキナファソは「第2のシリア」になるか****
西アフリカのブルキナファソで、イスラーム過激派が軍事基地などを相次いで襲撃するクリスマス・テロが発生した
この国を含む西アフリカ一帯にはISやアルカイダが流入して勢力を広げる一方、国際的な関心も低く、取り締まりは追いついていない
ISとアルカイダのイスラーム過激派同士が、金の産出地帯をめぐって勢力争いを繰り広げることが、テロの蔓延に拍車をかけている
ほとんどの国が関心をもたない西アフリカは、いまやイスラーム過激派が目立つテロを競う場になっている。
ブルキナファソのクリスマス・テロ
キリスト教最大のイベントであるクリスマスは、ほぼ例年イスラーム過激派の大規模なテロが世界のどこかで発生してきた。今年、それは西アフリカのブルキナファソで発生した。
25日、同国北部スム県にあるアリビンダ基地が襲撃され、兵士7人、民間人35人が殺害され、攻撃した武装勢力も80人以上の死者を出した。巻き添えになった民間人のうち31人は近隣の女性だった。スム県では24日にもパトロール中の軍隊が襲撃されている。(中略)
ブルキナファソの人口の約80%はムスリムだが、キリスト教徒もいる。これまでのところ、犯行声明を出した組織はない。
「第2のシリア」?
今回の事態は、かねてから警戒されていた。ブルキナファソを含む西アフリカでは、イスラーム国(IS)やアルカイダといったイスラーム過激派の活動が活発化しているからだ。
例えば、ブルキナファソに限っても、2015年からだけで700人が殺害され、56万人が避難を余儀なくされており、国連は同国が「第2のシリア」(Another Syria)になりかねないと警告していた。
中東を追われたイスラーム過激派は世界に拡散しているが、そのなかでもアフリカは「狙い目」にされやすい。その背景には、治安機関が脆弱で取り締まりが充分でなく、さらに「テロリスト予備軍」としてリクルートの対象になる貧困層も数多くいることがある。
とりわけ、ブルキナファソを含むサハラ砂漠の一帯(サヘルと呼ばれる)は、隣接するアルジェリアやリビアなど北アフリカから過激派が数多く流入している。北アフリカは中東の一部でもあり、サヘルはその玄関口になっているのだ。
世界から見放されたサヘル
ブルキナファソをはじめサヘル一帯でのテロの蔓延は、難民の流出に拍車をかけている。国連難民高等弁務官事務所は今年10月段階で、アフリカの西部から中部にかけて130万人の難民と470万人の国内避難民がいると推計している。
こうした人道危機への懸念から、例えばフランスのマクロン大統領は2017年、ブルキナファソの他、チャド、ニジェール、マリ、モーリタニアの5カ国(G5)とテロ対策の強化で合意。G5は国境を超えるテロ組織に共同で対処することを目的にしており、フランスはこれに訓練や兵站などで支援してきた。
サヘルの国にはかつてのフランス植民地が多く、いわばフランスの縄張りでもあるが、これにはやはり難民増加を懸念するドイツやカナダなども協力している。
しかし、他の多くの国は、サヘルでのテロ対策に必ずしも熱心ではない。中東と異なり経済的な利害関係が少ないことが、その大きな要因といえる。サヘルのテロは、いわば世界から見放されてきたのである。
テロ組織同士の抗争
世界から半ば放置されたサヘルの状況は、ISとアルカイダの縄張り争いによって、さらに悪化している。
ISはもともとアルカイダから分裂した組織で、両者は直接衝突することは稀でも、基本的に関係がよくない。
そのうえ、両者は資金源をめぐっても対立している。シンクタンク、国際危機グループによると、これらの組織はブルキナファソからマリにかけて広がる金の産出地帯を制圧しており、これをめぐっても争っている。(中略)
ISとアルカイダが少しでも相手と差別化して、存在感を誇示しようとした場合、一番分かりやすいのは目立つテロ事件を引き起こすことになる。こうした「レース」は、2015年に2度の大きなテロに見舞われたパリをはじめ、これまでにも世界の各地で発生してきたことだ。
今月12日、フランス政府は来年初旬に開催予定だったG5との首脳会合を延期すると発表した。その直前に、G5の持ち回りの議長国であるニジェールで発生した、71人の兵士が死亡するテロ事件が理由だった。この事件ではISが犯行声明を出したが、これがアルカイダを触発したとしても不思議ではない。
だとすると、今回のブルキナファソの事件がどの組織によるものだったとしても、この事件そのものが次の事件を誘発することは充分考えられるのである。【2019年12月26日 六辻彰二氏 YAHOO!ニュース】
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上記記事が指摘するような“この事件そのものが次の事件を誘発する”関係かどうかは知りませんが、ブルキナファソでは今年に入ってからも武装勢力による住民襲撃が相次いでいます。
****西アフリカ、住民30人超殺害 ブルキナファソ、市場襲撃****
西アフリカ・ブルキナファソ北部の村の市場で25日以降、武装勢力が住民を襲撃し30人以上を殺害した。イスラム過激派の犯行とみられている。AP通信などが28日報じた。国営テレビによると、死者は50人に達する恐れがあるという。
ブルキナファソ北部では20日にも別の市場が襲われ、少なくとも36人が死亡したばかり。同国や隣国マリ、ニジェールでは過激派が台頭し治安が悪化。特にブルキナファソでは襲撃が急増している。
目撃者らによると、襲撃は25日に始まり、戦闘員らはその後も何日間か村にとどまった。【1月29日 共同】
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同じ西アフリカのニジェールでも。
****軍の基地に相次ぐ襲撃、兵士さらに89人死亡 ニジェール****
西アフリカのニジェール西部で軍の基地が武装集団に襲撃され、兵士89人が死亡した。事件を受け、政府は3日間の服喪を宣言した。
ニジェール政府の12日の発表によると、隣国マリとの国境に近い地域で9日、軍の拠点が武装集団に襲撃された。
同国は犠牲者をしのんで全土で半旗を掲げると表明。マハマドゥ・イスフ大統領は遺族に哀悼の意を表し、負傷者の早期回復を祈るとした。
ニジェールでは昨年12月にも軍の拠点が襲撃され、兵士71人が死亡していた。
ニジェールと隣国のマリは、イスラム過激派との戦闘が続く中、軍の拠点に対する襲撃が過去数カ月で相次いでいる。
マリでは昨年11月、過激派の掃討作戦を行っていたヘリコプター2機が衝突事故を起こし、フランス軍の兵士13人が死亡。同月、北東部の基地が襲撃された事件では兵士50人以上が命を落とした。
ニジェール政府によると、マリとの国境付近にある基地は、バイクや車でやって来た集団に襲撃された。治安部隊の反撃によって、テロリスト77人を殺害したとしている。【1月14日 CNN】
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【増大する子供の犠牲】
こうした劣悪な治安状況にある西アフリカ・サヘル地域では、多くの子供が犠牲になっています。
****アフリカ・サヘル地域紛争、子どもの殺害や手足欠損「数百人」 ユニセフ****
アフリカ・サハラ砂漠の南縁に位置し、イスラム過激派勢力が猛威を振るっているサヘル地域では昨年、子ども数百人が殺されたり手足を失うなどの重傷を負ったり、両親と引き裂かれたりした。
28日に発表された国連児童基金(ユニセフ)の報告によると、サヘル諸国のうちマリだけでも、昨年1〜9月に277人の子どもが殺されたり重傷を負ったりした。前年の2018年と比べて2倍以上になるという。
マリはフランス軍や国連部隊の支援を受けているが、2012年に同国北部で武装蜂起した反政府勢力やイスラム過激派勢力の鎮圧に苦戦している。これまでに兵士や民間人数千人が犠牲になった上、戦闘は同国中心部や隣国のブルキナファソとニジェールにも広がり、民族間の緊張もあおった。
ユニセフの報告によると、サヘル地域全体で「戦闘に巻き込まれた子どもたちに対する暴力が著しく増加」しており、ブルキナファソとニジェールでも子どもたちが殺人や性暴力、誘拐、武装集団の戦闘員動員の標的となっている。
広範囲に及ぶ紛争で自宅を逃れ避難民となった人は昨年11月時点で、前年の2倍の約120万人となり、その過半数を子どもが占めている。また約490万人の子どもが人道援助を必要としているという。
ユニセフ西部・中部アフリカ地域事務所のマリー・ピエール・ポワリエ代表は「子どもたちが直面している暴力の規模に、われわれは衝撃を受けずにはいられない」「数十万の子どもたちがトラウマになる経験を生き抜いている」と語った。 【1月28日 AFP】
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【解放後も偏見の目にさらされる元少女兵】
子供の戦争被害は、子供自身への被害の他、子供が拉致され「少年兵」として戦闘に投入されるということがあります。
****子ども兵士894人解放、反ボコ・ハラムの民兵組織 ナイジェリア****
国連児童基金(ユニセフ)は10日、ナイジェリアでイスラム過激派「ボコ・ハラム」と対峙(たいじ)する民兵組織から少女106人を含む子ども894人が解放されたと明らかにした。
解放された子どもたちは北東部マイドゥグリで地元の民兵組織「一般市民合同タスクフォース(CJTF)」によって兵士として採用されていた。CJTFは2013年、一帯の反政府勢力の活動に対抗するために作られた組織。
ユニセフによると、ナイジェリア北部の紛争では2013〜17年にかけて3500人以上の子どもが兵士になった。ボコ・ハラムはこの地域で10年以上にわたり戦闘を続けており、村を焼き打ちしたり軍基地を襲撃したりしている。
ユニセフ・ナイジェリアのモハメド・フォール事務代表は「戦闘の影響を受ける子どもたちがいる限り、子どものための闘いをやめてはならない。我々はナイジェリアの全武装勢力の兵士から子どもがいなくなるまで取り組みを続けていく」と述べた。
ユニセフによると、CJTFは2017年に子どもの兵士採用を終わらせる行動計画に署名して以降、1727人を解放してきた。ユニセフはナイジェリア政府や地元当局と協力し、こうした子どもたちの社会復帰を支援しているという。
ボコ・ハラムの戦闘員は集団拉致や暗殺、市場の爆破を実行。軍が奪還したと主張する地域でも兵士の殺害に及んでいる。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、今年1月には3万人近くがナイジェリアの村から隣国カメルーンに避難する事態となっていた。【2019年5月11日 CNN】
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上記記事では“少女106人を含む”ということで、「子ども兵士」という言葉を使用していますが、通常は「少年兵」という言葉がよく使われます。
「少年兵」という言葉のイメージからは少女たちの存在が抜け落ちてしまいます。
拉致された少女たちについては、性的な虐待が連想されますが、少年同様に兵士として戦闘に駆り出される少女たちも少なくないようです。
また、少女については解放後ももとの社会になかなか受け入れてもらえないという、少年とは異なる問題もあります。
****殺人を強いられた元少女兵たちの消えない烙印****
<武装勢力に誘拐され残虐行為に加担させられた少女たちは、解放後も偏見の目にさらされる――彼女たちが笑顔を取り戻すために必要な支援とは?>
マーサが初めて人殺しを強いられたのは10歳の時だ。小さな体に不釣り合いな長いおのを持たされ、村人の首を切るよう命じられた。マーサはその前の晩、ウガンダ北部の自宅で就寝中に家に押し入った男たちに縄で縛られ森に連れてこられたばかりだった。(中略)
誘拐したのはウガンダの武装勢力「神の抵抗軍(LRA)」。マーサは13歳になるまでに、ほかにも斬首や赤ん坊を殴り殺すなどの残虐行為を強いられ、村々への襲撃にも加わった。
命令に逆らった子供は見せしめのため手足を切り落とされたり、唇に金属の錠前をはめられたり、死体の上で寝かされたりする。
マーサはろくに食べ物も与えられず、日常的な暴力に耐えて森で生き延びた。いつか逃げ出して家に帰ろう。その思いだけが支えだった。
ユニセフ(国連児童基金)の調査によると、LRAが1986年から2005年までに拉致した子供は6万6000人を超える。「子供の兵士」という言葉から多くの人が連想するのは、小さな体に銃を背負い、迷彩服を着て声を合わせてスローガンを叫ぶ洗脳された少年たちの姿だろう。少女まで殺戮に駆り出されていることはあまり知られていない。
(中略)武装勢力に加わっていたことは、少女にとっては少年以上に深い恥辱となる。彼女たちは救済されるか逃げ出して家に帰ってからも、長く白い目で見られる。だが、少女兵に特有の問題はほとんど知られていない。
紛争地域に入るのは困難で、報道も少ない。加えて国連の調査・検証の基準が厳格なこともあり、世界中で少女兵がどのくらいいるか正確な数字は把握できない。
それでも国連によると2000年以降、武装勢力から解放された子供の兵士は少なくとも11万5000人に上り、うち最大4割は少女とみられる(国連が確認した数は実数のごく一部にすぎないと専門家は指摘している)。
誘拐された少女の一部は戦闘に駆り出されるが、多くは物資の運搬や調理、偵察や負傷者の手当てをさせられ、幼妻にされる子もいる。
性的暴力は日常的で、LRAに8年間拉致されていたジャネットという少女の話では、メンバーは成人女性よりもHIV感染のリスクが低い未成年者を好むという。
武装勢力による少女誘拐に世界の関心が集まったのは2014年4月に起きた事件がきっかけだ。ナイジェリアの過激派組織ボコ・ハラムが北東部チボクの寄宿学校を襲撃し、少女276人を誘拐した。
その後、少女たちの多くは救出されて家族と再会し、人々は安堵したが、同時にこうした少女を助けようという機運が盛り上がった。(中略)
武装勢力の下に戻る子供も
だが、誘拐された少女たち全員が解放後に温かい支援を受けられるわけではない。多くは家に帰ってからもトラウマにさいなまれ、「元少女兵」の不名誉な烙印を押されて身の置き場のない日々を送っている。
私が会ったとき、マーサは21歳になっていた。LRAの監視下に3年間置かれた末、逃げ出してから8年がたっていた。
初めのうち彼女はうつむいたまま、じっと押し黙っていた。そして声を振り絞るようにして、自分でも認めたくない屈辱を吐き出した。「こんな思いをすると分かっていたら、森から逃げなかったのに」
実際、命からがら逃げ出したのに自分の意思でまた武装勢力の下に戻る子供は後を絶たない。その割合は推定10人中3人に上る。
耐え難いのは周囲の偏見だ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療と職業訓練を受けても、差別は根強く、経済的・社会的な孤立に追い込まれる。元少女兵の汚名に悩み、トラウマからの回復もままならず、家族や友人との関係が壊れるケースも多い。
社会復帰の難しさは少年兵と少女兵に共通する部分もあるが、明らかな違いもある。話を聞いた元少女兵の多くは、元少年兵以上に職探しに苦労していた。
汚名はわが子にも付きまとう
LRAの下で6年を過ごし性的暴力を受けたミリは解放後に職を探したが、「傷物」を雇えば評判が悪くなると、どこに行っても断られた。1年間捕らわれていて少年兵と共に戦闘に駆り出されたレベッカも、女のくせに暴力を振るうなんてとんでもないと門前払いを食らった。(中略)
元少女兵の汚名は結婚の妨げにもなる。マーサは12歳になる前、強制的にLRA司令官の妻にされた。
「25歳になった今でも、まだ『汚れた女』と思われている」と、彼女は嘆く。(中略)
世界各地にいるマーサのような元少女兵には、私たちの助けが必要だ。戦争を生き延びることも大変だが、その後の社会的・経済的影響を耐え抜くことも同様に難しい。【1月24日 Newsweek】
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