3月30日ブログ“パキスタン・フンザ アンズが咲き誇る村で、変わりゆくフンザを考える”で、フンザの観光地化・変化を取り上げた際に、フンザ出身の男性と結婚されたスズケーさんのブログ「変わるフンザ 観光客がダメにする」(https://suzukikeiko.com/pakistan/information/change-hunza/)を「勝手に」紹介しました。
そうしたところ、スズケーさんご自身から以下のようなコメントを頂きましたのでご紹介します。
**********************
ブログのご紹介ありがとうございます。
本日こちらのブログからのアクセスが何件かあって、紹介していただいていることに気がつきました。
現在フンザに滞在中だそうで、今日はお天気もよくなかったようなので、
ちょっと寒かったのではないかと…
フンザが変わることについてですが、
あのブログでは少しわかりにくかったかもしれませんが
(末尾に別の関連記事へのリンクを追加しました)
フンザが近代化することに関しては私は悪いと思っていません。
実際に1年住んで、何もないことが大変なことも重々理解してますし、
そもそも、今そこに住んでいない私がどうこう言えることではないですし。
あれは、景色や近代化云々に関してではなくって、
外国人に慣れて、人として、ムスリムとして、
ダメな行為をしちゃうような人が増えるのはどうなの?って言うことに関する記事でした~。【スズケーさん】
**********************
私も特段の定見がある訳でもありませんので、“変化”に関する話そのものについては特に言うべきこともありません。
話の内容より驚いたのは、私のブログからスズケーさんのブログへアクセスされた方が何人かおられるということです。
10年以上、ほぼ毎日このブログを書いているせいで、gooブログサイトが表示するアクセス数は非常に多く(訪問者数で1200件前後 PV数で4000件前後)、286万程度あるgooブログ中200位前後(!!!)記録しているとされています。本当かね???
一方、やはり10年以上、全く同内容をコピーしてアップしているアメーバブログの訪問者数は毎日20~30件(!!!)程度。
この差は何なのか?(以前はアメーバブログの方はもう1ケタ多かったようにも思いますが、それでも大きな差が以前からありました)
Gooブログの方は自動検索のボットをカウントしているせいで、異様に数が膨らんでいるのだろう・・・と理解していました。
そういう話になると、「何を書いたところで、見ているのはボットばかり」ということにもなって、「じゃ、まあ、好き勝手に書き飛ばすか・・・」という話にもなります。
そういうなかで、私のブログからスズケーさんのブログへアクセスされた方が何人かおられるということは、まともに読んでいただいている方、しかも引用元まで飛ばれた方がいるということで、驚いた次第です。
でも、今書いていて気づいたのですが、ひょっとして引用先に飛んだのもボット???
もう、わかりません。
最近わかったことがひとつ。
アメーバブログの訪問者数は毎日20~30件ですが、そのなかで「いいね」してくださる方が毎日数件いらっしゃいます。
ひと月ほど前からアメーバブログで全く別ジャンルのブログを始めてみてわかったのですが、20~30件のなかから数件の「いいね」というのは非常に高率のようです。
たとえ数は少なくても、そうした方々に感謝しないといけない・・・と、最近改めて感じています。
(別に、「いいね」を催促している訳では決してありません!!!! ただ、「いいね」してもらえれば嬉しいです・・・なんてね)
話をパキスタン・フンザ旅行に戻すと、今日はベシャームからカラコルムハイウェイを更に南下して、首都イスラマバードまで戻ってきました。明日夜には帰国します。
今日は、旅行中に食べた料理の話。
冒頭写真は到着日夜にイスラマバードのアフガニスタン料理店で食べたバーベキュー(カバーブ)
マトンだったか、チキンだったか忘れました。(多分チキン)
画像左上はマトンかビーフが中に隠れている炊き込みご飯・プラウ(ピラフの語源でもあり、ビリヤニとは正確には違うと言われていますが、実際にはあまり区別されていないようにも)
アフガニスタンの内戦・混乱で、パキスタンには多くのアフガニスタン難民が生活しており、こうしたアフガニスタン料理のお店も。
店に飾られた(タリバンによって破壊され、今はもう見ることもできない)バーミアン大仏の絵が痛々しい感じも。
なお、フンザ方面で見かける人々のイメージをザックリ言えば、アフガニスタン関連のニュースで目にする人々とよく似ている・・・という感じ。(パキスタン自身はメディア露出が少なく、パキスタンの人々のイメージがないため、上記のような話にもなります)
ギリシャ彫刻のようなヨーロッパ的な風貌もよく見かけます。
実際、アフガニスタンとパキスタン北部は民族的・宗教的にも関連が強く、パキスタンにもハザラ人が多いエリアがあったりもするようです。
そうした類似性もあってタリバンはパキスタン北西部を出撃・物資補給拠点にしていた訳ですが、現在は一掃され、北西部エリアの治安・政府支配はよくなったとのことです。ガイド氏の話ではカーン首相の功績が大きいとか。
一方でパキスタン国軍が長年タリバンを支援してきたということ(これも、ガイド氏の話では今はないそうです)についても、上記のような類似性があっての話で、部外者の批判的見方とはまた異なるものもパキスタン(軍部)にはあるのかも。
話が、どんどん料理からそれていきます。(最初からブログ訪問者数の話にそれて、今日はそれまくりです。これも、悪路カラコルムハイウェイの8時間ほどのロングドライブで疲れているせいでしょう)
料理の話は、明日以降にまた仕切り直して取り上げることにします。