(写真はANAのHPより 私は最近ANAには搭乗していませんので、本文内容とは一切関係ありません。)
【“ガラパゴス化”する感もある心地よい日本流のサービス】
一昨日ミャンマー旅行から戻りましたが、その帰国便での出来事などから“中国系航空会社の格安航空券の“チャイナリスク” 乗客サービスへの意識の欠如”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20161128を書きました。
その際、“中国で遅延が減少しない根底には、乗客の不便を解消したいという思いが空港・航空会社スタッフに欠如していることもあるのではないでしょうか。”といったことも書きました。
逆に言えば、他者に迷惑をかけないという思い、顧客サービスの徹底、「お客様は神様です」といった行動は、日本社会の美徳として中国でも一定に認識されつつあり、連日その類の記事が報じられています。
実際、帰国して国内フライトや新幹線などで日本流のサービスに接すると、「日本という国はなんと優しい穏やかな、配慮の行き届いた国なんだろうか・・・」としみじみ感じます。
****日本のコンビニに見た「顧客を絶対視するサービス精神」=中国報道****
日本を訪れた中国人旅行客は、日本の百貨店やホテルなどで提供されるサービスを口々に絶賛する。だが、中国人からすれば、日本のサービスの質の高さは決して百貨店やホテル特有のものではなく、コンビニエンスストアのように日常に密着した場所でも実感することができるという。
中国メディアの今日頭条は28日、日本のコンビニは「品揃えが十分で鮮度管理も完璧であり、店内は清潔であるうえ店員の接客態度もすばらしい」と伝え、これらは「顧客を絶対視するサービス精神」があるからこそ実現する要素であると絶賛している。
記事は、日本各地にあるコンビニはすべてが顧客のニーズに基いた経営がなされていることを紹介。例えば、冬に冷麺を食べたいと思っても中国のコンビニでは販売されていないと指摘し、それは「冷麺は夏に食べるもの」という固定概念があり、顧客のニーズを真剣に考えていないためだと論じた。
だが、日本のコンビニは「冬になると屋内は暖房によって温度が上がり、冷たい食べ物を求める人も出てくる」ということまで考え、冷たい食べ物もちゃんと販売されていると紹介し、「こうした品揃えは顧客のニーズを最優先するサービス精神があってこそ」だと論じた。
また、季節に応じて商品ラインナップを変化させるのも日本のコンビニの凄さであり、「顧客のニーズの先を読み、顧客のニーズが顕在した時にはすでに販売されているというのも、まさに顧客志向であり、サービスの質の高さを示す事例」であると称賛した。
中国にももちろんコンビニは存在するが、まだ顧客志向や徹底したサービス意識が低いためか、日本のように「生活に密着した、なくてはならない存在」となってはいないようだ。
記事も「中国人の仕事は心がこもっていない」、「どのような仕事であっても脳を使う必要がある」と指摘しており、製造業でも小売業でも成功するためには顧客に質の高い消費体験を提供するためのサービス精神が必要不可欠であると論じている。【11月30日 Searchina】
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****日本を訪れれば誰だって・・・中国人が日本を好きになる理由=中国報道****
反日感情を抱きつつも、日本を訪れたことをきっかけに対日観が一変したという中国人は少なくない。なかには、嫌いだった日本が「好きになってしまった」という中国人もいるようだが、中国メディアの今日頭条はこのほど、中国人が日本を好きになる理由について考察する記事を掲載した。
記事は、「日本を訪れたことのある中国人は誰もが日本を好きになってしまう」と伝えつつ、その理由を考察。
まず1つ目に挙げたのは「日本の清潔さと日本人の親切さ」だ。特に「日本人は他人に迷惑をかけることを嫌う一方で、他人に対しては非常に親切」だと称賛し、助けを求めている人には手を貸すことを厭わないと論じた。(後略)【11月29日 Searchina】
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ただ、心地よい日本流のサービス、心遣いではありますが、ときに「そこまでやる必要があるのだろうか?」という戸惑い・疑問も感じます。
空港に到着した際の機内アナウンスで「お席から立ち上がられる際には、頭上の荷物入れにお気を付けください」云々、空港ではゲートを出入りする女性スタッフが待合室の乗客に一礼する様子(スーパーの店員がバックヤードに戻るとき、店内に一礼するのと同じです)など。
一番驚いたのは、国内便機内でCAが飲み物を乗客に配る際でした。
写真入りのメニューを乗客に見せて「どれになさいますか?」と尋ねるのは、外国航空会社ではあまり見ない実に便利なサービス・配慮です。
驚いたのはそのあとで、頼んだ飲み物を受け取るときに聞いた「○○でお間違いなかったでしょうか?」という言葉でした。普段よく聞く言葉であり、自分自身も使いますが、機内サービスでそういった言葉を聞くのは初めてで驚きました。
何十人もの乗客に手早くサービスしながら、そこまで気遣いするというのは大変なことだと感じ入ったのですが、同時に、そこまでの気遣いが必要なのだろうか?という思いも。
なんだか、昔より一段とこうした“日本流のサービス”の徹底が進んでいるように思われます。
もちろん“おもてなしの心”とか行き届いた顧客サービスというのは素晴らしいことで、日本社会が誇るべき美点ではありますが、あまりにそこにのめり込んでいくと、そのことが自己目的化し、早さ・正確さ・効率などを求めている顧客ニースとやや乖離していき、日本特有の“ガラパゴス化”の懸念も感じた次第です。
まあ、何事についても徹底しないと気が済まない・・・というのも、日本社会の特性のひとつではありますが。
【“疲れる社会”の過労死や無理な24時間年中無休】
常に心づかい・配慮を要請される社会は、正直なところ“疲れる社会”でもあります。
その極端な事例が過労死でもあります。
“花形企業”とも思われていた電通で起きた過労自殺について、中川淳一郎氏(ネットニュース編集者)は、その「お客様は神様」という日本式発想に疑問も呈しています。
****「お客様は神様」変えよう****
電通で起きた過労自殺について、詳細を知っているわけではありません。でも、同じ広告の世界に身を置いた人間として、業界全体の構造的な問題は大きいと思います。
広告業界には、「お客様は神様」という文化が染みついている。最大手の電通も、本質は「客に忠義を尽くす出入り業者」でしかないと感じます。クライアントにいかに気に入られるかがすべてです。
少し重要な打ち合わせなら、チーム全員で行きます。とにかく数が多い方がアピールになる、そんな発想がある。十数人で行っても、実際にしゃべるのは4、5人で、若手はその場にいるだけ。必要もないのに付き合わされるから、どうしても長時間労働になってしまうのです。
ぎりぎりにクライアントから「ちょっと表現を変えて」などと求められても、「無理です」とは言えない。写真だって、ソフトでいくらでも加工できる。技術が発達すれば仕事は楽になるはずなのに、逆にやることは増えている。
広告の世界は、一般の人からのクレームを非常に恐れます。ネットの普及で、ものすごく増えました。現場は、法務部やリスク管理部門から厳しくチェックされる一方で、上司のおっさんからは「最近の若いやつは思い切ったことをしない」とか言われてしまう。板挟みですよ。
世間的には「いい勤め先」だと見なされる大手広告会社は、給料もいいし、社会的地位も高く、モテます。でも、むしろブラック企業と社会から認定されたほうがいいと思う。そうすれば「どうすれば長時間労働を減らせるか」などと、現実的な話になる。
そこで重要になるのが、同じ広告業界でも、下請け企業の過酷な実態にきちんと目を向けることです。大手に比べて下請けは給料が低く、労働時間はもっと長いのが普通です。でも「お客様は神様」という文化は共通だから、クライアントや元請けにかなり気をつかわなきゃいけない。
10月にブログで「下請けであるPR会社や制作会社の若者の疲弊にも目を向けてほしい」と書いたら、「あの部分に救われました」といろいろな人から反響がありました。長時間労働を、電通の問題だとクローズアップすると、業界のいちばんブラックな部分が覆い隠されてしまいます。
解決策は、コスト意識を持つこと。広告会社は必要以上の数の人間はチームに入れず、下請けまでを含めて、実際の働きに応じて利益を配分する。下請けの若手が書いたコピーが採用されたのなら、その人がたくさんお金をもらえるシステムにするのです。
「お客様は神様」という意識と下請けの過酷さの両方を変えないと、どの業界でも長時間労働の改善にはなかなかつながらないと思います。【11月29日 中川淳一郎氏 朝日】
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フランスなどでは日曜営業に対して働く側からの強い抵抗があるようですが、その対極にある日本の「24時間年中無休」にも“無理”があるのでは・・・という指摘も。
****「24時間営業」から見る、日本のサービスの極致 そしてその背後にある「無理」=中国メディア ****
先日大手ファミリーレストランチェーンのロイヤルホストが、来年1月までに24時間営業を廃止することを発表したことが伝えられ、24時間営業の意味や是非を巡る議論に火を着けた。
日本の小売業界や外食業界はこれまで営業時間の拡大を進めてきたが、「長い時間営業していれば儲かる」という時代は、どうやら過去のものになりつつあるようだ。
中国メディア・今日頭条は24日、「24時間年中無休に見る、日本の極致のサービス」と題した記事を掲載した。記事は決して24時間年中無休という日本のサービス業界を手放しで賞賛しているわけではなく、むしろ「無理を強いてきたのでは」という観点に立って論じている。
記事は、ロイヤルホストが来店客の変化に基づき、24時間営業の廃止を決定し、定休日の設定まで検討課題となっているとしたことを紹介。人びとの生活習慣が変化し、深夜の客源が減り続けると同時に、労働力不足による賃金上昇が経営を圧迫し始めていると解説した。(中略)
記事は、このような営業形態は「極致」と称される日本のサービスの一部であるとの見方を示す一方、「このような日本式サービスの背後にあるのは、巨大な生理的、心理的圧力という代価である」と解説。「極致」を求めるサービスにより、過労死などといった一連の社会問題も引き起こしていると説明した。
そして、これからサービス業が大きな発展期を迎え、その進むべき道を模索している最中の中国にとって「日本の経験は、研究し参考にすべき価値が非常に大きいのである」と論じた。
ヨーロッパでは、商店が夕方にシャッターを下ろすのが一般的。商売っ気がないのではなく、夜は家族との時間を楽しむべし、という社会的観念によるものだ。
文化や習慣の大きく異なる日本でもそうしろ、というのはあまりにも乱暴でナンセンスな話だが、24時間営業や年中無休が決して「当たり前」ではないとの認識を持つのは悪いことではない。
日本では年々正月休みが簡素化していく。一方、中国では春節(旧正月)期間中に営業する店は、外国人経営の店や外資系ファストフード店やコンビニエンスストア、そして大型ショッピングモールを除けばわずかだ。この時期、軒並みシャッターが閉まる光景に不便さを感じる一方で、「休む時は休む」ことに対する羨ましさも覚えるのである。【11月28日 Searchina】
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【自国の居心地の良さを重視する「内向き」志向】
更に気になるのは、昨今“日本流のサービス”が一段と強調されるようになっている傾向と、日本人、特に若い世代の自国の居心地の良さを重視する「内向き」志向の間には、何か共通の背景があるのでは・・・ということです。
****奔放から内向へ・・・日本社会はどうしてしまったのか? =中国メディア****
近ごろ、日本人の「内向き志向」や留学離れが、しばしば議論のテーマになっている。一方、国外旅行者や留学生が急増し、富豪による外国移住や外国不動産購入ブームが起こるなど、中国社会は今まさに、「外向き」のエネルギーに満ちている。
中国メディア・環球網は17日、「奔放から内向へ 日本はどうしたのか」とする記事を掲載した。記事は、国外に出て行こうとせず、国内に引きこもる日本の若者に対して、日本国内の学者から将来の経済発展や科学研究能力を憂う声が出ているとしたうえで、「30年以上前には外の世界に対する好奇心に満ち溢れ、世界各地を奔走していた日本人が、どうしてこれほどまでに内向きになってしまったのか」と疑問を提起した。
そして、中国社会研究院日本研究所の専門家が「戦後日本社会の精神状態は、経済発展の軌跡と不可分である」とし、1990年代にバブル経済が崩壊し低成長時代に入ったことで、超富裕層を除く市民の生活水準が低下、これに伴い海外に向けた投資や消費も減り、それまで急増していた海外留学者数も増加にブレーキがかかり、21世紀に入ってからは減少に転じたと解説したことを伝えた。
さらに、バブル崩壊により、それまで日本に充満していた活力や野心が消え去ってしまい、その代わりに、疲弊や将来に対する恐れを抱くようになった、長期にわたる西洋化を経てもなお、日本には保守的な「島国文化」が根強く残っているなどと論じている。
その一方で、同研究所の専門家が、「国際社会における地位の変化とも直接関係している」とし、いわゆる「失われた20年」の中で日本は社会資本の蓄積、技術的な富の獲得、ソフトパワーの充実を進めるとともに、自らの政治や安全保障における戦略的な自主性に関心を持つようになったのだ、と説明したことを併せて紹介。日本人の「内向き志向」は必ずしも退廃的なものではないとの見方を示した。
「外向き」のエネルギーに満ちている今の中国社会から見れば、そのエネルギーが一段落している日本の現状は「衰退」と見えるのかもしれない。
「内向き志向」にはネガティブな部分もあることは否めないが、一方で自国の良さ、居心地の良さを感じている人が増えている、というポジティブな捉え方もできるのではないだろうか。【10月22日 Searchina】
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【「希望格差」の国における「今の幸せ」】
“自国の良さ、居心地の良さを感じている人が増えている”・・・・確かに表立った現象としてはそういう流れがありますが、額面通りに受け取っていいのか?
将来に展望が開けていないがために、「今の幸せ」にしがみついている・・・という見方も。
****新卒採用で人生が決まる、日本は「希望格差」の国****
<将来に「希望がある」と感じる日本の20代の割合は、他国と比べると格段に低い。なかでも男性の正規・非正規の間の「希望格差」が突出している>
人は将来を展望して生きる存在だ。今の状況が思わしくなくても、将来に展望が開けていると信じられるならば、それほど苦痛には感じない。前途ある若者の場合は、特にそうだ。
世論調査のデータによると、日本の若者の生活満足度が高まってきている。昨今の若者の厳しい状況を思うと違和感があるが、それは将来に展望が開けていないことの裏返しでもある。「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今は幸せ」と答えるのだという(古市憲寿『絶望な国の幸福な若者たち』講談社、2011年)。
逆に言うと、「今日よりも明日がよくなる」という展望が開けているなら、「今は不幸」と感じるとも言える。これからの見通しが開けているのに「今が幸福」と言いきってしまえば、将来の明るい展望に蓋をしてしまうことになるのだから。
未来を担う若者の意識を読み解くには、「希望」に着眼することが重要だ。しかし日本の若者は、他国にくらべて希望を持っていない。20代のうち、「希望がある」または「どちらかといえば希望がある」と答えた人の割合は、日本が54.6%、韓国が87.4%、アメリカが88.9%、イギリスが88.1%、ドイツが80.5%、フランスが80.7%、スウェーデンが89.2%となっている(内閣府『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』2013年)。日本の比率は格段に低い。
では、希望を持っていないのはどの層か。20代のサンプルを、性別と「従業上の地位(正社員か否か)」で分けて、グループごとの希望率を計算してみると<表1>のようになる。ここでの分析対象には、在学中の学生は含んでいない。
日本の数値は際立って低く、女性よりも男性、正社員よりも非正社員が希望を持っていない。男性では正社員と非正社員の差が大きく、後者の希望率は3割しかない。性別の役割観が強い日本では、低収入の非正規雇用男性は、結婚などの展望が持ちにくいためだと思われる。まさに「希望格差」だ。
正社員より非正社員の希望率が低いのは他国も同様だが、日本ほどの落差はない。ヨーロッパ諸国では、キャリアが非正規雇用から始まり、徐々に正規雇用に移行していくパターンが主流というが、こうしたキャリアパスの違いにもよるだろう。新卒時に正社員になれるかどうかが重要な日本とは異なる。
「希望が持てない」日本の若者は、自殺率も高い。1990年では主要国で最も低かったが、この四半世紀の間にトップになっている。「失われた20年」は、若者の人生に大きな影を落としている。(後略)【11月30日 舞田敏彦氏(教育社会学者) Newsweek】
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そもそも、若い世代が「今は幸せ」と口にするというのが、私のような古い世代にはなんとも“奇妙なこと”に思えます。
私が若い頃は、若い世代にとって現実世界は矛盾に満ち、自分の受入を拒む“対峙すべき存在”であるという感覚が“常識”でしたので・・・。もちろん、現実世界に飛び込み生きて行かなければならない・・・そこに悶々とした葛藤がありました。
****私達の望むものは****
私達の望むものはあなたと生きることではなく、私達の望むものはあなたを殺すことなのだ
今ある不幸にとどまってはならない まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ
私達の望むものは・・・・【岡林信康「私達の望むものは」】
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