(“flickr”より By eelviss
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【過去最多の共同提案国、賛成国】
日本が国連の場で毎年提案している核兵器全廃を目指す決議案「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」が29日、過去最多の170カ国の賛成で採択されました。
共同提案国も70か国を超え、過去最多だった昨年の58か国を大幅に上回り、オバマ米大統領による「核兵器のない世界」提唱など核軍縮機運の高まりを示すものと見られています。
*****「核兵器全廃」決議:最多170カ国の賛成で採択 国連委*****
国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)は29日、日本が作成し米国などとともに提出した核兵器全廃を目指す決議案を過去最多の170カ国の賛成で採択した。同種の決議案採択は94年から16年連続。共同提案国は87カ国で過去最多。米国は初めて共同提案国となった。12月の国連総会で採択される見込み。これで、核実験全面禁止条約(CTBT)の発効や来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に弾みがつくとみられる。
米国の賛成は00年以来9年ぶり。英露など核保有国も賛成した。賛成は最も多かった06年の169カ国を超えた。反対はインド、北朝鮮の2カ国で昨年から2カ国減った。中国や、昨年賛成だったフランス、昨年反対だったイスラエルなど計8カ国が棄権した。
決議は前文で、NPTが核不拡散体制に決定的に重要としたうえで、▽米露の政治的主導で世界的な核軍縮機運が高まっている▽9月の国連安保理首脳会合で「核兵器のない世界」への道筋が確認された--ことに言及、オバマ米大統領が目指す「核なき世界」への動きを歓迎している。
さらに主文は▽核保有国に核兵器削減を要請▽CTBTの署名・批准を呼び掛け▽CTBT発効までの間、核実験の一時停止の重要性を強調▽兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)交渉の即時開始を要求▽核テロ防止の重要性を強調--する内容となっている。
日本は細部を変えながらも94年から毎年、同趣旨の決議案を作成、採択させてきた。
中国は核実験一時停止を求めていることに反発し棄権したと考えられている。
国連総会決議は安保理決議と違い拘束力はないが、国際社会の政治的意思を示す効果がある。【10月30日 毎日】
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【「核なき世界」に浮かれる日本】
こうした取り組みが現実世界にどのような影響を持ちうるのかという点では疑問もあります。
また、昨今の“オバマ米大統領が目指す「核なき世界」への動き”についても同様です。
「核なき世界」とか、オバマ米大統領のノーベル平和賞受賞などを大きく取り上げる日本の風潮への批判もあります。
*****「核なき世界」なき?世界******
朝、席に着く。机脇には朝刊各紙が置いてある。それに素早く目を通す。一日の始まりである。
その日はしかし、いつもと違った。ページをめくろうとする手が1面ではたと止まってしまう。
その日、9月25日付の産経、読売、朝日、毎日、日経、東京の6紙は判で押したように、「核なき世界」という文言入りの主見出しを1面に躍らせていた。記事は、国連安全保障理事会首脳会合がオバマ米政権提出の核軍縮・不拡散決議を採択したと告げていた。
6紙そろい踏みは10月10日付でも起きた。今度は、そのオバマ大統領へのノーベル平和賞授賞決定で、である。主な授賞理由として1面で一斉に打たれた見出しは、またも、「核なき世界」だった。
2つの出来事は米英主要紙も日本と同じ日付で報じた。米4紙と英5紙の見出しを拾ってみる。
9月25日付米紙で日本各紙と同様の主見出しを付けたのは、「国連、核廃絶を支持」としたロサンゼルス・タイムズだけである。ウォールストリート・ジャーナルは「国連、反核決議を採択」という主見出しを「安保理の標的は技術の軍事利用」と袖見出しで補足。ニューヨーク・タイムズは主見出しに「拡散歯止め狙い」と盛り込み、ワシントン・ポストは安保理での論争を主見出しに据えた。
英紙では、ガーディアンのみが「オバマ、世界から核兵器をなくす歴史的決議に喝采(かっさい)」との主見出しを掲げた。フィナンシャル・タイムズは「国連、核管理でオバマ支持」とし、タイムズ、デーリー・テレグラフ、インディペンデントは、より切迫したイラン核問題を中心に主見出しを取っている。
10月10日付では米英とも、「核なき世界」的な見出しは消えて、ニューヨーク・タイムズは「対話拡大」、インディペンデントは「世界政治の環境を刷新」と別の授賞理由を見出しにうたっている。
「核なき世界」は、唯一の被爆国、日本が希求する理想であり、日本特有の視点や力点も確かに国際報道に欠かせない。だが、それ一色になっては、提唱したオバマ氏自身、「多分、私の存命中はない」とも認める核廃絶に関し誤った認識を持たれないか心配だ。
彼我の見出しの違いに接して、報道とは、きれいごとより、厳しく、時に醜い現実を知らせることにある、との思いを新たにした。
「『核なき世界』の理想より 不拡散の現実」という見出しの安保理決議の解説が載ったのは、9日26日付の本紙国際面である。【10月31日 産経】
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【そうではあるにしても、やはり・・・】
確かに現実世界での動きは、きれいごとの「核なき世界」ではなく、現在の“核大国”のもとでいかに有効に核管理し、核保有が不適切とみられる国家への、あるいはテロリストの手への核拡散を防ぐかという観点からのものであると思われます。
また、核の抑止力こそが、第2次大戦後の長年にわたる大規模戦争がない“平和”を支えてきたとの考えもあります。
しかし、日本での「核なき世界」やオバマ米大統領のノーベル平和賞受賞に対する関心の高さに、上記産経記事とは逆に、個人的には「やはり日本が拠って立つところは、こうした平和主義・核なき世界の理想しかないのではないか・・・」という思いを強く持ちました。
国民の声がこれほど一致できることは、ほかにそうありません。
それは、唯一の被爆国としても経験、(実態がどうかという問題は別にして)非核三原則を掲げてきた戦後日本の歴史があってのものです。
「核なき世界」の理想を語ることを嗤うのは、いかにも容易です。
しかし、敢えてそこにこだわって、“日本特有の視点や力点”に立ったメッセージを世界に向けて発し続けることが日本外交の根幹なのではないか・・・と感じた次第です。
“報道とは、きれいごとより、厳しく、時に醜い現実を知らせることにある”というのは正論ですが、それは理想への取り組みを冷笑するような視点からではなく、現実世界への働きかけが一歩でも前に進むようにサポートする視点からあって欲しいものです。