(【6月24日 TBS NEWS】ロシア訪問時に、クーデターの正当性を主張するミン・アウン・フライン国軍総司令官)
【市民弾圧にのめり込む国軍】
ミャンマーにおける軍事政権の市民弾圧の苛烈さが報じられています。
****ミャンマーで拘束の米国籍ジャーナリスト 目隠しされ殴打と証言****
ミャンマーの治安部隊に3か月以上拘束された同国生まれの米国籍ジャーナリストが25日、米バージニア州からロイターの電話インタビューに応じ、「何度も殴られ、平手打ちされた。何を言っても殴られるだけだった」と拷問を受けた様子を語った。
オンラインメディア「カマユート・メディア」の編集長のネーサン・マウン氏(44)は3月9日にオフィスに踏み込まれて拘束され、ニュースの内容や同氏の役割、同メディアーの運営について尋問を受けた。
最初の3、4日の拷問が最もひどかったという。両手で鼓膜の辺りを何度もたたき、あるいは両頬をはたき、両肩を殴るなどの暴行を受けた。立つことが許されず、両足が腫れ上がった。また、後ろ手に手錠をかけられ、1週間以上も布で二重に目隠しされた。3、4日間は眠ることが許されず、絶え間なく尋問されたという。
マウン氏が米国市民だと分かると、4日目になってようやく殴られる回数が減った。8日目に部隊幹部がやって来て目隠しを外した。6月15日に解放されて米国に送還されたという。同氏は1990年代に難民として米国に脱出していた。
マウン氏によると、自分よりも同僚の拷問の方がきつく、その同僚は今も拘束されたまま。2日間同室になった人は手錠された手を机の上で置いて殴られ、皮膚は裂けていた。他の建物からは叫び声や嘆願する声、悲鳴が聞こえてきたという。
人権団体によると、ミャンマー国軍が2月1日にクーデターを起こして以来、5200人近くが収監され、治安部隊に殺害されたのは少なくとも881人という。
国軍側は、収容者は法にのとっって扱われていると主張している。【6月28日 ロイター】
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****ミャンマー軍事法廷、無罪主張の未成年に「見せしめ」死刑判決*****
クーデター以後、軍政が立法、行政、司法を掌握し、反軍政を唱える国民への弾圧を続けているミャンマーで、また大きな悲劇が起きた。中心都市ヤンゴンなどで起きた反軍政の市民運動に参加したとして逮捕された64人の「被告」に対し、軍事法廷が6月24日までに死刑判決を下したことが明らかになったのだ。
64人の中には17歳と15歳の少年という未成年2人がふくまれているとされ、人権団体などが激しく抗議している。
冤罪の可能性ある死刑判決が続々
これは6月25日に米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」がミャンマー発で伝えたもので、死刑判決を受けた64人はクーデター支持者の殺害や軍兵士殺害に関与したなど個別の反軍政活動が問題とされ、軍事法廷で死刑判決を受けたという。RFAが情報源から得た話では、64人は死刑判決を受けたものの、これまでのところ刑を執行されてはいない、という。
ミャンマーでは1998年以降、裁判で死刑判決が下されても、その後に終身刑に減刑されるなどして実質的に死刑執行は長い間行われてこなかったとされる。しかし今回の軍事法廷による死刑判決で実際に刑が執行されれば、新たな社会問題、人権問題となる可能性が高い。
そもそも、RFAが伝えた複数の「被告」や「被告家族」の声によれば、ほぼ全ての「被告」が問われた容疑との関わりを否定しているだけでなく、軍事法廷で十分な弁護活動が行われたのかについても大きな疑問が呈されている。となると、冤罪による立件や不公正な裁判が行われた可能性さえある。
軍支持派を殺害の容疑で17歳学生逮捕
死刑判決が伝えられた64人は、クーデター発生の2月1日以降に、大半がヤンゴン、あるいはヤンゴン周辺地区で軍や警察に逮捕、訴追された人々だという。
死刑判決を受けた17歳のニン・キャウ・テイン君は、タンリン訓練学校の生徒で、4月17日に逮捕された。
ヤンゴン南部タゴン郡区で軍によるクーデターに支持を表明していたゾウ・ミン氏という男性が、反軍政の市民に殺害、遺体が焼かれるという事件が発生しているが、治安当局はテイン君の逮捕はこの事件に関連したものだと証言しているという。
しかしテイン君と連絡をとった母親によると「当局は私を殺人者と呼ぶが、真実ではない。私は誰も殺してなどいない」と無罪を主張しているという。母親は、ゾウ・ミン氏殺害事件の2週間後の4月17日、突然兵士が自宅に来てテイン君を逮捕、連行して行ったとRFAに語っている。
ゾウ・ミン氏が殺害された当時はヤンゴンやその周辺では反軍政を訴える市民による集会やデモが盛んに起きている時期で、これに対して軍が実弾発砲を含めた強圧的な鎮圧を各地で展開していた。
母親によるとゾウ・ミン氏が殺害された当日、テイン君は銃撃戦を逃れるため避難しており殺害事件や銃撃戦とは無関係だったとして、無罪を訴えている。
15歳学生も同容疑で逮捕、死刑判決
(中略)このゾウ・ミン氏殺害事件では18人が逮捕されているが、テイン君やミン君という未成年を含む全員が訴追され、死刑判決を受けた。このうち実際に逮捕されて刑務所に収容されているのは11人だけで、残る7人はいまだに捜査の手を逃れて逮捕に至っていないという。それでも法廷では「欠席裁判」で審理され、そこで死刑が言い渡されている。
「死刑判決は見せしめ」と人権団体が批判
2013年からミャンマーでも活動していた東南アジア諸国連合(ASEAN)を主要活動地域とする人権団体「フォーティファイ・ライツ」は(中略)「今回のような死刑判決は反軍政の活動を続ける国民への見せしめや警告の意味もある」と指摘する。
ミャンマーの司法関係者などによると、軍事法廷とはいえ、被告側は判決公判から15日以内に控訴が可能という。
もっとも刑務所などに拘留中の被告は控訴の手続きを進めるに際し、刑務官の署名による同意が必要不可欠とされ、収監中に暴力を受けるなどしていると訴えている「被告」の「控訴」という希望が叶うかどうかは刑務官の胸三寸次第という状況で、人権上も問題があると指摘されている。【6月30日 大塚 智彦氏 JBpress】
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市民監視も強化。
****ミャンマー国軍、監視強化 政変5カ月、民主派も抗戦****
ミャンマーのクーデターから1日で5カ月。大規模な抗議デモは鳴りを潜めたが、民主派は各地で「防衛隊」を結成し、国軍の弾圧に手製の武器で抗戦する。一方、国軍は退役軍人らによる「自警団」を結成。一般市民に紛れ込んで民主派を逮捕させたり、スパイ活動をさせたりし、監視を強めている。
人権団体「政治犯支援協会」によると、クーデター以降、国軍の弾圧による死者は883人に上る。
国軍がつくった「ピューソーティー」と呼ばれる自警団は、退役軍人らで構成する。地元メディアによると、主な任務は国軍に協力する市民の警護や民主派の情報収集という。【6月30日 共同】
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また、軍政に批判的な外国メディアに対する統制も強化されています。
****「軍政」と書いたら法的措置=偽ニュースに警告―ミャンマー国軍****
ミャンマー情報省は30日、クーデターで権力を握った国軍が設置した最高意思決定機関「国家統治評議会(SAC)」を外国メディアが「軍事政権」と表記した場合、「法的措置を取る」と警告する声明を発表した。
声明は「SACは憲法に従って国務に当たっている」と説明し、「クーデター政権ではない」と強調。「国連や世界の国々もSACをミャンマーの合法政府と認めている」と主張した。
その上で、ミャンマーに拠点を置く外国記者の一部が軍政という表記を使い、根拠のない情報源の話を引用していると指摘。「偽ニュースの引用や誇張、偽情報の流布」をしないよう求めた。【6月30日 時事】
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【激しさを増す武装市民・少数民族武装勢力の抵抗】
こうした「力による支配」によって、一般市民の大規模なデモはできなくなり、不服従運動を続けていた市民も生活がありますので、一定に職場に戻りつつはありますが、その一方で、抵抗運動に身を投じた者は武装化を進め、国軍支配に対する暴力的な抵抗は増加するように見えます。
****それでも絶えない市民の反軍政抵抗運動****
軍政は今回の死刑判決を、反軍政活動を強める国民に対する「警告」と考えているのだとしたら、それは逆効果となる可能性が高い。というのも武装市民組織である「国民防衛隊(PDF)」や少数民族武装組織などによる軍の拠点や兵士を狙った「攻撃」が、ますます激しくなっているからだ。
軍政に対抗して身柄を拘束されているアウン・サン・スー・チーさんやウィン・ミン大統領、与党「国民民主連盟(NLD)」幹部、少数民族代表などで構成される民主派政府組織「国民統一政府(NUG)」が軍による人権侵害、虐殺などの残虐行為に対抗するため結成した市民による武装組織がPDFで国内各地において軍や警察への武装闘争を繰り返しているのだ。
PDFは6月24日、北部のカチン州で活動する「カチン人民防衛軍(KPDF)」が少数民族武装組織である「カチン独立軍(KIA)」の支援を受けてカタ軍区モタ・トラクトにあるシェ・カヤン・コネ村の軍拠点を攻撃したことを明らかにした。この戦闘で軍兵士30人を殺害したとしている。
また6月27日には中部の都市マンダレーのミリチャン地方で軍政府組織の代表を務める男性がユワンニ村近くのガソリンスタンドで殺害された。(中略)
6月27日には中部サガイン管区のカレイ郡区で軍の輸送トラックを地元のPDF組織が待ち伏せして攻撃、兵士少なくとも9人が死亡、PDF側に死傷者などの被害はなかったという。
ほぼ同じ場所では前日の26日に、やはり軍の兵員輸送トラックを道路に埋設した地雷で攻撃したという。この時の死傷者などは分かっていない。
このように各地で武装市民組織PDFや少数民族武装組織による活動は激化している。そうした戦闘から逃れようとする人々も増えている。
国連人道問題調整事務所(UNOCHA)によると、2月1日のクーデター以降、軍による攻撃を逃れるため国外に脱出した難民はミャンマー南東部地域で約18万人に達し、このうちカヤ州だけで10万人以上という。難民の多くは国境を越えて隣国タイのメーホンソン県などで難民生活を送っているという。
各地で軍への攻撃、兵士の犠牲が増えていることに対して、軍のほうも軍事的行動を含めた対応を強化している。それが市民の犠牲や拘束をさらに増やすという悪循環に陥っている。
最近では日本でミャンマー情勢が報じられることが減っているようだが、事態が鎮静化したわけでは全くない。軍政と民主化を求める市民、さらには少数民族武装勢力の衝突は激化の一途を辿っている。【同上】
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こうした市民抵抗への懐柔策でしょうか・・・
****ミャンマー 政治犯まもなく約700人釈放****
ミャンマーで、政治犯がまもなく一斉釈放される。
2021年2月のクーデターに抗議し、逮捕された市民などおよそ700人が、まもなくヤンゴンの刑務所から釈放されることになり、収監者の家族など数百人が門の前に集まっている。
当局は、ほかの刑務所もあわせ2,000人以上を釈放する見通しで、ジャーナリストなども含まれている可能性がある。
釈放の理由は明らかにされていないが、依然として連日クーデターに抗議する市民が逮捕されていて、国軍側が弾圧を弱める姿勢は見られない。【6月30日 FNNプライムオンライン】
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【以前にも増して高まる「スー・チー人気」】
こうした混乱状況で、国軍による軟禁下にあるスー・チー氏への市民の支持は、反軍政の象徴として、むしろ強固なものになっているようにも。
****軟禁下にあるスー・チーさんの誕生日に国中が花で溢れた理由****
ミャンマーの民主政権で実質的な国家指導者に立場にあったアウン・サン・スー・チー国家最高顧問兼外相が、6月19日に76歳の誕生日を迎えた。スー・チーさんは2月1日の軍によるクーデターでその地位を奪われ、現在も身柄を拘束された状態にある。
首都ネピドーの自宅で拘束された後に自宅軟禁されているスー・チーさんは、複数の容疑で起訴され、現在は週に1度の割合で公判に出廷する被告の身だ。担当弁護士との面会はこれまでにオンラインだけだったが、6月7日の公判前にミン・ミン・ソー弁護士が30分間だけ初めて直接面会することができたという。
その際にスー・チーさんは、「全ての国民は健康に留意して過ごすように」と国民へのメッセージをミン・ミン・ソー弁護士に託したという。また法廷でも堂々と軍政と闘う決意を固めているという。
スー・チーさんは1989年のソウ・マウン軍事政権時代に自宅軟禁され、1995年には一度解放されるも、2000年に再度自宅軟禁を強いられた。その後、2010年にようやく解放されたが、その半生のほとんどは軍事政権との対峙しながらのものだった。今回、三度目の自宅軟禁という境遇にありながら、改めて法廷で国軍と「闘う姿勢」を示したことで、国民の間では、以前にも増して「スー・チー人気」が高まっている。(後略)
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****ミャンマー治安部隊、スー・チー氏の誕生日祝う市民ら拘束****
国軍がクーデターを強行したミャンマーの地元メディア「ミジマ」によると、国軍に拘束されているアウン・サン・スー・チー氏(76)の19日の誕生日を祝った市民らが、治安部隊に相次いで拘束された。国軍側には、国民の間で人気が高いスー・チー氏の影響力を排除する狙いがあったとみられる。
19日には、誕生日を祝う集会や国軍への抗議デモが、国内外で行われた。第2の都市マンダレーでは、カフェの客に花を配った店主や従業員計12人が治安部隊に連行された。最大都市ヤンゴンでは、花の髪飾りを使うスー・チー氏にちなんで花を髪に挿していた女性2人が拘束された。【6月22日 読売】
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下記の報道からは、スー・チー氏が、自分が今も正統な国家指導者であることをアピールしているようにも思えます。
****スー・チー氏、国民にコロナ感染への警戒強化呼び掛け****
ミャンマーの2月1日の国軍クーデター直後から軟禁されているアウン・サン・スー・チー氏が28日、新型コロナウイルスの感染に警戒を高めるよう国民に呼び掛けた。弁護士のミン・ミン・ソー氏が明らかにした。
ミン・ミン・ソー氏によると、スー・チー氏はこの日も違法行為の訴追に関して出廷。裁判所で弁護団に対しコロナ感染に注意を払うよう呼び掛け、「われわれに手洗いやマスク着用の注意喚起をした」(ミン・ミン・ソー氏)。スー・チー氏はさらに、同様のメッセージを国民に伝えてほしいと述べたという。同氏に問われている違法行為にはコロナ感染対策の規定違反も含まれている。
ミャンマー保健省が発表した28日の新規感染者数は1225人と、1日当たりではスー・チー氏の政権が直近の感染拡大局面を抑え込んだ昨年12月半ば以降で最も高水準になった。昨年10月の同国のピーク時の新規感染者数に近づいている。
ミャンマーの医療システムや、ウイルス検査などの感染対策は、クーデター以降機能不全に陥っている。多くの医療従事者が軍の政権掌握に抗議して職場を離脱していることもある。【6月29日 ロイター】
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【ミン・アウン・フライン国軍総司令官の誤算】
こんな混乱を引き起こし、国軍トップのミン・アウン・フライン国軍総司令官は一体何をしようとしているのか?
かつての軍事政権のように従順な市民を支配して、スー・チー政権より自分たちの方がうまく国家運営できることを示したかったのでしょうが、民主化のもとで自由を経験した市民による激しい抵抗は全くの想定外、誤算だったのでしょう。
「従順な」とは書きましたが、以前の軍事政権でも1988年に民主化を求める抵抗はありました。しかし、軍は何千人をも虐殺する圧倒的暴力で押さえました。
今の国軍にはそこまでやる考えもないでしょうし、時代的にそういう暴力が許されるような国際環境にもありません。そのあたりの時代変化も「誤算」の要因でしょう。
****「誤算」クーデターのこれまでとこれから****
軍の蜂起の背景にある思想とは?
ミャンマーでクーデターが起きてから5ヵ月。混迷が深まるばかりだが、なぜこんな事態に陥つたのか。
2月1日未明に決行したクーデターで、ミャンマー国軍はアウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統領ら政府高官を大きな衝突もなく次々に拘束していった。その手際の良さに、首謀者で国軍トップのミンアウンフライン国軍司令官はさぞ満足したことだろう。
しかしその後は誤算続きで、今では「こんなはずではなかった」との思いに駆られているのではないだろうか。
当初国軍は無血クーデターであることを印象付け、国民の支持を得ようと考えていたとみられる。国軍には伝統的に「国軍こそが政府を指導するべきだ」との思想がある。
スーチー率いる国民民主連盟(NLD)は経済政策などで失策を重ねており、自分たちのほうが国をうまく運営できると考えていた節もある。
そして、国軍系政党が壊滅的な敗北を喫した昨年の総選挙に不正があったとして、クーデターを決行したのだ。
しかし、2011年の民政移管後に自由な空気を吸ってきた市民は、国軍の支配に激しく抵抗した。全土で数百万人ともいわれる市民が街頭で声を上げ、公務員らは市民不服従運動(CDM)と呼ばれるゼネストを決行。国の政治・経済の中枢はマヒした。(後略)【7月6日号 Newsweek日本語版】
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あとは弾圧と抵抗の応酬による泥沼。意図した政策なども何も出来ずにいます。
ここまで失敗した以上、身を引くのが筋ですが、それが出来ないのが権力争い。
強引に権力に居座り、国民の犠牲は据えるばかり。