(メイッティーラ 焼き討ちに合うモスク 【3月22日 アルジャジーラ】http://www.aljazeera.com/news/asia/2013/03/201332271825415121.html)
【20日に起きた暴動は中・南部の計15カ所に拡大】
民主化の動きが始まったミャンマーで、西部ラカイン州のロヒンギャ問題に続いて、中部都市でも多数派の仏教徒と少数派イスラム教徒の衝突によって多数の死傷者が出る事態となっていることは、3月22日ブログ「ミャンマー イスラム教徒との衝突、中部メイッティーラにも飛び火」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20130322)で取り上げたところです。
その後、衝突は他の都市にも飛び火し、今も緊張した状況が続いています。
****宗教衝突、ミャンマー不穏 仏教徒とイスラム教徒、相互不信****
ミャンマー中部メイッティーラで仏教徒とイスラム教徒の住民が衝突したのをきっかけに、暴動が国内各地に飛び火している。30日付の国営紙によると、20日に起きた暴動は中・南部の計15カ所に拡大。最大都市ヤンゴンでも襲撃のうわさが流れるなど不穏な空気が広がる。
■「仕事戻れない」「仕返しが怖い」
ヤンゴンと主要都市マンダレーを結ぶ幹線沿いにあるメイッティーラ。古くから交通の要衝として知られる。暴動発生から1週間たった26日になっても、焼け跡から黒いすすが巻き上がり、焦げ臭さが残っていた。死者は43人。軍の小隊が各所に配置されている。
父が経営する自動車部品店を暴徒に焼かれたイスラム教徒のスィースィートゥンさん(18)は、母や姉妹と焼け残った部品を集めていた。20日に近くのモスク(イスラム教礼拝所)が僧侶も含む大勢の男たちに襲われるのを見て、仏教徒の母方の親戚宅に逃げた。仏教徒が経営する靴店で働いていたが、「もう仕事には戻れない」と言う。
仏教徒にも恐怖が広がる。家が焼け、市内の僧院に暮らすマーミンさん(35)は「仕返しが怖い。同じ所には住めない」。
ミャンマーは人口の9割近くが仏教徒で、イスラム教徒の割合は4%程度とされる。メイッティーラには19世紀の英国侵略以前の王朝時代からインド系のイスラム教徒が定住しており、人口28万人のうち1万3千人と見積もられている。
対立の発端は20日午前、金製品店で経営者のイスラム教徒と近くの村から来た仏教徒の客がけんかになり、客が大けがをしたことだった。怒った村人らが店を破壊。報復の形で僧侶が殺害されたことで仏教徒の怒りが爆発した。
刃物や棒で襲い合い、双方に犠牲者が出たが、焼かれた約1千戸の大半はイスラム教徒の家やモスク。イスラム教徒7800人が避難民キャンプにいる。
暴力が拡大したのは警察の不手際のせいだと批判する声が聞かれた。金製品店が壊された際、警官は群衆に押され、遠巻きに見ていただけだったという。
騒動が収束したのは非常事態宣言が出され、軍部隊が動員された22日夜。喫茶店兼自宅を焼かれたティンウィンさん(52)は「信頼できるのは軍だけ。軍が統治すべきだ」と語った。
野党・国民民主連盟(NLD)の地区選出下院議員ウィンテインさん(71)は「民主化の機運が少し後退したかも知れないが、改革の速度が落ちないよう努力したい」と言った。
■民主化の基盤、崩す恐れ
メイッティーラの暴動後、モスクなどの襲撃が同市のある中部マンダレー管区や南のバゴー管区に広がった。中部
ヤンゴンでは24日夜からイスラム教徒が多く住む地区に襲撃があるとのうわさが広まり、ショッピングセンター内の店舗が軒並み閉じる事態になった。市内では夜間警察が検問を強化、住民の自警団が警戒する。
多数派で仏教徒のビルマ族の中には文化風習の異なるインド系のイスラム教徒を嫌う人たちが少なからずいる。ミャンマーでは1930年代以降、反イスラム暴動は断続的に起きてきた。38年の暴動では240人が死亡している。
軍事政権下でも2001年に中部の都市で小規模な対立があった。だが、表現の自由が封殺され、治安当局による監視が社会に行き渡っていたため、宗教間の対立感情が噴き出すことはほとんどなかった。2011年の民政移管で政治的な自由が広がる中、イスラム教徒経営の商店での不買運動などを掲げる保守的な仏教勢力が生まれている。
イスラム教徒側にも強硬論が出始めている。「全ミャンマーイスラム知識人協会」には「ジハード(聖戦)をなぜ宣言しないのか」との電話が相次いでいる。事務局長のチョーソーさん(66)は「政府が法の支配を確立できなければ、武装に走る人が出るかも知れない」と話した。
昨年、西部ラカイン州で起きた仏教徒とイスラム教徒との衝突では、中東などのイスラム圏で反ミャンマーデモが起きた。仏教徒によるモスク襲撃がさらに拡大すれば、外国からの流入を含め過激なイスラム勢力が台頭する恐れもある。
民主化や経済成長の基盤になる治安の安定を脅かしかねない対立にテインセイン大統領も危機感を抱く。28日夜、国営テレビで演説し「市民の生命と財産を守るためには武力の行使も辞さない」との姿勢を示した。さらに「すべての過激宗教主義者らに警告する。人々に憎しみを植えつけようとする試みは容認できない」と強調した。 【3月31日 朝日】
*******************
【大統領の危機感「民主化改革を後戻りさせかねない」】
テイン・セイン大統領は、上記記事にあるように民主化の基盤を揺るがす事態に危機感を募らせていますが、旧軍事政権を想起させるような厳しい弾圧は民主化逆光のリスクがあるとして控えています。
****ミャンマー:宗教対立での暴動が拡大 大統領が危機感表明****
・・・・死者は40人を超え、テインセイン大統領は28日、国営テレビで「民主化改革を後戻りさせかねない」と強い危機感を表明し、国民に自制を訴えた。(中略)
大統領は22日、騒乱地域に非常事態を宣言、戒厳令を敷き、メティラでの騒乱は収まった形だ。だが、暴動は25日、ヤンゴン北方の古都バゴーに波及。さらにヤンゴンでもこの日、仏教徒によるモスク襲撃のうわさが広がり、一部地域でイスラム教徒住民が自衛のため道路にバリケードを設けるなどし、治安部隊も出動する騒ぎになった。
テインセイン政権は25日に声明を発表。暴動の収束に向け「最大限の努力」を約束したが、バゴーでは治安部隊が配備されたにもかかわらず、一部の空白域で暴動が続き、部隊が威嚇射撃するなどの事態に発展した。こうしたことから大統領は28日、テレビ演説で「武力行使も辞さない」との決意を示した。
今回の騒乱は、昨年6月に西部ラカイン州で発生した両教徒の暴動が背景にある。仏教徒の女性がイスラム教徒の集団にレイプされた上で殺害された事件を機に、約200人が死亡した。国民の9割を占める仏教徒の潜在的な反イスラム感情に火が付いた形だ。
11年3月の民政移管以降、顕在化した宗教対立を巡り、テインセイン政権は旧軍政期のような「徹底した弾圧」には乗り出していない。国民に軍政下の「悪夢」を想起させ、民主化の逆行につながるリスクもあるからだ。政権がジレンマに陥る中、メティラでの初動の鈍さを批判する声も出ている。【3月29日 毎日】
********************
【民主化のジレンマ】
事態の背景には、不寛容な宗教の拡大、政府・社会に根強いビルマ人中心主義があります。
“政府はロヒンギャのようなイスラム教徒を迫害し、イスラム教徒を憎悪するよう公然と説法する僧侶も少なくない。仏教徒のビルマ人が占める政府も僧侶の団体も、そうした差別発言を黙認している。”【4月2日号 Newsweek日本版】
世界的には、不寛容な宗教と言えばイスラムが想起されますが、不寛容な勢力が存在するのはイスラムに限らず温和なイメージもある仏教でも同じようです。
イスラムの側にも、独自のコミュニティーを形成して、周囲の文化となかなか融合せず軋轢を高めるという側面がミャンマーでもあるようです。
こうしたもともと存在していた軋轢が、民主化によって管理統制が緩和されたことで、一気に噴き出す事態に拡大した・・・と言えそうです。
****大統領就任2年 民族・人種・宗教対立 民主化ミャンマー、反動ジレンマ****
ミャンマーのテイン・セイン大統領が就任してから30日で2年。民主化が漸次進むにつれ、軍事政権時代は押さえつけられてきた民族、人種、宗教上の違いに根ざす潜在的な軋轢(あつれき)が、社会現象として噴き出している。ジレンマを抱えるミャンマーの融和への道のりは険しい。
ミャンマーでは4月1日から、これまで許可されてこなかった民間の日刊紙(16紙)が発行されるなど、言論や集会の自由が徐々に改善されつつある。
一方では昨年6月以降、西部ラカイン州で仏教徒とイスラム教徒が衝突し、180人以上が死亡した。その火種がくすぶる中、今度は今月20日、中部メティラで両教徒が衝突した。
発端はイスラム教徒の商店主と仏教徒の販売業者とのいさかい。民家や学校、モスク(イスラム教礼拝所)などが放火された。それがジゴン、オウポー、ミンフラなどへ南下する形で飛び火し、28日にはテゴンでも投石で家屋などが損傷した。最大都市ヤンゴンでも警戒が強まっている。
40人以上が死亡、1万2千人以上が避難し、政府は非常事態宣言と夜間外出禁止令を発令している。
仏教徒が約9割のミャンマーにあって、4%のイスラム教徒は、おおむね少数民族・戦闘地域を除き広く分布し、コミュニティーを形成している。68%を占めるビルマ族の居住地域にもコミュニティーが存在し、メティラもその一つだ。
イスラム教徒の多くがビルマ語を話すが、コミュニティーでは独自の言語を使う。熱心な仏教徒であるビルマ族などの目には、イスラム教もイスラム教徒も、「閉鎖的」に映るのだという。
もともとビルマ族などの根底には、歴史にも根ざすイスラム教徒やインド系への嫌悪感が存在する。軍事政権時代には、イスラム教の拡大を警戒し抑制政策がとられもした。いきおい両教徒は打ち解けず、しかし軍事政権による厳しい管理統制下で表面上は、“良好な関係”が保たれてきた。
それも民主化が進展しタガが緩むにつれて、ふとしたいさかいなどを契機に、潜在的な不満や不信感、対立感情が噴出するようになっている。仏教徒の一部はイスラム教徒との商行為を禁じ、反イスラムのCDや本などを配布する「969運動」を展開してもいる。
大統領は融和を目指しており、また人権の観点から注視する国連と欧米の目もあるだけに、手荒なことはできない。その意味でも衝突は、民主化のジレンマといえるだろう。【3月29日 産経】
*******************
民主化によって様々な主張・価値観が表面化して社会混乱を招き、一部には過激な勢力も台頭するという「民主化のジレンマ」は、もはや死語ともなりつつある「アラブの春」でも見られるところです。
とにかく治安の回復、少数派の保護は急務です。
ジレンマに悩むテイン・セイン政権にとって、ここは正念場です。
市民に犠牲が出ることをいとわず発砲するような旧軍事政権的な弾圧に陥ることは避けながらも、自制の効いた治安維持行動によって社会の落ち着きを取り戻してほしいところです。
また、長期的には、少数派の存在を危うくするような言動を戒め、ビルマ人中心主義を脱し、宗教的・民族的国民融合を目指してもらいたいものです。