「こんにちわッ、テディちゃでス!
わわゥッ! かぜがァ、つよいィ~!」
「がるる!ぐるるるる!」(←訳:虎です!蒸し暑いし!)
こんにちは、ネーさです。
平和のために祈る日が、
台風のおかげで大混乱になってしまいました……
皆さまの無事を願いつつの
本日の読書タイムは、
雨風にも負けない大御所さんに登場していただきましょう。
さあ、こちらを、どうぞ~!
―― ある作家の夕刻 ――
著者はスコット・フィッツジェラルドさん、
2019年6月に発行されました。
『――フィッツジェラルド後期作品集』と副題が付されています。
「ぎゃつびィー!」
「ぐぅっるーるがるるるる!」(←訳:ギャツビーの作家さんだ!)
スコット・フィッツジェラルドさん(1896~1940)。
不朽の名作『グレート・ギャツビー』(1925年刊)は
いまもなお人々を魅了し、
幾度となく映画化されていますね。
そしてまた、フィッツジェラルドさんの人生――
『ギャツビー』の主人公たちのように
“時代の寵児”として絢爛たる日々を過ごしたのち、
失意と困窮の中、
急な病でこの世を去った……ということも、
広く知られています。
この御本に収められている
短編小説8作品、
エッセイ5作品、
いずれも『グレート・ギャツビー』よりも
後に執筆された作品です。
「ゆうぐれェ、でスかァ……?」
「がるるぅっるる?」(←訳:黄昏ちゃってる?)
『ある作家の夕刻』という題名からは、
勢いを失った作家さんの哀しい末路……などと、
ネガティヴなイメージも抱いてしまいがちですが、
いえいえ、そこは、
翻訳者・村上春樹さんが仕掛けた《罠》なのかもしれません。
実際に、この御本を手に取って、
読んでみていただけたら解ると思うんですけど。
フィッツジェラルドさん、
決して枯れていません。
諦めてもいません。
『ある作家の午後』――
そう、『夕刻』ではなくてね、
『午後』という言葉が使われている作品は、
明らかに著者・フィッツジェラルドさんが
自身を投影したと思われる
或る小説家さんの生活を描いたものです。
お金はないし、
お仕事はちっとも上手く進んでないし、
何もかも行き詰っている、
ように見えますが。
それは真っ黒な絶望かといえば、
そうでもない、のよね。
「どこかァ、らッかんてきィ!」
「ぐっるがるるるぐるる!」(←訳:きっとなんとかなるさ!)
『フィネガンの借金』
という作品で繰り広げられるのは、
いわゆる“すれ違いの喜劇”。
機智が効いていて、
会話もシャレていて、
軽妙な音楽さえ聴こえてきそうな
楽しい作品ですよ。
「むゥ~んッ、でもォ~…」
「がっるるるぐる?」(←訳:エッセイの方は?)
エッセイ5作品には、
むしろ、フィッツジェラルドさんの
誠実さが表れているかのようです。
嘘をつかない。
虚勢を、見栄を張らない。
自分のこころを、偽らない。
編訳者の村上春樹さんは
そんなフィッツジェラルドさんのエッセイを
《美しい》と讃えます。
そこには
《芯の強さ》が隠されている、とも。
「これはァ、まるでェ……?」
「ぐるるがる……!」(←訳:回想録だね……!)
20世紀の初頭と、
そこから続く激動の時代を泳ぎ、
乗り越え、
あるいは渦に呑みこまれかけ、
それでも、
遠い岸を目指して泳ぎ続ける――
巻末の、
フッツジェラルドさんへの思いの丈を綴った
村上春樹さんの『訳者あとがき』、
各作品に付されている村上さんの解説も
読後の余韻を深めます。
“書くこと”を愛し、
その力を信じることを最後まで止めなかった
ひとりの作家さんの希望の光を、
どうか、皆さまも、ぜひ。
わわゥッ! かぜがァ、つよいィ~!」
「がるる!ぐるるるる!」(←訳:虎です!蒸し暑いし!)
こんにちは、ネーさです。
平和のために祈る日が、
台風のおかげで大混乱になってしまいました……
皆さまの無事を願いつつの
本日の読書タイムは、
雨風にも負けない大御所さんに登場していただきましょう。
さあ、こちらを、どうぞ~!
―― ある作家の夕刻 ――
著者はスコット・フィッツジェラルドさん、
2019年6月に発行されました。
『――フィッツジェラルド後期作品集』と副題が付されています。
「ぎゃつびィー!」
「ぐぅっるーるがるるるる!」(←訳:ギャツビーの作家さんだ!)
スコット・フィッツジェラルドさん(1896~1940)。
不朽の名作『グレート・ギャツビー』(1925年刊)は
いまもなお人々を魅了し、
幾度となく映画化されていますね。
そしてまた、フィッツジェラルドさんの人生――
『ギャツビー』の主人公たちのように
“時代の寵児”として絢爛たる日々を過ごしたのち、
失意と困窮の中、
急な病でこの世を去った……ということも、
広く知られています。
この御本に収められている
短編小説8作品、
エッセイ5作品、
いずれも『グレート・ギャツビー』よりも
後に執筆された作品です。
「ゆうぐれェ、でスかァ……?」
「がるるぅっるる?」(←訳:黄昏ちゃってる?)
『ある作家の夕刻』という題名からは、
勢いを失った作家さんの哀しい末路……などと、
ネガティヴなイメージも抱いてしまいがちですが、
いえいえ、そこは、
翻訳者・村上春樹さんが仕掛けた《罠》なのかもしれません。
実際に、この御本を手に取って、
読んでみていただけたら解ると思うんですけど。
フィッツジェラルドさん、
決して枯れていません。
諦めてもいません。
『ある作家の午後』――
そう、『夕刻』ではなくてね、
『午後』という言葉が使われている作品は、
明らかに著者・フィッツジェラルドさんが
自身を投影したと思われる
或る小説家さんの生活を描いたものです。
お金はないし、
お仕事はちっとも上手く進んでないし、
何もかも行き詰っている、
ように見えますが。
それは真っ黒な絶望かといえば、
そうでもない、のよね。
「どこかァ、らッかんてきィ!」
「ぐっるがるるるぐるる!」(←訳:きっとなんとかなるさ!)
『フィネガンの借金』
という作品で繰り広げられるのは、
いわゆる“すれ違いの喜劇”。
機智が効いていて、
会話もシャレていて、
軽妙な音楽さえ聴こえてきそうな
楽しい作品ですよ。
「むゥ~んッ、でもォ~…」
「がっるるるぐる?」(←訳:エッセイの方は?)
エッセイ5作品には、
むしろ、フィッツジェラルドさんの
誠実さが表れているかのようです。
嘘をつかない。
虚勢を、見栄を張らない。
自分のこころを、偽らない。
編訳者の村上春樹さんは
そんなフィッツジェラルドさんのエッセイを
《美しい》と讃えます。
そこには
《芯の強さ》が隠されている、とも。
「これはァ、まるでェ……?」
「ぐるるがる……!」(←訳:回想録だね……!)
20世紀の初頭と、
そこから続く激動の時代を泳ぎ、
乗り越え、
あるいは渦に呑みこまれかけ、
それでも、
遠い岸を目指して泳ぎ続ける――
巻末の、
フッツジェラルドさんへの思いの丈を綴った
村上春樹さんの『訳者あとがき』、
各作品に付されている村上さんの解説も
読後の余韻を深めます。
“書くこと”を愛し、
その力を信じることを最後まで止めなかった
ひとりの作家さんの希望の光を、
どうか、皆さまも、ぜひ。