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同人誌「火曜日」でご一緒したS・Hさんが書いて下さっている。
「但馬文学会」
S・Hさんは、わたしの大好きな街「出石」で文学活動をされている。
昔の『詩集・コーヒーカップの耳』は差し上げたが今回の『完本コーヒーカップの耳』はお贈りしていないから、ご購入下さったのだ。
うれしく、ありがたいです。
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Amazonのカスタマーレビューより。
ありがたい評価を頂いています。
〇 コーヒーカップの耳は読者の心の耳です!
喫茶店に本当に行った気分になり、登場する人生の先輩方から強いパワーをいただいた。
〇 一つの話で映画一本作れそう
一度読み出したら止まらない
でも電車では読めない
なぜなら泣いたり笑ったり
心が忙しく潤う一冊だから
〇 極上のエッセー。じんわり心に沁みてくる。
端的にとらえた言葉。
「読み終わるのがもったいない読書というのはそうあるものではない。そんな一冊。」
画家であり、書籍評論家であり、最近の著書に『喫茶店の時代』(ちくま文庫)がある著述家でもある林哲夫さんのブログ。
『完本コーヒーカップ』
「読み終わるのがもったいない読書というのはそうあるものではない。そんな一冊。」
画家であり、書籍評論家であり、最近の著書に『喫茶店の時代』(ちくま文庫)がある著述家でもある林哲夫さんのブログ。
『完本コーヒーカップ』
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昨日「くまざわ書店・甲子園店」にご挨拶に行ったことを書きました。
ということで、コーヒーフィルター付きの『完本コーヒーカップの耳』が置かれている店が、
市内で3店になりました。
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阪神西宮「ブックファースト・エビスタ店」 「宮脇書店・マルナカ店」 そして「くまざわ書店・甲子園店」です。
もちろん「喫茶・輪」でもお求めになれます。
もし、他のお店、あるいはネットでお求め下さった方には、「輪」に来ていただければ差し上げますのでご遠慮なく。
なんて、もったいぶって言ってますが、悪筆のサインなんて不要かもしれませんね。スミマセン。
ということで、コーヒーフィルター付きの『完本コーヒーカップの耳』が置かれている店が、
市内で3店になりました。
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阪神西宮「ブックファースト・エビスタ店」 「宮脇書店・マルナカ店」 そして「くまざわ書店・甲子園店」です。
もちろん「喫茶・輪」でもお求めになれます。
もし、他のお店、あるいはネットでお求め下さった方には、「輪」に来ていただければ差し上げますのでご遠慮なく。
なんて、もったいぶって言ってますが、悪筆のサインなんて不要かもしれませんね。スミマセン。
何か月ぶりだろう、電車に乗ったのは。
甲子園まで行ってきました。
といっても野球ではありません。
「くまざわ書店・甲子園店」へ。
というのも、この店で拙著『完本コーヒーカップの耳』がよく動いているという情報を得ましたので、
一度ご挨拶にと思った次第。
本は平台に三冊積んでありました。
販促品を持って行きました。
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お金のかからない物です。
新聞記事とコーヒーフィルターミニ色紙。
ミニ色紙は本に添付して頂くように。
残念ながら店長さんは今日お休みということで女性スタッフにお願いしておきました。
甲子園に行ったついでに、古書店「みどり文庫」さんに寄って、ぐだぐだしゃべって、一冊買って帰ってきました。
電車は若い人ばかりでした。
甲子園まで行ってきました。
といっても野球ではありません。
「くまざわ書店・甲子園店」へ。
というのも、この店で拙著『完本コーヒーカップの耳』がよく動いているという情報を得ましたので、
一度ご挨拶にと思った次第。
本は平台に三冊積んでありました。
販促品を持って行きました。
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お金のかからない物です。
新聞記事とコーヒーフィルターミニ色紙。
ミニ色紙は本に添付して頂くように。
残念ながら店長さんは今日お休みということで女性スタッフにお願いしておきました。
甲子園に行ったついでに、古書店「みどり文庫」さんに寄って、ぐだぐだしゃべって、一冊買って帰ってきました。
電車は若い人ばかりでした。
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千和さんが『完本コーヒーカップの耳』の書評を書いて下さっています。
「小さな哲学の部屋」というブログで。
千和さんも最近本を出しておられます。『流れる雲を友に』という悲劇のタカラジェンヌの評伝。
ありがとうございます。
三年ぶりぐらいのお客さん、Aさん。
『完本コーヒーカップの耳』を携えて来てくださった。
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ジュンク堂で買ってきたとのこと。
実は早くに購入していたのだが、息子さんに貸したら帰ってこなかったので改めて二冊目をと。
ありがたいことです。
「サインを」と言って下さる。
「下手な字でよければ」と、落書きさせていただきました。
Aさん、以前から下駄ばきの人で「下駄さん」が愛称。
その後、大きな病気をなさいましたが、今日もお元気な下駄ばき姿でした。
『完本コーヒーカップの耳』を携えて来てくださった。
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ジュンク堂で買ってきたとのこと。
実は早くに購入していたのだが、息子さんに貸したら帰ってこなかったので改めて二冊目をと。
ありがたいことです。
「サインを」と言って下さる。
「下手な字でよければ」と、落書きさせていただきました。
Aさん、以前から下駄ばきの人で「下駄さん」が愛称。
その後、大きな病気をなさいましたが、今日もお元気な下駄ばき姿でした。
明日香さんの書評です。明日香さん、転載お許しを。
今村欣史さんの「完本・コーヒーカップの耳」を読んだ。2001年の初本「コーヒーカップの耳」発行後、19年ぶりの続編である。前作の書評もブログで書かせてもらった。
前作に納められた35編の詩は常連さんたちのカウンター越しの会話から得られた人間模様を掬い取り散文詩風に綴られたものである。短い内容で簡潔にまとめられ語り手の氏名の記載もない。多分に詩集の体裁にこだわった印象が強い。
新作には140編ほどの長短さまざまなエッセイが納められている。それらが記述された内容の時代に応じて戦前から平成まで時代順に掲載されている。これに15人の登場人物の作者による人物評が添えられている。
新作では詩集というこだわりを捨てたエッセイ集(サブタイトルに「人情話」の文字がある)としての出版である。それは個性豊かで含蓄のあるそれだけに忘れがたい常連さんたちのあるがままの生き方をいきいきと伝えたいという想いの故と思えた。だからこそ各エッセイの表題の下には語り手の姓名が記載され、必要に応じて人物評が添えられている。
読了してこの作品は「庶民の時代の証言集」とも言うべきものではないかと思った。喫茶・輪のマスターとして32年間に渡って交わりあった多くの常連さんたちの時代を映した数々の珠玉の物語である。それは詩人の視線と感性を持った店主だからこそ可能だった営みの筈である。登場人物たちのさりげない「語り」をいきいきと鮮やかに表現できる力量は並々ならぬものがある。それがごくありふれた市井の人々の時代を感じさせる本質のような風景を伝えている。
『完本コーヒーカップの耳』
今村欣史さんの「完本・コーヒーカップの耳」を読んだ。2001年の初本「コーヒーカップの耳」発行後、19年ぶりの続編である。前作の書評もブログで書かせてもらった。
前作に納められた35編の詩は常連さんたちのカウンター越しの会話から得られた人間模様を掬い取り散文詩風に綴られたものである。短い内容で簡潔にまとめられ語り手の氏名の記載もない。多分に詩集の体裁にこだわった印象が強い。
新作には140編ほどの長短さまざまなエッセイが納められている。それらが記述された内容の時代に応じて戦前から平成まで時代順に掲載されている。これに15人の登場人物の作者による人物評が添えられている。
新作では詩集というこだわりを捨てたエッセイ集(サブタイトルに「人情話」の文字がある)としての出版である。それは個性豊かで含蓄のあるそれだけに忘れがたい常連さんたちのあるがままの生き方をいきいきと伝えたいという想いの故と思えた。だからこそ各エッセイの表題の下には語り手の姓名が記載され、必要に応じて人物評が添えられている。
読了してこの作品は「庶民の時代の証言集」とも言うべきものではないかと思った。喫茶・輪のマスターとして32年間に渡って交わりあった多くの常連さんたちの時代を映した数々の珠玉の物語である。それは詩人の視線と感性を持った店主だからこそ可能だった営みの筈である。登場人物たちのさりげない「語り」をいきいきと鮮やかに表現できる力量は並々ならぬものがある。それがごくありふれた市井の人々の時代を感じさせる本質のような風景を伝えている。
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兵庫県現代詩協会の会報47号が届いた。
わたしも一応会員です。
そこに、会長の時里二郎氏が拙著『完本 コーヒーカップの耳』の書評を書いて下さっています。
←クリック。
わたしが自分で言うのは憚られるようなことも書いて下さっていて、ありがたいことです。
~兵庫県現代詩協会会報47号より~ 今村欣史『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)
西宮市で喫茶店を営んでおられる今村さんが、喫茶店の常連客の話を聞き書きしたもの。既に19年前に『コーヒーカップの耳』を、上梓なさっている、それにその後の記録を添えて「完本」として新たに上梓なさった。戦前・戦中から平成まで、よくぞこのような人情味溢れる話や個性ゆたかな人物が、今村さんのもとに集まったものだ。ほんとうに奇跡のような本だ。人生の劇的なドラマあり、名もない市井の夫婦や家族の物語、いやすべてほんとうにその人に起こったこと。ドキュメンタリーなのだ。しかし、話に引きつけられるのは、確かに常連客の人間味溢れる個性からにじみ出る魅力のせいではあるのだが、それ以上に、それを聞き書きした今村さんの関西弁の語りの妙味、聞き書き文体の魅力に尽きるのではないか。「語り」の文体。安水さんはそのような今村さんの詩のスタイルを「口頭詩」と呼んだが、あえて「語り部」と言ってみたい気がする。まさに人情噺である。おそらく客の語ったそのままではもちろんないだろう。客の話を、いったん彼や彼女の身体から抜き取って、今村さんの言葉で再構成し、語り直して、それを風貌や人格の沁みついた客の身体に入れ直している。石牟礼道子の『苦海浄土』の語りをふと思い出したが、つねにその語っている人の目の前に今村さんがいることは確かなことだ。最後にもう一つ。とにかく、読み物としても第一級の面白さだが、それ以上に、庶民という市井の人々の人生は、確かに歴史や時代に翻弄されていると改めて思い知らされた。親や子供との確執や愛憎や喜びやかなしみ――それこそ人生の妙味の背景には、時代や歴史が組み込まれている。これはまぎれもない詩集だが、同時に社会学、民俗学や歴史学にも響き合うものを持っているように思われる。
詩人・時里二郎 (兵庫県現代詩協会会長・神戸新聞読者文芸欄選者)
文中の《これはまぎれもない詩集だが》というのが印象的。今回の本には詩集という言葉は敢えて使っていない。にも拘わらず「詩集だ」と。
時里さん、さすがです。
わたしも一応会員です。
そこに、会長の時里二郎氏が拙著『完本 コーヒーカップの耳』の書評を書いて下さっています。
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わたしが自分で言うのは憚られるようなことも書いて下さっていて、ありがたいことです。
~兵庫県現代詩協会会報47号より~ 今村欣史『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)
西宮市で喫茶店を営んでおられる今村さんが、喫茶店の常連客の話を聞き書きしたもの。既に19年前に『コーヒーカップの耳』を、上梓なさっている、それにその後の記録を添えて「完本」として新たに上梓なさった。戦前・戦中から平成まで、よくぞこのような人情味溢れる話や個性ゆたかな人物が、今村さんのもとに集まったものだ。ほんとうに奇跡のような本だ。人生の劇的なドラマあり、名もない市井の夫婦や家族の物語、いやすべてほんとうにその人に起こったこと。ドキュメンタリーなのだ。しかし、話に引きつけられるのは、確かに常連客の人間味溢れる個性からにじみ出る魅力のせいではあるのだが、それ以上に、それを聞き書きした今村さんの関西弁の語りの妙味、聞き書き文体の魅力に尽きるのではないか。「語り」の文体。安水さんはそのような今村さんの詩のスタイルを「口頭詩」と呼んだが、あえて「語り部」と言ってみたい気がする。まさに人情噺である。おそらく客の語ったそのままではもちろんないだろう。客の話を、いったん彼や彼女の身体から抜き取って、今村さんの言葉で再構成し、語り直して、それを風貌や人格の沁みついた客の身体に入れ直している。石牟礼道子の『苦海浄土』の語りをふと思い出したが、つねにその語っている人の目の前に今村さんがいることは確かなことだ。最後にもう一つ。とにかく、読み物としても第一級の面白さだが、それ以上に、庶民という市井の人々の人生は、確かに歴史や時代に翻弄されていると改めて思い知らされた。親や子供との確執や愛憎や喜びやかなしみ――それこそ人生の妙味の背景には、時代や歴史が組み込まれている。これはまぎれもない詩集だが、同時に社会学、民俗学や歴史学にも響き合うものを持っているように思われる。
詩人・時里二郎 (兵庫県現代詩協会会長・神戸新聞読者文芸欄選者)
文中の《これはまぎれもない詩集だが》というのが印象的。今回の本には詩集という言葉は敢えて使っていない。にも拘わらず「詩集だ」と。
時里さん、さすがです。
先日NHK「ラジオエッセイ」で木津川さんが紹介してくださった『完本コーヒーカップの耳』だが、
朗読してくださった中に「悪友」というのがあった。
「悪友」
マスター ちょっと聞いて。この人 ほんまひどいんや。こないだ 休みの日ィ 一緒にパチンコ行ったんですわ。この人 負けてスッカラカンになって 奥さんに電話して 軍資金持って来させはりますねん。ぼく 久しぶりに奥さんに会うたから 挨拶しましてん。ほんで 奥さんが帰らはった後ですわ。この人 うちの嫁はん歳いったやろ て言わはるから いやそんなことない て言うたんです。あんまり変わってはらへん て。そやのに いや 遠慮せんでええ ほんまのこと言うたらええ て しつこいんですわ。ぼく しまいに面倒くさくなって 誰かてちょっとぐらい歳いきまっせ て言うたんです。そしたら 帰って 奥さんに言うてはるんですわ。Nさんがお前のこと 歳いった 言うてたぞ て。ムチャクチャでっせ。
これについての解釈だが、木津川さんの解説にちょっと補足しておきたい。
この話の主人公はHさんという人なのだが、自分の奥さんに「Nさんがお前のこと齢いった言うてた」と言ったのは、
実は自分が言いたいことである。奥さんに若くいてほしいということ。
だから「気をつけて若く保ちなさい」と言いたい。
ところが自分では言えない。
ということで、Nさんに代役を務めてもらったというわけである。
そうすると気をつけてくれるかと思って。
これ、あの中で説明してしまうと面白くないんですよね。
他にもこのような作品がいくつもありますので、「何度も読みたくなって、読むたびに新しい発見があります」との評を頂けるのでしょう。
朗読してくださった中に「悪友」というのがあった。
「悪友」
マスター ちょっと聞いて。この人 ほんまひどいんや。こないだ 休みの日ィ 一緒にパチンコ行ったんですわ。この人 負けてスッカラカンになって 奥さんに電話して 軍資金持って来させはりますねん。ぼく 久しぶりに奥さんに会うたから 挨拶しましてん。ほんで 奥さんが帰らはった後ですわ。この人 うちの嫁はん歳いったやろ て言わはるから いやそんなことない て言うたんです。あんまり変わってはらへん て。そやのに いや 遠慮せんでええ ほんまのこと言うたらええ て しつこいんですわ。ぼく しまいに面倒くさくなって 誰かてちょっとぐらい歳いきまっせ て言うたんです。そしたら 帰って 奥さんに言うてはるんですわ。Nさんがお前のこと 歳いった 言うてたぞ て。ムチャクチャでっせ。
これについての解釈だが、木津川さんの解説にちょっと補足しておきたい。
この話の主人公はHさんという人なのだが、自分の奥さんに「Nさんがお前のこと齢いった言うてた」と言ったのは、
実は自分が言いたいことである。奥さんに若くいてほしいということ。
だから「気をつけて若く保ちなさい」と言いたい。
ところが自分では言えない。
ということで、Nさんに代役を務めてもらったというわけである。
そうすると気をつけてくれるかと思って。
これ、あの中で説明してしまうと面白くないんですよね。
他にもこのような作品がいくつもありますので、「何度も読みたくなって、読むたびに新しい発見があります」との評を頂けるのでしょう。
「喫茶・輪」から最も近い本屋さん、マルナカの二階にある「宮脇書店」さんへ行ってきました。
『完本コーヒーカップの耳』が売り出されてすぐに一度ご挨拶に行ったきりでご無沙汰してました。
「おすすめ本」として通路の棚に面陳して下さっています。
前にお渡ししておいた、おまけにつけてもらうフィルタ―色紙もなくなっているとの情報で、持参しました。
朝日新聞の切り抜きも一緒に。

残念ながら店長さんはご不在でしたが、レジの店員さんに託けました。
本、一冊買いました。

本のタイトルは内緒です。
あれ?うっすらと透けて見えてますね。
『完本コーヒーカップの耳』が売り出されてすぐに一度ご挨拶に行ったきりでご無沙汰してました。
「おすすめ本」として通路の棚に面陳して下さっています。
前にお渡ししておいた、おまけにつけてもらうフィルタ―色紙もなくなっているとの情報で、持参しました。
朝日新聞の切り抜きも一緒に。
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残念ながら店長さんはご不在でしたが、レジの店員さんに託けました。
本、一冊買いました。
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本のタイトルは内緒です。
あれ?うっすらと透けて見えてますね。
さすが木津川さん、いい作品を選んでくださいました。
味のある語り口です。
ただ、短い時間では紹介しにくい作品の中にもいいのがあるんですけどね。
NHKラジオエッセイ「コーヒーカップの耳」第二回。
予めお聞きしていた作品とは少し替わってましたが。
NHKラジオエッセイ「コーヒーカップの耳」第二回
こちらは先週の第一回目。→https://www.youtube.com/watch?v=HInSU7rsN5Y&t=72s
『完本コーヒーカップの耳』
味のある語り口です。
ただ、短い時間では紹介しにくい作品の中にもいいのがあるんですけどね。
NHKラジオエッセイ「コーヒーカップの耳」第二回。
予めお聞きしていた作品とは少し替わってましたが。
NHKラジオエッセイ「コーヒーカップの耳」第二回
こちらは先週の第一回目。→https://www.youtube.com/watch?v=HInSU7rsN5Y&t=72s
『完本コーヒーカップの耳』
明日24日(水)午後4時半過ぎ、NHKラジオ第一放送「ラジオエッセイ」という番組で木津川計さんによる『完本コーヒーカップの耳』の紹介があります。
17日に続いての第二回目。
多分「悪友」「後ろ姿」「百歳」などが朗読されると思います。
語りの名手、木津川さんはどのように語って下さるでしょうか。楽しみです。
これは前回17日の録音。→ 「ラジオエッセイ」第一回目。
17日に続いての第二回目。
多分「悪友」「後ろ姿」「百歳」などが朗読されると思います。
語りの名手、木津川さんはどのように語って下さるでしょうか。楽しみです。
これは前回17日の録音。→ 「ラジオエッセイ」第一回目。