喫茶 輪

コーヒーカップの耳

西川保市さんの本

2018-02-21 15:36:08 | 
今朝から探す本が見つからなくて往生していました。
2,3か月前にも同じ本を必死で探して、やっと見つけて、
すぐ目の届くところに置いておきました。
しかし、そのあとまた移動させてしまっていました。
でも近々必要になるのは分かっていたので、そんなに奥の方へやってしまうことはありません。
なのに見つからなかったのです。
リビングの身の回りにも本の置き場所はたくさんあって、探してみました。
多分そこにあると思っていました。でもありません。
最近は階段にもまたあふれています。そこにもありません。
店にもたくさんの本を何か所かに置いてます。
そこも必死に探しましたがありません。
階段の上の踊り場の本箱にもありません。
二階廊下の本箱にもありません。
隣の部屋との間の狭いスペースに置いてある本箱にもありません。
娘と息子がかつて使っていた部屋(ここにはまだたくさんの本が並んでいます。)の本棚にはあるはずがないので探しません。
その奥の、かつてのわたしの書斎(今は書庫になっています)、ここはもう大変。
地震後ざっと片付けただけで、足の踏み場もありません。
しかしここに最も多くの本があります。
もう乱雑に積み重なっています。
一応本箱は6本あって、そこには並んではいますが、その前がもうめちゃくちゃで探しようもありません。
また、そこに置いてないことはハッキリとしています。
でもちょっとは探してみました。やはりありません。

ちょっと用事を済ませてから、気分一新、また探し始めました。
そしたら、「あら、こんなところに」といった感じで見つかりました。
この本です。
←クリック
『とってことってこ』と「鬼はまだいる』(西川保市著)
いい詩集なんです。
この前、トンカ書店さんの詩集の山の中にこのうちの『とってことってこ』がありましたので、店主さんに「これはいい詩集ですよ」と教えてあげました。
すると「じゃあ、別にしておこう」と言って取りのけておられました。
500円では安いですもん。
さて原稿を書かなくてはなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「誇希」

2018-02-21 08:23:58 | 随想
今朝の神戸新聞にもう一つ注目するコラム記事があった。

「ふれあい」欄である。
←クリック
石原智秋さんの「古希の祝い」という随想。
短い文の中に、キチッと言いたいことが書かれている。
このお名前を見た瞬間、わたしは「あ、知っている人」と思った。
そしてすぐに思い出した。
短歌誌「六甲」の同人のはず、と。
で、最近の「六甲」を開いてみた。
すると、最初のページに載っていた。
しかも、わたし、この人の作品のことブログに書いていました。「六甲」2月号。←クリック
覚えがあるはずですね、つい最近のことだから。
そしてさらに思い出したことが。
この石原さん、拙著『触媒のうた』を購入してくださったのだった。
そして感想のお便りまで下さった。
さて、「ふれあい」の文章。全く短歌に触れておられない。
それが清々しいです。
ところで驚いたことがある。迂闊だった。
わたしはこの石原さんを男性とばかり思っていた。
「智秋」を「ちしゅう」と読んで。
今回の「ふれあい」を読んでやっと女性と知った次第。
ああ、恥ずかしい。最近、恥ずかしいことが多すぎる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ぼくは12歳』

2018-02-21 08:01:19 | 
きょうの「正平調」に『ぼくは12歳』という詩集のことが書かれていた。

←クリック

わたしも40年ほど昔に読んで、今もどこかにあるはずの本。
著者は感受性の強い12歳の少年。たしか、自死したのだった。
「正平調」には、この少年の心と比して、西宮市長だったI村氏のことが書かれている。
I村氏のブログの文章のことも。
そのブログ、わたしも昨日全文読んだが、見事に頭のいい人だと思った。
短い時間によくぞこれだけの文章が書けるものだと感心した。
しかし、情がない。いや、それらしきことは書いてある。
しかし、人肌の温かさをわたしは感じなかった。
というと、政治的な文章に情は必要ないと言われるだろう。
文学作品ではないのだから反って邪魔だ、ぐらいに。
でもなあ…。とわたしは思ってしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする