歴史小説作家、葉室麟さんの『河のほとりで』という随筆集を読んでいる。
前に一度読んでいるのだが、もう一度パラパラと。
その中の「もうひとつの「生きる」」という話がいい。
《「生きる」ということには二種類あるのではないかという気がする。》と始まる。
そして、
《今年になって面識のあった方、三人が亡くなった。》と。
《無常を感じる。》と。
この文が発表されたのは2014年5月。
実は葉室さんは2017年12月にお亡くなりになっている。
正に無常である。
そして、文芸評論家、小林秀雄の『無常という事』から引いた一節。
《思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。記憶の中のひとを思い出すことは、わたしたちを「一種の動物である事から救う」のだという。歴史は客観的な事実を調べるだけでは不十分で「思い出す」ことが大切なのだ。》
コーヒーカップの耳
前に一度読んでいるのだが、もう一度パラパラと。
その中の「もうひとつの「生きる」」という話がいい。
《「生きる」ということには二種類あるのではないかという気がする。》と始まる。
そして、
《今年になって面識のあった方、三人が亡くなった。》と。
《無常を感じる。》と。
この文が発表されたのは2014年5月。
実は葉室さんは2017年12月にお亡くなりになっている。
正に無常である。
そして、文芸評論家、小林秀雄の『無常という事』から引いた一節。
《思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。記憶の中のひとを思い出すことは、わたしたちを「一種の動物である事から救う」のだという。歴史は客観的な事実を調べるだけでは不十分で「思い出す」ことが大切なのだ。》
コーヒーカップの耳