『丘の明り』(庄野順三著・筑摩書房刊・昭和42年発行)を読んでいたら、こんな場面があった。
《「上へやつておいて、それがちょつと止ることがあるでせう。その隙に出るの。一羽が出ると、あとの一羽もすぐに出るの。でも、時々やり損なつて、落ちて来る戸で頭をはさまれるのよ」》
飼っている小鳥の話である。
ここを読んで、遠い昔の記憶が蘇った。
子どものころの話である。
今の津門中央公園は昔湿地帯(といっても沼に近いもの)だった。
そのころは色んな生き物がいて、わたしたち子どもの天国だったのである。
ガマの穂もたくさん生えていた。
それが後に埋め立てられたのだ。
埋め立てられたころの写真・西宮市情報公開課提供。
今のような公園になる前もまだ、子どもたちの自由な遊び場だった。
グランドも滑り台もブランコもなにもない空き地だった。
戦災の焼け跡から持ってきたような古煉瓦やがらくたが露出していた。
そこに雀を捕まえに行った記憶。
米粒を一握り持ち出して(うちは米屋だったので親の目を盗んで)行って、そこにある煉瓦4個とマッチの軸で、
罠を作って、中に米粒をパラっと撒いて、煉瓦の上にも何粒か置いて、遠くから見ている。
やがて雀がやって来て中に入ろうとする。
すると煉瓦を支えているマッチの軸に触れて煉瓦がコトンと落ちてふたされてしまう。
雀の生け捕り一丁あがりである。
ところがたまに、マッチの軸に触れずに中に入るのがいる。
しかし、米粒を食べて満足して出ようとして、マッチの軸に触れて、蓋になる煉瓦に首を挟まれることがあった。
哀れだった。
そんな思い出が蘇った。
年ですね。
因みに、写真のガスタンクは今津時代の水木しげるが漫画に描いている。
《「上へやつておいて、それがちょつと止ることがあるでせう。その隙に出るの。一羽が出ると、あとの一羽もすぐに出るの。でも、時々やり損なつて、落ちて来る戸で頭をはさまれるのよ」》
飼っている小鳥の話である。
ここを読んで、遠い昔の記憶が蘇った。
子どものころの話である。
今の津門中央公園は昔湿地帯(といっても沼に近いもの)だった。
そのころは色んな生き物がいて、わたしたち子どもの天国だったのである。
ガマの穂もたくさん生えていた。
それが後に埋め立てられたのだ。
埋め立てられたころの写真・西宮市情報公開課提供。
今のような公園になる前もまだ、子どもたちの自由な遊び場だった。
グランドも滑り台もブランコもなにもない空き地だった。
戦災の焼け跡から持ってきたような古煉瓦やがらくたが露出していた。
そこに雀を捕まえに行った記憶。
米粒を一握り持ち出して(うちは米屋だったので親の目を盗んで)行って、そこにある煉瓦4個とマッチの軸で、
罠を作って、中に米粒をパラっと撒いて、煉瓦の上にも何粒か置いて、遠くから見ている。
やがて雀がやって来て中に入ろうとする。
すると煉瓦を支えているマッチの軸に触れて煉瓦がコトンと落ちてふたされてしまう。
雀の生け捕り一丁あがりである。
ところがたまに、マッチの軸に触れずに中に入るのがいる。
しかし、米粒を食べて満足して出ようとして、マッチの軸に触れて、蓋になる煉瓦に首を挟まれることがあった。
哀れだった。
そんな思い出が蘇った。
年ですね。
因みに、写真のガスタンクは今津時代の水木しげるが漫画に描いている。