昨日、詩人で連句の宗匠鈴木漠さんからお贈りいただいた「おたくさ」61号だが、

「後記の為の後記」に注目。
《もし、詩や連句の世界に鈴木がいかほどか貢献を成し得たとするならば、それは荊妻恒子の包容力と助力の賜物である。半世紀、何も報ゆる事が出来なかったことを恥じつつ、明記しておきたい。》
これを読んだときわたしは、(あ、鈴木さん、わたしに影響されたな)と思った。
わたしは4月に拙詩集『恒子抄』を鈴木さんにもお贈りしている。その詩集の「あとがき」にわたしはこう書いている。
《尚、巻末に記した著作物はすべて、恒子の支えがなければ生まれなかった。ありがとう。》と。
鈴木夫人のお名前も「恒子」さんである。
「ハッ」と思われたに違いない。
と思ったのだが、おかしい。
昨日お贈りいただいたのに、発行日が「2022年3月31日」となっている。
え?いまごろですか?
3月発行ならば、わたしの『恒子抄』はまだ手にしてはおられない。
不思議だ。
追記
これと同じ記事をFBにも上げていたのだが、そこに詩人梅村さんからコメントが入った。
梅村さんは「おたくさ」の同人です。
《今村さん、実は3月31日発行で準備されていたのですが、入院中が続き結局二か月遅れの5月末に発行されました。ということで、後記はその直前に書かれたと思われ、「恒子抄」は目にされていたのでしょう。》
そうだったのか。で、不思議解消しました。

「後記の為の後記」に注目。

《もし、詩や連句の世界に鈴木がいかほどか貢献を成し得たとするならば、それは荊妻恒子の包容力と助力の賜物である。半世紀、何も報ゆる事が出来なかったことを恥じつつ、明記しておきたい。》
これを読んだときわたしは、(あ、鈴木さん、わたしに影響されたな)と思った。
わたしは4月に拙詩集『恒子抄』を鈴木さんにもお贈りしている。その詩集の「あとがき」にわたしはこう書いている。
《尚、巻末に記した著作物はすべて、恒子の支えがなければ生まれなかった。ありがとう。》と。
鈴木夫人のお名前も「恒子」さんである。
「ハッ」と思われたに違いない。
と思ったのだが、おかしい。
昨日お贈りいただいたのに、発行日が「2022年3月31日」となっている。
え?いまごろですか?
3月発行ならば、わたしの『恒子抄』はまだ手にしてはおられない。
不思議だ。
追記
これと同じ記事をFBにも上げていたのだが、そこに詩人梅村さんからコメントが入った。
梅村さんは「おたくさ」の同人です。
《今村さん、実は3月31日発行で準備されていたのですが、入院中が続き結局二か月遅れの5月末に発行されました。ということで、後記はその直前に書かれたと思われ、「恒子抄」は目にされていたのでしょう。》
そうだったのか。で、不思議解消しました。