ふと思い出した話。
何年前になるのだろう。
わたしが小学4年生だったと思うから、ほぼ70年前。
夏休みに田舎へ行った。
5歳下の弟を連れて。
わたしは9歳だったか?
たった二人でだ。
父親に三宮まで送ってもらって、但馬方面へ行く全但バスに乗せられた。
路線バスである。停留所に停まりながら行く。
急行バスだったと思うから、それほど多くは停まらなかっただろうが。
バスに乗せる時、父は車掌さんに頼んだ。
「この子らを和田山の宮田で下ろしてやってくれ」と。
何時間かかっただろう?
途中で弟に「喉が渇いた」とぐずられて困った。
お茶などは持たせてもらってなかった。
財布も持ってなかった(バッグの中)のでジュースを買うこともできないし、路線バスだから途中で買うわけにもいかない。
長距離路線バスだったから、途中でトイレ休憩があったかもしれない。
でも今のように自販機はなかった。
そして、下ろしてくれたところが、「宮田」を少し過ぎたところだった。
車掌がわたしたちのことを忘れていて、それでもちょっと過ぎたところで気づいて下ろしてくれたのだ。
しかし、ただ下ろされただけ。
辺りを眺めたが、思っていた(記憶にある)景色ではない。
そりゃ、運転手さんも後戻りはできないでしょう。
でも、車掌さんはどんな気持ちだったのだろうか?
思えば無責任な話である。小学校4年と4歳の子を知らない場所に下ろして走り去るとは。
途方に暮れる思いだったが、そばを山陰線が通っており、踏切があり、番小屋があった。
そこで、踏切番の叔父さんに尋ねた。
「林垣へはどう行ったらいいですか?」と。
事情を話すと、その叔父さん、バスの車掌のことを怒っていた。
教えてもらった道を行くと、すぐに林垣への道が分かった。
暑い中を弟と二人で歩いた。歩けばけっこう遠い道である。
道の脇に細い農水路が流れていて、覗くとフナがいっぱい泳いでいた。
手でつかもうとしていっとき遊んだ。
そうしてやっとジジババの家に着いた。
佐一爺さんは驚いて、
「よう来た、よう来た」と何度も褒めてくれた。
何年前になるのだろう。
わたしが小学4年生だったと思うから、ほぼ70年前。
夏休みに田舎へ行った。
5歳下の弟を連れて。
わたしは9歳だったか?
たった二人でだ。
父親に三宮まで送ってもらって、但馬方面へ行く全但バスに乗せられた。
路線バスである。停留所に停まりながら行く。
急行バスだったと思うから、それほど多くは停まらなかっただろうが。
バスに乗せる時、父は車掌さんに頼んだ。
「この子らを和田山の宮田で下ろしてやってくれ」と。
何時間かかっただろう?
途中で弟に「喉が渇いた」とぐずられて困った。
お茶などは持たせてもらってなかった。
財布も持ってなかった(バッグの中)のでジュースを買うこともできないし、路線バスだから途中で買うわけにもいかない。
長距離路線バスだったから、途中でトイレ休憩があったかもしれない。
でも今のように自販機はなかった。
そして、下ろしてくれたところが、「宮田」を少し過ぎたところだった。
車掌がわたしたちのことを忘れていて、それでもちょっと過ぎたところで気づいて下ろしてくれたのだ。
しかし、ただ下ろされただけ。
辺りを眺めたが、思っていた(記憶にある)景色ではない。
そりゃ、運転手さんも後戻りはできないでしょう。
でも、車掌さんはどんな気持ちだったのだろうか?
思えば無責任な話である。小学校4年と4歳の子を知らない場所に下ろして走り去るとは。
途方に暮れる思いだったが、そばを山陰線が通っており、踏切があり、番小屋があった。
そこで、踏切番の叔父さんに尋ねた。
「林垣へはどう行ったらいいですか?」と。
事情を話すと、その叔父さん、バスの車掌のことを怒っていた。
教えてもらった道を行くと、すぐに林垣への道が分かった。
暑い中を弟と二人で歩いた。歩けばけっこう遠い道である。
道の脇に細い農水路が流れていて、覗くとフナがいっぱい泳いでいた。
手でつかもうとしていっとき遊んだ。
そうしてやっとジジババの家に着いた。
佐一爺さんは驚いて、
「よう来た、よう来た」と何度も褒めてくれた。