喫茶 輪

コーヒーカップの耳

語り・完本 コーヒーカップの耳

2020-06-23 16:47:54 | 完本 コーヒーカップの耳
明日24日(水)午後4時半過ぎ、NHKラジオ第一放送「ラジオエッセイ」という番組で木津川計さんによる『完本コーヒーカップの耳』の紹介があります。
17日に続いての第二回目。
多分「悪友」「後ろ姿」「百歳」などが朗読されると思います。
語りの名手、木津川さんはどのように語って下さるでしょうか。楽しみです。
これは前回17日の録音。 「ラジオエッセイ」第一回目。
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ATMでのこと

2020-06-22 10:44:56 | 日記
いよいよ公民館活動が始まるというので手続きに行ってきた。
すると知った人にいっぱい出会った。
o,kai,kazu,ya,ya,sa,a,kaさんなどなど。
やっと社会が動き出したといった感じ。

その後、鞍掛郵便局に行ったのだが、そこでわたしはちょっと嫌な感じ。
ここはATMが一台しかない。
しかし一人待ちだったので、すぐだと思った。
ところが前の男、なかなか終わらない。何件もの用事をしている。
機械から「ありがとうございました」というのが聞こえ、
終ったかなと思ったら、また「いらっしゃいませ」と言う。
それが何度も。
やっと終わって、その男、スッと帰って行った。
それはないでしょ。
「お待たせしました」とか、「お先でした」とか、せめて会釈ぐらいするものでしょ。
わたしの後ろにもいっぱい並んでおられたのだから。
その男、自分が逆の立場ならどうなのだろう。
それが当然のごとくなんとも思わないのかもしれないな。
そういう時代なんでしょうかねえ。

笑いたかったらこの本。 『完本コーヒーカップの耳』
泣きたかったらこの本。 『完本コーヒーカップの耳』
しみじみとした思いにふけりたかったらこの本。 『完本コーヒーカップの耳』
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プール

2020-06-21 09:14:17 | 
隣の小学校のプールに新しい水が入っている。
この春になにか工事をしていたが、スッキリとしている。
60年近く昔、昭和36年に完成したプール。
その後何度も補修しながらのプール。



  となりの小学校のプールには

  新しい水が入っていて

  サラサラと光っていて

  夏が来ている
           (「甲山」部分・1983年)


さて今年は、プール授業はあるのだろうか?
今、西宮市のHPを見たら、今年は中止のようですね。

お勧め本 『完本コーヒーカップの耳』
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『親と子の詩歌集―知恵の花かご』冬の章

2020-06-20 15:18:07 | 本・雑誌
『親と子の詩歌集 知恵の花かご』は、春夏秋冬と四つの章からなっている。

すべて読んだが、わたしは「冬」の章が良かった。
いかにも命を扱っている。
紀貫之の和歌について書かれたこのページ。
←クリック。
たった一行の、わかりやすいサラリとしているともいえそうな歌だけれど、桜塚さんの解説を得て、グンと重さを増しています。
これから後のページはすべて、心に響きます。それも重い響きです。
次の吉田松陰の辞世の歌にも涙を誘われますし、中原中也も、室生犀星などもみな深々と心に刺さります。
田中冬二の「返らぬ日の歌」もいいなあ。ちなみに冬二は、宮崎翁に宛てた手紙をわたし持ってます。
斎藤茂吉のページもありますが、そのご長男の斎藤茂太さんからのハガキもあります。
堀口大学もいいなあ、実は堀口の直筆ハガキもあります。
清らかな筆跡です。
さらに窪田空穂のハガキも。
手に取って直に見たい人は「喫茶・輪」へどうぞ。
今のうちですよ。やがてどこかに寄贈します。
するともう、ガラスケース越しにしか見られなくなりますよ。

お勧め本 『完本コーヒーカップの耳』
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『親と子の詞歌集―知恵の花かご』

2020-06-19 16:04:18 | 本・雑誌
『親と子の詞歌集―知恵の花かご』(桜塚ひさ編著・むらさき堂)という本を読んでいる。



40人ばかりの詩人や歌人の、ほぼ親が子を思う作品が並ぶアンソロジーである。
その一作一作に桜塚さんの解説がついている。
桜塚さんは《なお、編著者による各詩篇の解釈、鑑賞はあくまで読者のための参考に過ぎません。読者それぞれの感性により、さまざまに解釈されますよう期待します。》と「まえがき」に書いておられる。
ところがこの解説がなかなか深みのある味があって、いいです。単に編者ではないということ。
目次を見て驚いた。
うちにある直筆書簡や直筆原稿の主の名前が結構多くあるのだ。
吉井勇、窪田空穂、竹中郁、田中冬二、堀口大学、など。
中に永井ますみさんの名前もあって彼女は現在も神戸で活躍の詩人。
いつも同人誌を送ってきてくださっているし、「喫茶・輪」へもお越しいただいたことがある。

まだ中ほどまで読んだところだが、いい詩があった。
←クリック。
大木実の「おさなご」という詩。
どうってことなさそうで、胸に沁み入ります。人柄の滲み出た作品ですね。
こんなん好きです。添えられた解説に「ささやかでもかけがえのない幸せがあったことが分かります。」とあります。

ほかにこんなのも。

    「こえ」  赤木一夫

  おかあちゃんが
  きをつけてねといった

  ぼくは
  はいいってきますといった

  おかあちゃんのこえが
  ついてきた
  がっこうまでついてきた (出典不明)


小学一年生の男の子だという。ほぼ口頭詩ですね。


あ、そうだ。こんなのがある。

    「無題」

  時計の針が
  走るように進む。
  一時間があっという間だ。
  一日もあっという間だ。
  一年もあっという間だ。
  時計の針が 走るように進む。
  ぼくがおとなになるのもあっという間だ。 (作者出典不詳)


小学校高学年の作品とのこと。
これを読んで思い出したのが、口頭詩集『きよのパーティ』にある「時計」。

    「時計」

  あの時計ね
  ひとが見とったら
  動かへんねん。  (きよ5歳)

テーマは異なるが、どこか通ずるところがあるような。

ほかにも、竹中郁の有名な「たのしき磔刑」など、親と子にまつわる心動かす作品がいっぱい並んでいて、
今子育てをしている人には大いに役に立つ一冊かもしれない。
わたしはもうとうの昔に卒業してしまったのだが、これを読むと、もう一度若くなって子育てしてみたくなってしまう。
後を読むのが楽しみ。

お勧め本 『完本コーヒーカップの耳』


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喫茶店を営む人

2020-06-18 14:03:30 | 本・雑誌
『東京の小さな喫茶店』を読み終えた。


その「あとがき」の後半部分。 ←二段階クリックで。

《喫茶店はコーヒーの豆も器も大切であるが、もっと大切なのは喫茶店を営む人たちであることに私はようやく気がついた。彼らこそ東京を魅力ある街にしていることに思いあたった。》

わたしにとってちょっと新鮮な目線。

《(略)あるいは夫婦で喫茶店を営む人たちは、リトル・ピープルである。小さな人たち、つつましく暮らす市井の人たちである。こういう喫茶店は減りつつある。すでに消えてしまった喫茶店もある。》

そして終わりの方。
《この方たちこそ東京の町々を魅力あらしめている。小さな喫茶店がたえず変貌する町の片隅に、いまも昔ながらに息づいていると、東京もまんざら捨てたものではないと思う。》
「東京」を「西宮」と読み替えてもいいのではないだろうか。
まだいい時代だったのかもしれない。常磐さんがこの本を書かれてから、すでに25年が過ぎる。
西宮だけではないだろうが、町の喫茶店は現在、ほぼ絶滅した。
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ラジオで紹介

2020-06-17 23:00:52 | 完本 コーヒーカップの耳
NHKラジオ第一放送での『コーヒーカップの耳』の紹介。
語りの名手、木津川計さんによる朗読。
味がありました。
「ラジオエッセイ」
来週が本番のような。
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本日営業 2020・6・17

2020-06-17 06:44:43 | 喫茶・輪


「喫茶・輪」は本日午前中営業いたします。

予定では本日(6月17日)午後4時半からのNHK第一ラジオ(関西)で『完本コーヒーカップの耳』の紹介があります。
木津川計さんによる「ラジオエッセイ」という番組。
元「上方芸能」の編集発行人。語りの名手でもあります。
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木津川計さんのラジオエッセイ

2020-06-16 19:33:09 | 完本 コーヒーカップの耳
予定では明日(6月17日)午後4時半からのNHK第一ラジオ(関西)で『完本コーヒーカップの耳』の紹介があります。
木津川計さんによる「ラジオエッセイ」という番組。
元「上方芸能」の編集発行人。語りの名手でもあります。
これまでにも『コーヒーカップの耳』など、何度かわたしの書くものを紹介してくださっています。
今年は例のコロナの影響で二度延期されました。
明日はどうでしょうかねえ。
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喫茶店のおやじは

2020-06-16 16:24:01 | 喫茶・輪
『東京の小さな喫茶店』の中の一行。
《喫茶店のおやじはどこでも、いつも苦笑いを浮かべているように見える。ちょっと斜にかまえて、》
へ~?そうなのか。
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和歌

2020-06-16 12:42:48 | 本・雑誌
4月に予約になっていた渡辺心臓血管センター病院での検査だが、
その時は緊急事態宣言が出ていた。
病院が最も感染リスクがあるのではないか、ということで二ヶ月延期してもらっていた。
それが今日だった。
考えてみると偶然にも二年前の今日は入院中だった。

入り口で体温検査されて(36,2度)入った病院だが、待合ロビーが以前とくらべ空いていた。
ベンチも数が少なく、向かい合って座れないように方向が工夫してある。
間隔を空けて座るようにとの表示もある。
そして、来院者がみな病人だ。
というのはおかしな話だが、以前は一見して病人とは思えない人も多かったように思う。
考えてみると、緊急性のない検査などは今は控えているのだろう。
すべて予約制だから、調整されているのだ。
足元もおぼつかない、いかにも病人というような人が多い。
今、病院の経営が苦しいといわれているが、それがわかる気がする。

検査の結果は以前と変わらずだった。
ただ、一つ今後の治療のことで提案されたことがあり、それはまた考えて(家族とも相談して)次回返事をすることに。

いつも病院には文庫本を持って行く。
今日は、これ。

『いのちなりけり』(葉室麟著・文春文庫)。
葉室さんのなんとも切ない時代小説。
ちょっと心に残った箇所をメモしておきます。
待ち時間に読んでいてそのページに自分で計った血圧の表示紙片を挟んでおいた。
医師から提出を求められなかったのでそのまま帰った。

《 「わしは近頃、わかったことがある」
 「どのようなことですか」
 「なぜ古(いにしえ)の和歌を人びとが大切にしてきたのかということだ」
 「ほう」
 「人がこの世に生きた証として遺すものは、心しかないと思う」》


そこで『完本コーヒーカップの耳』の「まえがき」の一部、大出さんの言葉から、
「人間の一生あっという間やなあ。死んだらな~んも残らへんもんな。凡人はみなそうちゃいますのん? なんか残るもん マスターにはあります?」
わたしは多少は残してきたかも知れない。でももう少し残しておきたい気がする。


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喫茶店をやっている人

2020-06-15 11:22:30 | 喫茶・輪

「なくなってしまった喫茶店のこと」の中の「すみれ」という喫茶店のママさんの話。
そのママさんが亡くなった後で常磐さんはその人の人生を知ることになる。
波瀾万丈の人生を。
そのことはここには書かないが、常磐さんは終わりにこんなことを書いている。
《喫茶店をやっている人たちの一生はささやかな人生である。
<すみれ>の都さんについても同じことがいえるかと思う。
私はそのささやかな人生に深い敬意を払いたい。》

わたしも『完本コーヒーカップの耳』に登場する普通の人びとに深い敬意を払いたいと思う。
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喫茶店がひとつ消えるということ

2020-06-15 09:17:50 | 喫茶・輪
東京の小さな喫茶店』という本に「なくなってしまった喫茶店のこと」という章があり、その中の「DAN」という店のこと。


《喫茶店がひとつ消えていく、いわばその現場に私はたまたま立ちあうことができた。
いま思えば、喫茶店は個人ではやってゆけない事態になっていたのである。
喫茶店の主人たちと世間話などできなくなりはじめていた。
(略)喫茶店というのはいまや割の合わない商売である。
水谷さんも小島さんももう一度、喫茶店をはじめるということはないであろう。
(略)またはじめるのはもう無理だ。第一、身体がつづかないだろう。》


この前後にドラマがあるのだが…。
「喫茶・輪」も過去何度か廃業宣言をしたことがある。
その度に「もうちょっとやってえな」などと言う声に押されてドアを閉めずに来た。
当然でもあるが、かつてのような賑わいはもうない。
食事の提供もしないし、営業時間も極端に短くした。
もちろん採算は度外視である。わたしたち老夫婦の健康保持のためもあって細々とやっている。
これが家賃を納めねばならない店だったら、とうの昔に辞めている。
喫茶店がひとつ消えるということは、小さくても一つの文化が消えることだと思う。
淋しいことだ。
『完本コーヒーカップの耳』
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64年ぶりの人

2020-06-14 17:58:42 | 完本 コーヒーカップの耳
「K木です」という女性の声には覚えがない。
かかってきた電話である。
「旧姓はT田です」と。
それで分かった。
小学校の同窓生だ。
6年3組横手学級。

卒業してから会ったという覚えがないから64年ぶりである。
「ご無沙汰してます」には笑ってしまったけれど。
「新聞に載ってたので『完本コーヒーカップの耳』を買って読みました。面白くて一気に」とのこと。
「前にも○村君のこと新聞記事を読んだことがあります」と。
よく覚えてくれていたものだ。
30分近くも話しただろうか。
彼女は作家田辺聖子さんのとこで15年ほども仕事をしていたとのこと。
何度も田辺さんの取材旅行のお供をしたと。
なんという縁だろうか。
昔話もしたが、「また会いましょう」ということで、なんとも懐かしいことだった。


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2年前の今頃は

2020-06-14 09:18:56 | 健康・病気
2年前の今頃は渡辺心臓血管センターのICUにいたのだった。


13日入院、21日退院。
入院当日に娘が差し入れしてくれた(気が利くではないか)ノートにベッド周辺で起きる出来事や心情をメモっていた。
それを退院してから『病床日誌~東川のほとりで』と題して冊子にまとめた。

人生初の救急車体験から書いている。
改めて読んでみて、生きて帰れて良かったなと思う。
でなくては『完本コーヒーカップの耳』も出すことができなかった。
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