【写真でつづる入川】
入川を歩いた。集落のはずれに車を止め、ゆっくりと家並みの並ぶ細い道をたどる。
写真①
途中入川青年会と札のある時計。ツタが絡まっていたのだが、枯れているのか。
時計はとうの昔に止まったままなのであろう。時間の経過はその姿からうかがえる。
写真②
写真③(突き当たりに学校が..)
写真④(道の脇にはこんなものも)
写真⑤(学校に出た)
写真⑥
写真⑦(山桜の点在する春の山)
写真⑧(1946年1月14日とある。)
写真⑨(垂直尾翼のような石碑)
突き当たりに高千小・中学校があった。校門前に英国機着陸記念塔と名付けられた石碑。ずうっと昔のことだ。こんな田舎の集落に起こった突然の出来事。こうやって碑が残ると言うことは心温まる話があるのだろう。ぼんやりとものの本で読んだ記憶もあるが、不鮮明な記憶を文にするわけにもいくまい。
写真⑩
写真⑪
写真⑫
写真⑬(吹き付ける潮風に色を失った海岸の風景)
学校前で海に出た。小砂利の混じる浜辺は水も透きとおっておりじつによい。実家からはずいぶん遠いところであるが、時間が許す限りぼんやりとしていたいところである。
こんな良い場所にいるのに、図らずも先を急ぐ取材の道すがらであるというのを残念に思う。海岸沿いの風景は、長い年月、吹き付ける潮風に色を失っているように写るが、その中にある洗濯物の白が良いアクセントをくれている。この風景と、よせては返す波音に、春から初夏へとの兆しを感じたそんな入川であった。
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写真撮影:2006:05.03 佐渡市入川
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2006年 地理の部屋と佐渡島 sadotiri
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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入川青年会の時計は趣がありますね。
こんなものが存在していたとは驚きです。
かなりの年代モノでしょう。
実際に見に行きたくなりました。
まだまだ60年前のこととはいえ人の記憶からは消え去っていくのでしょうかね・・・
1945(昭和20)年8月6日8時15分を答えられない広島市民もいるのですから・・・
広島には占領軍として豪州が・・
入川を含む地区の占領軍は英国だったのでは??と・・・
英国軍機と碑銘に刻み込まれていませんが。
碑の建立時期も関連してくるのでしょうが・・・
佐渡を知るものにとっても
入川には身近なものを感じるもの
ではありません。
高千地区と言ってもまた同様でしょう。
ですが、ちょっとしたことがきっかけで
意識は変わります。今年のGW。
外海府方面の取材をいたしましたが、良
かったです。
久しぶりの大佐渡一周。佐渡の良いところ
再発見でした。
終戦から半年も経っていませんその頃ですから、
戦争と無縁と言うことはありませんね。
英国機がどのようにして不時着し、そして飛び
立っていったのか。その詳細は何とも言えません。
ものの本での、しかもうろ覚えではコメントは
できません。
ただ、その飛行機がどこのものであれ、その助け
をこの地域の方々がされたと言うこと。
時代背景も共にで、記憶に残していただきたいも
のと思います。
他の海岸線は、冬場のゴミの打ち上げに
目を覆いたくなりますが、海流のせいでしょうか。
飛行機着陸のことは下記に詳しくありますよ。
了解を得ていませんが、宣伝しちゃんいます。
http://www.kaifu.info/yomoyama03.html#fujityaku
入川を通ると、騒動のようすを空想してしまいます。
リンク先見ました。思い出しました。
ですが、その顛末を何で自分が知ったのかが
思い出せないです。少しもやもやします(笑)。
今は海岸沿いに堤防ありますが、当時はそん
なのが無くて、浜ももっと広かったんでしょ
うねぇ~。そんな時代の風景を見てみたいも
のです。
英国機は気になり調べました
ネット上でのネタ元は紹介済みのところでした。
いきなり双発のプロペラ機が降りていたら
驚きますよね
記念碑等の云われは郷土史にでも載っていれば
いいほうですね きっと
語継がれづに忘れられてしまうものが多いいですから
私の場合 教科書より祖父、祖母などの話してくれた
ことは良く覚えています。。。
見ましたか..。
>郷土史にでも載っていれば..
たぶん当方が見たものはそれら
しきものと思いますが、いかん
せん結構ありますので、果たし
てどれで見たものか..。
ただ、当時の入川の人たちは
びっくりしたに違いはありま
せんね..(笑)。