地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

宗門史跡御松山実相寺

2005年01月25日 22時24分39秒 | 佐渡歴史
佐渡市市野沢に実相寺という寺がある。国道350号を山の方へはずれ,案内どおりにゆくと大きな看板。日蓮大聖人恩親の霊場 宗門史跡御松山実相寺とある。

 観光バスなども観光ルートとしてこの寺に来るのだろうか。舗装された広い駐車場がある。さらに駐車場から奥まで入れそうだが,この駐車場で降りた方がよい。山門が駐車場脇に見える。訪れたなら参道を通る事を進める。なぜならうっそうとした杉林に囲まれている参道が,由緒ある寺への入口に似合う風景だからだ。

 その道をゆっくり歩いて行くと石段がある、参道最後の急な石段だ。足下に気を付けながら登ると、やがて寺の屋根が少しずつ見えて来る。それを上りきるとまずは正面に小さな庭、奥に本堂が見える。そのやや右手に大きな杉木立。その名は三光の杉と言う。左手横には日蓮聖人の大きな像も目に入ってくる。

 佐渡にいて何で来なかったのだろう。なかなかの寺だ。佐渡に日蓮ゆかりの地は多いが、日蓮とはひときわ関わり深そうだ。境内の看板に御松山実相寺の縁起と書かれた説明がある。読むと[文永九年四月七日一の谷に謫居の身となった日蓮聖人は毎日.....。]と書き出されたその内容には、日蓮の佐渡配流中の当地での事が読み取れる

 これだけではない。同寺には、他に子安仁王尊、袈裟掛けの松、御手清水と言い伝えの残るものがあるが、以下に、境内にあった千年杉の説明書きの内容を紹介する。

文永十年七月日連聖人この大杉と袈裟掛けの松の間に停ち梵天、帝釈、日月、四天に帰倉を念誦されるや白頭のカラス飛来す。
燕(えん)の円太子の「山からす頭も白くなりにけり 我帰るべき時や来めらん」の故事にも等しく、翌年文永十一年三月八日御赦免状佐渡国に到達、同十四日御出船され四ケ年振りに御帰倉なされ給う。

 文中帰倉とは、鎌倉へ帰ると言うことの注があった。日蓮は、安房の漁師の子として生まれた。後に比叡山や高野山での修行を積んだ上、法華教の教えに従い題目を唱えれば救われると、辻説法をしながら説いてまわったと聞く。資料によると1222年生~1282年没とあるが、国難の予言の罪を問われ、鎌倉幕府により伊豆と佐渡に配流されている。『開目抄』は、佐渡配流中の1272年に著わした書という。

 過度な期待を持って訪れると期待はずれになるかもしれないが、数多くある佐渡の寺社の中ではおすすめしたい寺の一つである。

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