▲写真①
長安寺には色々歴史的遺物があるようだ。今回は寺の敷地内にあった解説を幾つかまとめて紹介するが、残念ながらそれぞれの解説に対する写真が紹介できない(ご容赦いただきたい)。
▲写真②
今回紹介した写真①は寺の本堂(?)。写真②と③はその前にある門である。川沿いの道から見ると、長安寺への入口は二つ並んでいる。こちら側が上流側にあたる。梅雨の合間の7月1日(2005)は天気にも恵まれ、ゆっくりと歩き回るのに心地よい日であった。
▲写真③
長安寺佐渡市指定文化財
▽阿弥陀四大菩薩像図(繊工軸仕立、縦二一五糎)
制作時期(一五八六)が明確な作品で、作者は不詳であるが、阿弥陀如来を中心に四菩薩をめぐらした図像となっている。特色としては、おおらかで力強い形態感覚な画法で、李朝中期の仏画の一つの基準作として美術史的な価値があり、朝鮮仏画として貴重なものである。
▽薬師如来座像(寄木造り、像高五二.三糎)
制作年代や作者は不詳であるが、像容はおだやかで衣文のひだの彫りも浅く美しい。右手は、施無畏の印を呈し、左手には薬壷を持ち台座に趺座しており、平安時代の定朝様式を伝える貴重な仏像である。
これらは、平成五年九月二七日に両津市の文化財に指定された。
平成七年四月 佐渡市教育委員会 長安寺
▽国指定重要文化財 木造阿弥陀如来座像(彫刻)
この阿弥陀如来座像は檜材寄木造り、漆箔で、高さ八七センチメートル、頭部に螺髪(らはつ)、肉髻(にっけい)があり、光背は二重光輪、ひたいに水晶の白毫(びゃくごう)がはめこまれている。両手は膝の上に弥陀定印を結び、同じ檜材寄木造り葺寄九重蓮華坐に結跏趺坐している。おだやかな容ぼうや、浅い衣文の彫り、寄木の手法などから、平安時代後期の作であることが知れる。
明治三十九年(一九〇六)四月十四日、国宝に指定されたが、昭和二十五年八月法律改正に伴い、重要文化財となった。 佐渡市教育委員会
▽国指定重要文化財 銅鐘(工芸)
この銅鐘は、高さ八十三センチメートル、口径六十センチメートルのいわゆる朝鮮鐘である。竜頭が一個、後部に「旗さし」がある。
若狭(福井県)の海中から拾い上げたものを寄進したと伝えられている。形態が優美で、唐草文様も美しい。十三世紀頃の製作と見られる。
天正十七年(一五八九)上杉景勝の佐渡征伐の際、金北山真光寺に移されたのを、明治維新後再び長安寺にもどしたものといわれている。
明治三十九年(一九〇六)四月十四日、国宝に指定されたが、昭和二十五年法律改正に伴い、重要文化財となった。 佐渡市教育委員会
<写真撮影:2005.7.01> 2005年 地理の部屋と佐渡島。
佐渡にも四国88ヶ所霊場なるものがあるのですね(全国各地にあるようですから不思議はないのですが)広島にもありますし、福岡篠栗にも・・・
山門に仁王像があるということは大きなお寺ですね、
わが町にも(大正時代の大水害といわれるものがあり)水害碑が建立されています。
四国88ヶ所霊。
不思議とあちこちで見られますが、
それもまた良いものと思います。
本当の四国88ヶ所は大変そうですが、
プチ体験ができるのでは?
本物の四国88ヶ所も含め、全国88ヶ所
めぐりなんてのもまた、百名山ではな
いですが、ネタとしては面白そうです。
ただ、大変でしょうねぇ~。
さて、水害碑ですが、いつの水害かは
わかりませんが、佐渡は山がちな土地柄
で、平野部との境界に集落が多いです。
そのため、島とは言え意外と水害の多い
島です。
羽越水害の時は、実家の田が流されてし
まったことを思い出します。