地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

続・長安寺

2005年10月21日 06時15分55秒 | 佐渡歴史

▲写真①

 

 長安寺には色々歴史的遺物があるようだ。今回は寺の敷地内にあった解説を幾つかまとめて紹介するが、残念ながらそれぞれの解説に対する写真が紹介できない(ご容赦いただきたい)。

 

▲写真②

 

 今回紹介した写真①は寺の本堂(?)。写真②と③はその前にある門である。川沿いの道から見ると、長安寺への入口は二つ並んでいる。こちら側が上流側にあたる。梅雨の合間の7月1日(2005)は天気にも恵まれ、ゆっくりと歩き回るのに心地よい日であった。

 

▲写真③

 

長安寺佐渡市指定文化財 
▽阿弥陀四大菩薩像図(繊工軸仕立、縦二一五糎)
 
 制作時期(一五八六)が明確な作品で、作者は不詳であるが、阿弥陀如来を中心に四菩薩をめぐらした図像となっている。特色としては、おおらかで力強い形態感覚な画法で、李朝中期の仏画の一つの基準作として美術史的な価値があり、朝鮮仏画として貴重なものである。

▽薬師如来座像(寄木造り、像高五二.三糎) 
 制作年代や作者は不詳であるが、像容はおだやかで衣文のひだの彫りも浅く美しい。右手は、施無畏の印を呈し、左手には薬壷を持ち台座に趺座しており、平安時代の定朝様式を伝える貴重な仏像である。  

これらは、平成五年九月二七日に両津市の文化財に指定された。 
平成七年四月 佐渡市教育委員会 長安寺

▽国指定重要文化財 木造阿弥陀如来座像(彫刻) 
 この阿弥陀如来座像は檜材寄木造り、漆箔で、高さ八七センチメートル、頭部に螺髪(らはつ)、肉髻(にっけい)があり、光背は二重光輪、ひたいに水晶の白毫(びゃくごう)がはめこまれている。両手は膝の上に弥陀定印を結び、同じ檜材寄木造り葺寄九重蓮華坐に結跏趺坐している。おだやかな容ぼうや、浅い衣文の彫り、寄木の手法などから、平安時代後期の作であることが知れる。 
 明治三十九年(一九〇六)四月十四日、国宝に指定されたが、昭和二十五年八月法律改正に伴い、重要文化財となった。 佐渡市教育委員会

▽国指定重要文化財 銅鐘(工芸) 
 この銅鐘は、高さ八十三センチメートル、口径六十センチメートルのいわゆる朝鮮鐘である。竜頭が一個、後部に「旗さし」がある。 
 若狭(福井県)の海中から拾い上げたものを寄進したと伝えられている。形態が優美で、唐草文様も美しい。十三世紀頃の製作と見られる。 
 天正十七年(一五八九)上杉景勝の佐渡征伐の際、金北山真光寺に移されたのを、明治維新後再び長安寺にもどしたものといわれている。 
 明治三十九年(一九〇六)四月十四日、国宝に指定されたが、昭和二十五年法律改正に伴い、重要文化財となった。 佐渡市教育委員会

 

<写真撮影:2005.7.01>  2005年 地理の部屋と佐渡島。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
水害碑・・・ ()
2005-10-21 17:48:12
 こんばんは、地理佐渡・管理人さん。



佐渡にも四国88ヶ所霊場なるものがあるのですね(全国各地にあるようですから不思議はないのですが)広島にもありますし、福岡篠栗にも・・・

山門に仁王像があるということは大きなお寺ですね、

わが町にも(大正時代の大水害といわれるものがあり)水害碑が建立されています。

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Re.水害碑・・・ (かんりにん)
2005-10-21 19:49:37
こんばんは。 コメントありがとうございました。



四国88ヶ所霊。

不思議とあちこちで見られますが、

それもまた良いものと思います。

本当の四国88ヶ所は大変そうですが、

プチ体験ができるのでは?



本物の四国88ヶ所も含め、全国88ヶ所

めぐりなんてのもまた、百名山ではな

いですが、ネタとしては面白そうです。



ただ、大変でしょうねぇ~。



さて、水害碑ですが、いつの水害かは

わかりませんが、佐渡は山がちな土地柄

で、平野部との境界に集落が多いです。

そのため、島とは言え意外と水害の多い

島です。



羽越水害の時は、実家の田が流されてし

まったことを思い出します。



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