団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★天高く馬肥ゆる秋

2022年09月30日 | 素晴らしい日本語

 日本語は本当に素晴らしい。外来語を吸収して日本語にしてしまうその力には驚くものがあります。
  と言うか、それが日本の力でしょうか。それこそが多神教である神道の力かもしれません。

  そんなことをねずさんが書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/09/22
  
  天高く馬肥ゆる秋 

  ・・・略

 たとえば戦後の日本は、米国たくさんのカタカナ英語を採りいれましたが、その中には、本来の英語の意味とはぜんぜん別な意味に使われている単語がたくさんあります。
どうしてそうなるかといえば、日本人が、単に英語をカタカナにしているのではなく、日本の文化的の土壌の上に、カタカナ英語を採りいれているからです。

 杜審言の『秋高馬肥』の歌も同じです。
杜審言の漢詩は漢詩として楽しむ。
けれど、もとからある「食欲の秋」に、たまた似た意味のフレーズが杜審言の漢詩にあったから、そこに寄託して「天高く、馬肥ゆる秋」を慣用句として用いたのです。

 なんでもそうですが、漢詩にせよ漢文にせよ英語にせよ、なんでもかんでも日本は劣っていて、何もかも余所の国から教わったのだというように子供たちに教えたり、解釈したりすることは、よろしくないと思います。
そういうものは、情報操作に軽々と乗せられてしまった、あわれな愚行であると、断じさせていただきたいと思います。

 日本語にカナ(カナは神名(かな)ともいいます)があり、漢字に訓読みがあるように、我々の祖先は、もとからある大和言葉による日本文化という土壌の上に、輸入文化を日本風にアレンジして導入してきたのです。

 似て異なるのが、漢字文化と日本文化です。
両者を混同するだけでなく、漢字文化が日本文化よりも上位に位置するのだというように、そもそも物事を上下関係でしか捉えようとしないということ自体が、日本的思想からは外れているのです。
これは特に戦後の文系学会の、大きなはき違いの最たるものであろうと思います。
あたりまえです。
文化に上下など、あろうはずがないのです。

 それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものが文化です。
地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その建築文化に違いがあるのは当然です。
内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。
要するに文化に上下などない。

 さて、秋の雲といえば羊雲。
その羊雲を、天皇の大喪の礼の際の弔問の人々に見立てた歌が万葉集にあります。
日本は自然環境の厳しい国ですが、同時にその自然環境は、常に私達日本人に恵みを与え続けてくれた環境でもあります。
そうしたなかで、おのずと備わった尊敬と感謝の日本文化。
こういうものを、我々は後世にまで、しっかりと伝えて行きたいと思っています。



  やたらなカタカナ言葉には嫌になりますが、日本語・文化の凄さ故と考えれば少しは受け入れることも出来そうです。
  それでも、もう少し控えて欲しいものです。


★【楽天】英語を社内の「公用語」、軌道に乗るまでいばらの道…

2022年08月21日 | 素晴らしい日本語

 英語を社内の公用語というのが一時流行っていたようです。楽天や資生堂が取り入れた後、どうなっているのだろいかと思ってました。

  楽天の経過が記事になっていました。果たして上手く行っているのか判断できませんが、メリットがあった用にも思えません。
  もしかしたら社長の自己満足でしかないのじゃないでしょうか。楽天自体の経営も厳しそうなのにもこんなことも影響しているのじゃないでしょうか。

  それにしても、英語を公用語にすることにどんなメリットがあるのかがどうにも分かりません。
  日本人には日本語という世界に誇れる素晴らしい言葉があるのに、それを捨てる意味があるとは思えません。

  資生堂はどうなったのでしょうか。成功しているのでしょうか。日本語を蔑ろにするような企業が成長出きるとは思えないのは考えすぎでしょうか。 


★夫婦善哉と月の 法善寺横町

2022年08月06日 | 素晴らしい日本語

 夫婦と書いて「めおと」と言うのが本当は「妻(め)夫(おと)」だったというのは驚きです。
  これも西洋かぶれによる影響があるようです。これは、何とも勿体ない話です。もう一度元に戻して本来の日本文化を取り戻すべきじゃないでしょうか。
  これを世界に広めれば、日本が男女格差のある国なんて誤解も解けるのじゃないでしょうか。

  そんなことをねずさんが教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/07/30
  
  夫婦善哉と月の 法善寺横町

  ・・・略

 「夫婦善哉」というのは、大阪の法善寺横丁で木文字重兵衛(きもんじじゅうべえ)が明治16年に開いた、ぜんざい屋「お 福」のぜんざいのことで、ぜんざいを出すときに、お椀を二つに分けたら同じ値段でも豪華に見えるとのことから、一人前を椀二 つで出すようにしたのだとか。

 「なんで椀がふたつや?」
「めおとでんね」
というのが夫婦善哉のルーツだといわれています。
甘味のぜんざいに、善き哉(かな)を掛けた名前になっているわけですね。

 ちなみに、大和言葉の「めおと」は、「妻(め)夫(おと)」で、本来は妻が先だった言葉です。
明治以降の戦争続きの時代に、西洋的男性優先型社会へと変化し、その過程で「妻夫」が「夫婦」になったのだとか。・・・中略

 ちなみに、おしるこには、つぶあんタイプとこしあんタイプがありますが、このつぶあんタイプのもののことを、ぜんざいと呼 びます。

 つぶあんタイプのおしるこから、汁を抜き去ったものが「小倉あん」となるわけですが、そのおしるこのことをどうして「ぜんざ い」と呼ぶようになったかには、二説があります。

 ひとつは、一休さんが、これをはじめて食べたときに、あまりの美味しさに「善哉(よきかな〜)」と叫んだことがはじまりとす るもの。

 もうひとつは、出雲の神事である「神在祭(じんざいさい)」で振る舞われた「神在餅(じんざいもち)」が訛って「ぜんざい」 に変化したというものです。

 どちらが正解かはわかりませんが、仏教も神道も、両方あって「善き哉(かな)、よきかな」。
日本の文化は、あらゆるものを結びます。



  やはり、日本文化には愛がありますね。これは何としても「妻夫」に戻すべきでしょう。
  それでも一度覚えてしまったものを変えるのは違和感があるのも確かです。それでも何年かすれば馴染むのじゃないでしょうか。


★日本語と世界の言語の不思議な歴史

2022年07月31日 | 素晴らしい日本語

 日本語こそ世界共通語にと何度も書いてきました。その素晴らしさもねずさんに教わったものが多いような気がします。

  最近はもっと面白い説を唱え出してくれれています。何と、日本語こそが世界の言葉の原点だというのです。
  とは言え、これも有り得ないことじゃなさそうです。となると、日本語を世界共通語というのは先祖返りになります。
  要は、日本語を世界共通語とするのは当然の帰結だということでしょう。これは面白い。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/07/24

  日本語と世界の 言語の不思議な歴史

  ・・・略

 実は日本語は、とても美しい言語です。
美しいだけでなく、世界中の言語と互換性を持つ包容力があり、世界中の言語や文化を日本語の中に取り入れることができま す。・・・中略

 このことは西洋がわかりやすのですが、西洋の科学技術は、基本、軍事力の強化のために開発され、発展したものといわれてい ます。(もちろんそうでないものもありますけれど、全体に、その傾向があるという話です。)このことは東洋史も同じで、技術 は、農機具や人々の生活用品の工夫や開発が主軸ではありません。すべて軍事技術が基になっています。

 ところが日本では、軍事技術よりも、人々の民生品として技術が発達しています。たとえば鉄器は、もちろん刀剣にもなってい ますが、それはずっと後の時代の話。もともとは鋤や鍬、鍋や釜などに用いるために開発されました。その伝統を引き継ぐものに 南部鉄器や、精巧な大工道具があります。

 こうした文化的伝統は、実はいまも続いていて、世界最先端の半導体を、海外の大国諸国は、ことごとくこれを軍事に用います が、日本では、NASAより進んだ超最先端の半導体が、プレステなどのゲーム機に使われ、人々の楽しみに貢献しています。
 こうした文化の違いは、言葉そのものにも現れています。・・・中略

 シェパートといえば、警察犬としての活躍が有名ですが、あるブリーダーさんによると、米国で生まれたシェパードで、訓練士 の言うことをまったく聞かず、とにかく性格が悪くて乱暴者のシェパードが、いらない犬だからということで、日本に送られて来 るのだそうです。
 ところがそんなシェパードが、日本で暮らして半年も経つと、どの子も実にあたたかで思いやりがあり、訓練士の言うことをよ く聞く良犬になってしまうのだそうです。そのブリーダーさんは、「これはおそらく日本語が持つ特殊性にあるのではないか」と 述べておいでになりました。

 日本語は、世界的に孤立した特殊な言語なのだという説があります。日本語は撞着語といって、名詞や動詞を「てにをは」でつ なぐ言語であり、また語順も「SOV型」で特殊な言語だと言われます。Sは(主語)、 Vが(動詞)、 Oが(目的語)ですが、この語順が英語は「SVO型」、日本語は「SOV型」であり、世界の中で孤立した言語だというのです。・・・中略

 要するに、初期の言語は無声化音がなく、それが長い歳月と地域差の中で、次第にそれぞれの地域や民族に合った形となること で、世界の言語がバラバラになっていったとするならば、元々の言語はどこにあったのか、ということが議論になります。そして それはもしかすると、古代の知恵をそのまま残す日本語の中に、人類の始祖からの言語の形態が、もしかするとまるごと温存され ているのかもしれません。

 さらにいうと文字についても、日本の神代文字は、世界中の古代文字(ヒエログリフ)と共通であったりします。筆者には読め ませんが、神代文字をご専門に研究されている方は、世界中の古代文字で書かれた文がちゃんと解読できるのだとか。

 タイムマシンでもない限り、実際はどうであったのかはわからないことですが、7300年前のアカホヤの大噴火のときに、日 本列島から多くの人々が世界各国へと流れ出したこと、ちょうどそれと時を同じくしてシュメール文明が起こり、またチャイナに おいては長江文明が起きていることなどを考えますと、これまたもしかすると日本は、世界の文明の基礎を築いた国であった、と いえるのかもしれません。

 ちなみに何万年も前や、アカホヤが噴火したときの7300年前のことは、タイムマシンでもない限り、誰も行くことができな いのですから、これらはあくまで考古学的証拠やDNAの解析等から、文化の流れを論理的な整合性があるように推理していくほ かないわけです。従って現時点では「こうなのだ!」と決めつけるのではなく、あくまで仮説として事実に基づいて過去に起きた ことを論理的に考え、再現していくしかないわけです。これはほとんど犯罪の科学捜査に似ていることということもできます。


  
  日本語が世界共通語になれば世界は本当に平和になるのじゃないでしょうか。冗談のような考えですが案外それが真実じゃないでしょうか。


★人でなし

2022年07月25日 | 素晴らしい日本語

  ブログでねずさんが教えてくれた「人でなし」を動画でもアップしてくれています。
  やはり古い日本語が持つ素晴らしい表現力を大事にしたいと改めて思わされます。

  こういう言葉が忘れられているのも悪く考えれば日本を消滅させたい特亜3国などの陰謀かもしれません。

  何と言ってもこの言葉が一番似合うのは日本人の命より外国人を金の為に大事にする政治家達じゃないでしょうか。
  奴等には、自分が「人でなし」という自覚も無いのでしょう。それ程までに日本人は劣化している恐ろしさを思わざるを得ません。


  やはり、日本人は恥を知る心を取り戻すことが必要です。これなくして日本の再生は有り得ない。


★ひふみよいむなや

2022年07月14日 | 素晴らしい日本語

 「ひぶみよいむなやこと」を何時覚えたかなんて記憶もないように自然に覚えさせられたのでしょう。
  その続きがあるのは残念ながら知りませんでした。今の子供達はこれを知っているのでしょうか。
  残念ながら私は教えた記憶はありません。これも放っておくと自然消滅なんてことになるのかもしれません。

  そんなことをねずさんが教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

   ねずさんの学ぼう日本より      2022/07/06

   ひふみよいむな や

  ・・・略

 このように、日本語の47音(50音とも言いますが、わ行が3文字欠けますので実際には47音になります)には、それぞれ に意味があります。
せっかくですので、「と」のあとを記すと次のようになります。
「ひふみよい むなやこともち
 ろらねしき るゆゐつわぬそ
 をたはめく かうおえにさり
 へてのます あせゑほれけ」
これが大祓詞(おほはらいことば)の「ひふみ祝詞(のりと)」で、限りない神の弥栄を言い表したものといわれています。

 ちなみに「も」以下は次のようになります。
「も」 百(も)
「ち」 千(ち)
「ろ」 萬(ろ)よろずとも言います。
「ら」 億(ら)
「ね」 兆(ね)
「し」以下はご興味あったらご自身でお調べいただければと思います。

 要するに、「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・」という数詞は、それがそのまま祓詞(はらいことば)になっていることに加え、すくなく とも1〜10までを知ることで、そのまま日本文化の奥底を知ることになるわけです。
これを物覚えの良い幼いうちに魂に叩き込む。
そのために幼な子に、計算用の「いち、にぃ、さん」とは別に、というより先に、「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・」と教えたのです。

 いちばんたいせつなことは、ほんの身近なところにあります。
これを古い言葉で、
「元々本々(もともとをもととす)」
といいます。

 流行に流され、夢の未来に騙されて現実を失うのは、愚かなことです。

  日本語って本当に奥が深いですね。こうして積み重ねられて来た大切な文化も戦後教育で殆ど失われて来たと考えると恐ろしいものがあります。

  一日も早い教育改革が望まれます。もう余談を許さないところまで追い詰められているのじゃないでしょうか。


★「よろしかったでしょうか」や「させていただく」… 誰かに言われてイラッとする敬語とは?

2022年06月01日 | 素晴らしい日本語

 これ程我が意を得た記事は滅多にない。あの何時のころからか始まった「よろしかったでしょうか」や「させていただく」にイラッとする人は多いんですね。
  「よろしかったでしょうか」を最初に聞いたのはファミレスだったような気がします。「させていただく」は政治家に多いようです。

  どうやらあの嫌な変な挨拶コンスと同じ根っこのようです。これはありそうですね。あの広まりは誰かが教育していると考えるべきでしょう。
  詰まりは、バカな企業が採用して一気に広まったと考えると納得が行くものがあります。
  ところが、その企業が「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達に支配されているなんてことになると態とやっていると考えるべきでしょう。

  何とか、あのおかしな敬語をコンスと共に撲滅したいものです。これも、Koreaとの国交断絶で解決出来るのじゃないでしょうか


★論と書いて「あげつらふ」

2022年05月23日 | 素晴らしい日本語

 この「あげつらう」の話をねずさんが書いてくれたのを読んで、今と全く意味が違うことに驚いたのを覚えています。
  どちらかと言えば、あげあしを取るというような悪い意味に使っていただけにその落差に愕然としました。
  それにしても、日本の文化の根幹と言っても良い言葉がここまで違った意味に使われるようになっていることに何かお起きな意味でもあるのか。それとも、それが自然な変化なのか。何とも納得が行かないものがあります。
  もしかしたらこれもGHQの企みなんてこともあるのでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/05/17     

  論と書いて「あ げつらふ」
  
  ・・・略

 だから十七条憲法は、
「人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし」と書いています。
つい言葉が乱暴になってしまったり、相手への人格攻撃をしてしまうことがある。
あるいは、人格攻撃されてしまうことがある。
人間なんて、ある意味、弱いものだからです。

 だからこそ、
「上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
 事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは
 すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん」
なのです。

 これはとても大事なことです。
けれど残念なことに、戦後の学校では、「十七条憲法には、和をもって貴しとなす」と書かれているとしか教えません。

 日本人が強くなる、かっこよくなるということは、ただいたずらに、仲良くすれば良いということではありません。
ちゃんと議論できるようになる。
そういう日本を復活させること。
それがまさに、日本を取り戻すということなのではないかと思います。



  これも教育が齎した変化でしょうか。何となくそこに嫌な思惑を感じてしまいます。
  やはり、こうした日本の文化の根幹を成す言葉はもっと大事にすべきなのじゃないでしょうか。


★エビデンスという虚構

2022年02月25日 | 素晴らしい日本語

 最初、エビデンスなんて言葉を聞いたのはまだ最近だったと思います。何だろうと思っていたらあっという間に使われだしました。
  証拠という分かり易い言葉があるにも関わらずこんなものを使うのは日本人を騙そうという意図があるのじゃないかと疑っていました。

  ねずさんがそのエビデンスは虚構と喝破してくれています。

    ねずさんの学 ぼう日本より       2022/02/18
 
  エビデンスとい う虚構  

  ・・・略

 歴史はファンタジーとは異なります。
では、ファンタジーと歴史の違いとは何かといえば、そこに論理性、客観性、必然性、蓋然性が認められるかどうかです。

 たとえばコリアの時代劇では、色とりどりのチマチョゴリが登場します。
美しい王朝文化があったのだという幻想に浸りたいのでしょうけれど、残念ながら、その時代に、それだけの染料は、コリアには ありません。
それに、そもそも、それだけカラフルで美しい着物が日常的に用いられていたというのなら、なぜ、服飾に絵柄や刺繍などがない のでしょうか。

 そういう単純素朴な疑問だけで簡単に崩壊してしまうようなものは、歴史とは言いません。
だから、韓流はファンタジーでしかないのです。

 エビデンスというのは、証拠のことであって、どこかの偉い先生の意見のことではありません。
意見と証拠を「エビデンス」というカタカナ用語を用いることで、ごっちゃにすることは、まぜっかえしであって、学問をする態 度とは程遠いものです。



  これも、反日売国左翼・在日共が日本人を誤魔化そうとして使い出したのじゃないでしょうか。
  何かと英語を使いたがるマスメディアですが、これ程素晴らしい日本語があるにも関わらずおかしな英語を使って欲しくないものです。
  
「証拠」という立派な日本語を使いましょう。


★未だ解明されていない「日本語」の秘密

2022年02月16日 | 素晴らしい日本語

 日本語こそ世界共通語にすべきであると何度も書いてきました。最近はねずさんが古代文字についても良く書いてくれています。
  ひらがなとカタカナが漢字からと言う説も否定してくれています。益々日本語の素晴らしさが解明されてくるのじゃないでしょうか。
  やはり、なにがあっても、日本語を世界共通語は当然の成り行きかも。

  そのねずさんが若者で古代文字に興味を持った方達との対談をアップしてくれています。益々、面白くなりそう。
  


  やはり、日本は奇跡の国じゃないでしょうか。その国を何としても取り戻さなければ先人に申し訳ない。


★漢字渡来以前の日本の文字

2022年02月03日 | 素晴らしい日本語

 カタカナもひらがなも漢字から作られたものだと教えられて来ました。ところが、ねずさんがこれに真っ向から異議を唱えてくれています。
  何と日本には漢字の渡来以前に文字が確率されていて、その文字からカタカナが作られたというものです。
  これも最初にねずさんが教えてくれた時には驚いたものです。

  しかし、やはりねずさんの説を信じたい。と言うか、説得力があります。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。  

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/1/24
   
  漢字渡来以前の 日本の文字   

  ・・・略

 日本にも世界にも、人々を支配し、奴隷として収奪しようとする人たちがいます。
そういう支配者の下請けとなることによって、個人的な利得を得ようとする人たちもいます。
そういう人たちにとって、日本人が誇りと自信を持つことは、きわめて不都合なのです。

 私は(私などの一人称はねずブロ全編を通じて滅多に使いませんが)、他人から支配されることが嫌いです。
上司と部下のような関係は、社会秩序の維持という意味で、もちろんその必要は認めますが、それさえも、社会における単なる役 割分担であって、人間としての差異を決めるものではないと考えます。
一寸の虫にも五分の魂です。
まして人間、魂があるのです。

 だから、人は、いかなる場合においても、人として対等です。
その対等な人々が、それぞれのポジションで、それぞれの役割に応じて仕事をするのが社会です。
役職があるから偉いのではない。
むしろ、役職など持たされたら、しんどいの意味で「えらい」。
そういうものだと思っています。
ですから、支配されることには、全力で抵抗します。
これは、子供の頃から、ずっとそうです。性格だから仕方がない(笑)

 間違いなく、日本には、漢字渡来以前から文字がありました。
そしてその文字は、世界最古の体系化された文字であり、現代でも日本人はその文字をカタカナとして日常的に使い続けているの です。
これが論理的な帰結としての、事実です。

 ※記号としての文字らしいものならば、ヨーロッパのラスコーの壁画にも、□やハート型などの記号があり、それらは3万年前の ものであるという説が、カナダ・ビクトリア大学人類学博士課程在学中の研究者のボン・ペッツィンガー,ジェネビーブさんの著 書『最古の文字なのか?氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く』によって提唱されました。
しかし、それらは32の体系化された記号ではなく、ヨーロッパ全体の350カ所以上の洞窟にある記号を合計すると32種類に なる、というものです。体系化された文字としては、7千年前のシュメール文字が最初となります。
これに対し、我が国の神代文字は1万5千年前のものが現存しており、しかもその文字は体系化されています。
その意味で、我が国の神代文字を「世界最古の文字」と書いています。



  アフリカで生まれた人類が世界に散らばり、日本という環境で文化を育て、それが、今度は世界に広まったのが本当なのかもしれません。
  その流れをもう一度始めるのが日本が素晴らしい国を作り上げてきた意味なのかも。
  そう考えると、益々、日本に生まれたことの幸運を感謝せずにはいられません。


★堀秀政と結びの 精神

2022年01月29日 | 素晴らしい日本語

 この話も何度読んでも今の日本との違いに驚かされます。そんな文化を作り上げてきた先人の素晴らしさに感動させられます。
  その中でもブリーダーの話しには驚くしかない。気の荒い犬でさえ日本語で育つと性格が変わるというのは凄いですね。
  詰まりは、日本人はそういう文化を作り上げてきたということです。

  こうなると、やはり、日本語を世界共通語にすべきだと考えてしまいます。それで、紛争が減ればこんな素晴らしいことはないでしょう。
  そんな日を迎える為にも日本語をもっと大切にしたいものです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/1/20
   
  堀秀政と結びの 精神

  ・・・略

 だいぶ以前になりますが、ホワイトシェパードのブリーダーをやっている人のことを、このブログでご紹介したことがありま す。
アメリカで生まれ育ったホワイトシェパードは、とても気が荒い。
ところがその子を日本に連れて来ると、しばらくすると、飼い主の言うことをちゃんと聞き、他の犬たちにも思いやりをもって接 する子に変わっていくのだそうです。

 これは、俺の指示や命令によって相手を屈服させていうことをきかせるというSVO型の文化環境ではなく、日本がSOV型だか らということだけでは説明がつきません。
むしろ、飼い主(ブリーダーさん)が、自分のことよりもホワイトシェパードのことをたいせつに思う、共存共栄の意思が根っこ にあり、その意思のもとで「OV」という命令がくだされていることを、ホワイトシェパードが敏感に感じ取っているということ なのではないかと思います。

 このような日本文化は、はるか1万7千年という途方もなく古くて長い縄文以来の日本社会の中で自然と形成されてきたもので す。
そして上の図の緑の点が示すように、そうした文化は、実は過去において世界に普及し、ある程度世界中に思いやりややさしさを たいせつにする文化が広がったことがあるのではないかとも思います。

 けれどそれが対立し屈服させ、奪う文化によって大きく変形してしまった。
それがいまの世界なのかもしれません。
こうした対立の文化のことを、別な言葉で「分離主義」と言います。
これに相対するのが「統合主義」です。
古い言葉ですと、これを「結(ゆ)い」とか「結(むすび)」です。

 日本人が日本人としての自覚に目覚めることは、そうした分離主義に染まった現状から脱皮して、共存共栄の結びの精神を取り戻 していくことなのではないかと思います。



  折角、先人が作り上げてきてくれた素晴らしい文化を何としても取り戻したいものです。
  その為にも、やはり「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」です。


★一隅を照らす

2022年01月26日 | 素晴らしい日本語

 出世にも金儲けにも縁が無かっただけに、ねずさん達に出会って日本の素晴らしさを知り何か公の為に出来ることは無いかと考えても何分元になる金に縁がないのでどうにもならないもどかしさと悔しさがあります。

  その意味では、今回の一隅を照らすは有難い考えです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/1/18

  一隅を照らす

  ・・・略

 「一隅を照らす」という言葉があります。

 伝教大師が桓武天皇に宛てて記した「山家学生式(さんげがくしょうしき)」にある言葉で、そこには

「径寸十枚、是れ国宝にあらず。
 一隅を照らす、
 是れ即ち国宝なり」

と書かれています。
意味は、
 直径3センチもある宝石十個(金銀財宝)が国の宝なのではない。
 世の中の一隅で暮らす人々が、その場所で精一杯努力して光りを放つこと。
 それこそが国の宝である。
といった意味になります。

よく講義などで、
「ねずさんの話を聞いて感動したけれど、
 自分でどうしたら良いのか、
 何をしたら良いのかわからない」
といったご質問をいただきます。

 答えは、「一隅を照らす」です。

 何か大きなことをするとか、世直しをするとか、そんな大きなことではないのです。
それはあくまで結果であって、我々が日々すべきことは、その日その日に自分なりにできる一隅を照らすことです。

 人間誰しも、すごい人なんて思っていません。
いわゆる成功した人であっても、本人は迷いや悩みや試練の連続であって、そのなかで毎日、四苦八苦して日々を送っているもの です。
それがたまたま、結果だけ見れば、経済的成功であったり、名声であったりするけれど、世の中は上を見ればきりがないのです。 どんな人でも、いま自分がいる位置から、まだまだこれから、今日もこれから、と思っているものです。・・・中略

 

 気の短い方は、「そんなに待っていられねえよ。いますぐ動くんだよ」とおっしゃいます。
「立ち上がれ!」とおっしゃいます。
けれど、どんなに正しい決断であっても、衆愚であっては、ろくな結果にならないことは歴史が証明しています。

 代表例がフランス革命です。
世界は、民衆制→寡頭制→独裁制→民衆制と、歴史を繰り返してきました。
しかし結果は、常に欲の奪い合い、殺し合いにしかなりませんでした。

 いまも、同じ歴史が繰り返されています。

 根本がずれているのです。
そこに「世の中の一隅で暮らす人々が、その場所で精一杯努力して光りを放つことが国の宝なのだ」という概念がないのです。

 子や孫のために、より良い世界を築きたい。
ならば、いま必要なことは、一隅を照らすこと。
そんな仲間を増やしていくこと。
それ以外にありません。



  これも、身の程を知る・足るを知るにも通じるものがありそうです。人間上を見れば限りが無い。
  それにしても、日本語には良い言葉が多いですね。


★現代の国語教育を改革しよう

2021年10月11日 | 素晴らしい日本語

 何時もお世話になっているねずさんや宮崎さんの話題には教養の無い為に読めない文字がかなりあります。
  ネットのお陰で辞書で直ぐに調べることが出来ますが、やはり辞書にお世話にならなくても読める教養を身につけておきたかったおもいはあります。

  それも戦後教育の所為であることは間違いないでしょう。文字どころか日本の歴史さえ教えない教育を未だに続けている教育に携わる人達には何の罪の意識もないようです。と言うか、もしかしたら自分達が何をやっているかの意識もないのかも。
  つまりは、そこまで洗脳されている可能性もあるということです。何とも恐ろしい。

  そんな教育の劣化をねずさんが警告してくれています。やはり、日本人が古典を読めなくなったことをもっと真剣に考えるべきですね。

  ねずさんの学ぼう日本より     2021/10/04

   天にぎし国にぎ し建国(けんこく)と肇国(ちょうこく)  
  
  ・・・略

 つまり我が国は、西欧や東亜の諸国のように、誰かひとりの大王によって立国されたのではなく、はるかずっと古い昔に、天照 大御神の御神勅に基づいて国が治(しら)しめられ、天孫降臨から歴代天皇へと続く古い昔からの人々の努力の積み重ね、さまざ まな苦難を乗り越えてきた祖先たちのはたらきによって、我が国が肇(はじ)められたのだ、という理解のもとに教育勅語はある わけです。

 「建国」と「肇国」と「天にぎし国にぎし」。
それぞれの言葉には、それぞれに深い意味があります。
こうして私たちの先輩たちは、言葉をとても大切にしてきたのです。

 日本語を話す日本人であれば、日本語で思考し、日本語で対話します。
つまり思考は日本語によって行われるわけです。
そうであれば、日本語を正確に、またちゃんとした意味を共通の定義としていくことは、対話を成立させ、コミュニケーションを 行ない、あるいは論考をするに際して、とても大切なことです。
そのためにあるのが国語教育です。

 しかし現代の国語教育は、果たしてそうした日本語の奥行きの深さや、日本的精神性をしっかりと教育するものになっているとい えるのでしょうか。
もしなっていないとするならば、それは現代日本が抱える重要な問題のひとつであり、改善をはかるべき課題です。
そういう議論がちゃんとできる国政になっていくことが、国の未来を拓くのだと思います。



  世界共通語に最適な日本語がこうやってどんどん劣化される前に何とか取り戻したいものです。
  その危機感が政府・文科省に全く無いようなのが気になります。


★言葉の壁

2021年10月05日 | 素晴らしい日本語

  自虐史観に犯されていたので日本の歴史がこんなに素晴らしいものだと知ったのは人生の終わりに近いという情けない身でしたが、ネットでのねずさん達の教えに気がついたことで目覚めたことを何度も書いてきました。

  日本語の素晴らしさも同じです。それにしても、日本語がこれ程までに素晴らしいものだとは想像したこともなかったのが余りにも情けない。
  その素晴らしさを知るにつれて日本語こそが世界共通語になるべきとの思いを強くしています。それだけに、昨今の日本語の劣化には危機感を覚えざるを得ません。
  その救世主ことAIによる翻訳機かもと密かに期待しています。

 その言葉の壁をねずさんが書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。 

  ねずさんの学ぼう日本より     2021/09/26

  言 葉の壁  

  ・・・略

 そこで日本が何をもって権威を確立しようとしたのかというと、それが「古いこと」です。
きわめてシンプルに、古いものに権威があるとしたのです。

 ご先祖をずっとさかのぼっていくと、それはすべての民衆が、どこかでみんな血が繋がります。
そうしてたどった、本家の中の総本家を、我が国は最高権威としたのです。
それが天皇(すめらみこと)であり、権威という言葉の代わりに用いられたのが神という用語であったわけです。

 ですから、天皇を「日本のオーソリティ(権威)だ」と英語で説明すると、これまた要らぬ誤解を与えます。
なぜなら、英語圏におけるオーソリティは、所有者を意味するからです。
また、天皇を「日本の神(GOD)だ」と英語で説明することも、やはり誤解を生みます。
西洋圏におけるGODは、人類とは異なる存在だからです。

 言葉は文化によって形成されます。
従って、それぞれの国の文化を、異なる言語に翻訳する時は、その語彙をしっかりとわきまえて説明する必要があります。
そうでなければ、とりかえしのつかない誤解を生むことになるからです。

 これから、AIによる自動翻訳の時代が始まろうとしています。
そうなる前にいま、私たち日本人が、しっかりとした日本語感覚や、歴史観を取り戻していかないと、なまじ日本が世界で最も古 い歴史を持つ国だけに、要らぬ紛争の種を世界にばらまくことになりかねません。
学会が、偏った考えに凝り固まっている間にも、時代はどんどん先へと進んでいるのです。
日本はいま、目覚めのときを迎えたのです。


  
  やはり言葉は大事です。何とか日本人がそれに気が付き劣化を止めてより良い言葉に作り上げることが急がれます。