団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★武田勝頼の妻

2022年04月12日 | 日本の女性

 武田勝頼と言えば偉大な父信玄の築いた甲斐の国を滅ぼされた愚将として知られています。どちらかと言えば哀れな人と受け止めてきました。

  ところが、ねずさんがその妻を何度も取り上げてくれその最後を知れば、案外ご本人は幸せだったのじゃないでしょうか。
  今の時代、妻にここまで従われる男がどれ程いるでしょうか。歳の所為もあるでしょうが、最後まで妻にここまで思われて死ぬなんて殆ど無いのじゃないでしょうか。
  何といっても、日本の女性もご多分に漏れず戦後の劣化は強烈ですから。あの反日売国左翼・在日野党の議員さん達がそれを証明てくれています。

  と言うことで、何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/04/05

  武田勝頼の妻

  ・・・略

 歌にある「玉の緒」というのは、魂の緒のことです。魂は紐で肉体とつながっていると考えられていましたから、玉の緒が離れ ることは、死を意味します。露と消える玉の緒であっても、ひとつの思いは消えることはない。その消えない思いというのが、
「夫である勝頼と今生では乱れた黒髪のような乱世を生きることに成ってしまったけれど、きっと来世には平和な時代に生まれ て、一緒に仲良く、長く一緒に暮らしましょうね」という句になっています。
 そして「黒髪の乱れる」は、和泉式部の歌から本歌取りです。

 黒髪の 乱れもしらず うち臥せば
 まづかきやりし 人ぞ恋しき

失っても失っても、それでも一途に愛する想いを大切にするところで使われる語です。
「玉の緒」は式子内親王の歌から本歌取りしています。たとえ露と消えて死んでしまっても、大切なものを護り通して行きたいと いう想いがこめられた語です。

 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
 忍ぶることの 弱りもぞする

たとえ露と消えて死んでしまっても、大切なものを護り通していきたいという想いが込められた句です。

 この時、勝頼の妻、わずか十九歳です。
 今から四百年も昔の戦国時代。現代日本人の感覚としては、戦国時代というのは、有史以来最も国が荒れた時代とされますが、 そんな時代にあってなお、若い女性がこれだけ高い教養を持ち、そして男も女も純粋に必死で生きていたのです。・・・以下略



  ねずさんはこの話が余程お好きなようで、登場回数も上位になるのじゃないでしょうか。
  男たるもの最後まで妻に慕われて死にたいものですね。


★日本の歴史にモ ブキャラなんてひとりもいない

2022年03月05日 | 日本の女性

 日本の女性が如何に平等に扱われてきたかは驚くべきものがあります。とは言え、世界で女性が酷い扱いを受けてきたのも驚きます。
  最初から平等な扱いこそが当たり前なのじゃないでしょうか。これも、男が力が強いから必然的にそうなったのでしょうか。

  その点、日本は当然の成り立ちとして女性を平等に扱ってきたのかもしれません。日本の男は女性は弱いから護る。世界は弱いから自由に扱うということかもしれません。
  やはり、日本は素晴らしい。

  ねずさんがそんな日本の素晴らしさを万葉集を例にとって書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/02/26
 
  日本の歴史にモ ブキャラなんてひとりもいない
  
  ・・・略 
 
 そうではないのです。
一介の、自分の情婦でもなんでもない神官の女性が、わざわざ歌を書いてくれたということで、長官は、わざわざ馬を停めて、そ れへのお返しの歌を詠んでいるのです。
どんな人にも公平に、対等に接するという大伴旅人長官の、それが姿勢なのです。

 そして「どんな人にも公平に、対等に接する」ということは、防人である兵たちにたいしても、そのひとりひとりの命を、たいせ つに思ってくれている長官であるということです。
そんな長官だから、防人たちも、一緒に都までお供をする兵たちも、
「このひとのためなら」
と命をかける気になれるのです。

 そして今回ご紹介した6首の歌は、いずれもが、一介の、ごく普通の、平凡な人々が、それぞれにモブキャラなどでは決してなく て、それぞれが自分の人生を立派に主役として生きた人物であるということを、万葉集は高らかに主張しています。

 日本の歴史に、モブキャラなんてひとりもいない。
それが日本の歴史の根幹です。


  この日本の男女平等精神に文句を付ける反日売国左翼・在日共は何を見ているのでしょうか。
  この日本の素晴らしさこそ世界に広めるべきでしょう。


★右大将道綱母

2022年02月08日 | 日本の女性

 日本程、古代から女性が重んじられた国は無いのじゃないでしょうか。その集大成が平安時代の女性の活躍でしょう。
  特に小説や日記など文学の素晴らしさは世界に比肩する国は無いようです。

  今日、ねずさんが取り上げてくれている右大将道綱母もそうした代表的な人です。教養を磨きながらも立派な子育てもされています。
  現代は、男もだらしなくなりましたが、女性も同じようなものでしょう。我が、先人は余りにも凄過ぎた。というより、戦後の日本人の劣化が世界最速だったのかも。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/1/30
   
  右大将道綱母       

  ・・・略

 彼女は、生まれた子をたいへんに可愛がったのでしょう。
成人したときの彼は、すこしおっとりとした性格の子に育ったようです。
そんな我が子に、父の兼家は宮中において、意図して出世を遅らせました。

 これは、ある意味、やむをえない措置です。
異母兄弟の長男の道長は、嫡子ですから、当然、みるみるうちに出世させて高い地位に就けます。
しかし、異母兄弟の次男まで同じように出世させたら、宮中を私物化していると、余計な詮索をされることになります。
ですから、道綱は、下級役人、しかも今風に言ったら、軍隊に入れています。

 軍というところは、男たちの殿堂です。
気の荒い男もいます。
ですから道綱は、兵たちに侮られないようにと弓を猛特訓しました。
そしてついには、当第一の弓の名手とまで呼ばれるようになるのです。
そして人柄の優れた道綱のもとには、道綱のためなら死んでも良いとまで言ってくれる部下たちが集いました。
だから寛和の変(986年)が起きた時、彼はいちはやく兵をまとめて、父の危機を救っています。

 そうなると、兼家からすれば、道綱は「俺の命を救ってくれた男だ」ということになります。
彼を出世させ、重用しても、どこからも苦情は来なくなる。
こうして道綱は、いっきに従三位に昇進、頭角を現し、大納言に至り、兄の道長を助けて、藤原氏の栄光の時代を築いていきま す。

 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は
 いかに久しきものとかは知る

 この歌は、ただやみくもに、寂しいと泣いている女性の姿の歌ではありません。
強い信念をもって、女の戦いを立派に果たして行った、一人の美しい乙女の、心のつよさを詠んだ歌です。



  やはり、日本は女性・母の強さが発揮されるべき国でしょう。母が子を育てる。
  日本の女性が目を覚ました時こそ日本の再生も成る。


★語愛と青春の旅だち 松崎慊堂物

2022年01月31日 | 日本の女性

 この話も何度読んでも感動させられます。人の情の素晴らしさもありますが、江戸時代の女性が如何に大事に扱われていたかに驚きます。
  こうした物語こそ日本だけでなく世界に広めるべきでしょう。国連のバカ共も日本に対して男女同権がどうのと恥ずかしくて言えなくなるでしょう。

  反日売国左翼・在日共もこういう話を子供の時に教えられていたらもう少し増しな人になっていたかも。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/1/21
   
  愛と青春の旅だ ち 松崎慊堂物

  ・・・略

 当時の売春婦というのは、十七歳から二十二歳くらいまでしか働かせてもらえません。
それ以降は、それまでに貯めたお金で、自分で小さなお店を開いたりしました。
売春婦たちには、それくらいの稼ぎと経済的余裕が、実はあったのです

 幼い頃から雇い入れ、申し訳ないけれど商売に使わせていただく。
その代わりに、彼女たちが一生食うに困らないだけの貯えと、教養と技能を、しっかりと身につけさせようというのが日本 の風俗の伝統です。

 商売以上に、人を大事にする。
それが、私たちの日本であり、それができたのは、権力者の上位に、天皇というありがたい存在がいるため、権力者 は天皇の民である私たち民衆を私物化することができないという国のカタチ(構造)があるからにほかありません。

 松五郎は後に松崎慊堂と改名し、日本を代表する学者になりました。
そしておすみは、冒頭にお話しした渡辺崋山や、高野長英など、江戸後期の名だたる論客や学者たちから、母のように慕われ ながらこの世を去りました。

 職業に貴賤はありません。
そして職業や身分よりも、その人物が、人として尊敬できるかどうかや、人としての矜持(きょうじ)を失わずに生きて いるかどうか、そういうことを大切にしてきたのが日本人です。
それは、ひとりひとりの人間を公民(皇民)として扱うという日本古来の伝統・考え方から生まれ育まれた、日本人の美質です。



  それにしても、我が先人の素晴らしさには驚きと感動しかありません。ここまで劣化した日本人を再生するのは不可能かも。


★★千年以上もの昔に、世界初となる究極の民主主義国家を手に入れていた

2021年12月30日 | 日本の女性

 戦後の教育で、戦争に破れたことで民主主義という有難い制度を得ることが出来たという自虐史観に犯されていました。
  お恥ずかしいことにそれが間違っていることに気が付いたのは、やはりネットでねずさんに教えられてからです。
  きっと、未だに同じように洗脳されている日本人はまだまだ多いのじゃないでしょうか。
  千年以上もの昔、日本は今の民主主義以上の究極のものを手に入れていたことを国民が知り、世界にも拡散できた時に日本の再生はなるのじゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より     2021/12/22

  女流歌人・伊勢 の和歌と生涯   

  ・・・略

 伊勢はもともとは、関白藤原基経、左大臣仲平らといった政治権力の中枢にいた女性です。
けれど仲平との別れを経て、祈りの世界の住人である宇多天皇やその子の敦慶親王と結ばれて子をなしているからです。
このことは伊勢が、「権力の世界」から「祈りの世界」へと、生きる世界を昇華させていったことを示しています。

 そしてその伊勢の心の成長を、百人一首の選者の藤原定家は、国家統治を権力ではなく、祈りの世界において神々と接触される天 皇をこそ国家の頂点とあおぐ形(これを古語でシラス(知らす、Shirasu)と言います)へと昇華させ、完成させていった 日本の統治の形に重ねたのではないでしょうか。

 いまも天皇は国民の安寧を日々祈られる祈りの御存在です。
そして天皇によるシラス統治は、その祈りのもとに、すべての民衆が「おほみたから」とされる国の形です。
こうすることで我が国の民衆は、なんと千年以上もの昔に、世界初となる究極の民主主義国家を手に入れていたのです。
伊勢の和歌は、そのひとつの象徴です。
また伊勢の歌は、平安前中期における、女性の勁(つよ)さを象徴した歌でもあるのです。



  女性がここまで尊重されてきた国の素晴らしさを日本人が認識し、世界に広めましょう。


★たったひとりで政府高官に挑んだ女性

2021年09月22日 | 日本の女性

 天照大神が女性であることの凄さを世界に広めたいものです。あの反日売国左翼・在日に騙されて日本にいちゃもんを付けてくる国連をぎゃふんと言わせたいものです。

  ねずさんが教えてくれる平安時代の女性の凄さには驚かされるばかりです。この話も何度読んでも日本の女性の強さに感動します。

  今、高市さんが立ち上がったのもいよいよ日本再生が動き出す兆しかもしれません。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より     2021/09/15

  たったひとりで 政府高官に挑んだ女性 

  ・・・略

  そしてこ2のことが意味することは重大です。
もしも、崇徳上皇と後白河天皇のご兄弟が手を結べば、500年続いた藤原氏の栄華は、そこで終わりになる可能性があるからで す。

 間の悪いことに、我が国では天皇には政治権力は認められていませんが、天皇を退位して上皇になれば、上皇は藤原忠通、つまり 摂政関白太政大臣よりも政治的に上位の権力者となります。
つまり崇徳上皇が、事実上の国家最高権力者となるのです。
その国家最高の政治権力と、国家の柱であり中心核でもある国家最高権威としての天皇が、ご兄弟で手を結べば、藤原の一族は、 代々続いた藤原の一族の栄華を失う。

 藤原忠通の、そういう心配がわかるから、崇徳上皇は、意図して政治に関与しないで、日々歌会などを催していましたし、忠道の 娘である上皇后の皇嘉門院を崇徳上皇はとても愛していらされたのです。
つまり、できるだけ事を荒立てないように、日々、配慮していたのです。

 けれど、そうして崇徳上皇が政治に無関心を装えば装うほど、忠道には、それが裏で何かを画策しているかのように見えてしま う。
人間、ひとたび疑心暗鬼の虫が宿ると、そこから逃れられなくなるのです。

 そしてついに藤原忠通は、後白河天皇の宣旨を得て、平清盛らに命じて、「崇徳上皇に謀叛の兆しあり」という、あらぬ疑いを でっちあげて、武力を用いて崇徳上皇を逮捕し、讃岐に流罪にするという暴挙に出ます。
これが保元の乱(1156年)です。
こうして崇徳上皇は崇徳院となって讃岐に流されました。
上皇后の聖子様は皇嘉門院と名乗って都に残られたのです。・・・中略

 つまりこの歌は、単に皇嘉門院別当一人にとどまらず、崇徳天皇の妻である皇嘉門院の戦いの歌でもあるのです。
そういう戦いを、この時代の女性たちはしていたのです。

 なみいる群臣百卿を前に、堂々と、たったひとりで女性が戦いを挑む。
挑まれた側の公家たちは、ひとことも返せずに、ただうつむくばかりとなる。

 「日本の女性は差別されていた」が聞いてあきれます。
日本の女性は、堂々と男たちと対等な存在として、立派に生きていたのです。

 男女は対等。
それが日本の文化です。


  それにしても、女性の強さはイザと言う時に日本を救ってくれるのじゃないでしょうか。
  肝っ玉の太さは女性のものでしょう。男は手のひらの上で踊るだけ。


★武田勝頼の妻

2021年07月28日 | 日本の女性

 この勝頼の妻も始めてねずさんに教えて貰いましたが、その若さと教養に唖然とさせられました。
  この歳まで、如何に勉強してこなかったかを思い知らされました。それにしても、昔の日本人の素晴らしさは想像を絶するものがあります。
  これが、歴史では散々バカにされている武田勝頼の妻ということは、勝頼の教養もそれに劣らないものがあったのじゃないでしょうか。

  やはり、教養というのは大切なものです。こういうのを知ると、自分がどんなに情けない人生を送ってきたかと反省するしかない。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう 日本より     2021/07/21

  武田勝頼 の妻  

  ・・・略


 死ねば魂が肉体から離れ去ります。だからこれを「逝去(せいきょ)」といいます。「逝」という字は、折れて進む(辶)です。つくりの「折」はバラバラになることを意味します。肉体と魂がバラバラに離れるから「逝」です。そして魂が去っていくから「逝去」です。魂が行く世界は、時間に縛られた低次元の世界から、時空を超越した高次元の神々の世界まで様々です。ですから位の高い神様は、上古の昔も、今も、未来にも存在します。勝頼の妻の辞世の歌は、そういう理解の上に成り立っています。

 歌にある「玉の緒」というのは、魂の緒のことです。魂は紐で肉体とつながっていると考えられていましたから、玉の緒が離れることは、死を意味します。露と消える玉の緒であっても、ひとつの思いは消えることはない。その消えない思いというのが、夫である勝頼と、今生では乱れた黒髪のような乱世を生きることに成ってしまったけれど、きっと来世には平和な時代に生まれて、一緒に仲良く、長く一緒に暮らしましょうね、というのが、この歌の意味です。
 そして「黒髪の乱れる」は、和泉式部の歌から本歌取り。失っても失っても、それでも一途に愛する想いを大切にするところで使われる語です。
 「玉の緒」は式子内親王の歌から本歌取りしています。たとえ露と消えて死んでしまっても、大切なものを護り通して行きたいという想いが込められた語です。

 このとき勝頼の妻、わずか19歳です。
 いまから400年も昔の戦国時代。現代日本人の感覚としては、戦国時代というのは、有史以来最も国が荒れた時代です。けれどそんな時代にあってなお、若い女性がこれだけ高い教養を持ち、そして男も女も純粋に、必死で生きていたのです。そうすることができたのが日本の国柄です。

【出典】『女子鑑(じょしかがみ)』大阪府学務部・昭和13年刊



  日本を取り戻すや再生が必要と思いますが、並大抵のことでは適わないようです。それ程に、先人は凄かった。


★西洋における女性観、日本における女性観

2020年12月08日 | 日本の女性

 稼いだ金は奥さんに渡すことに何の疑いも持たず、結婚しても当然のごとく渡したものです。ところがこれが世界では珍しいということを知ったのもネットでのことです。
  やはりねずさんだったのかも知れません。サラリーマン時代に給料は自分が管理して奥さんには必要経費を渡すという人も二人くらいしかしりません。
  その話を聞いたとき、良くそんな面倒臭いことをするものだと感心したものです。何と言っても、給料を渡せば全部取り仕切ってくれるのですからこちらは楽なものです。全盛力を仕事に撃ち込める有難さを実感したものです。
  世界の男達はそんな面倒なことをやっているから仕事が中途半端なのじゃないでしょうか。

  今日のねずさんはそんな世界と日本の女性観の違いを書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/12/1

  西洋における 女性観、日本における女性観

  ・・・略


  なるほど江戸時代でも「男女七歳にして席を同じうすべからず」と言われましたが、これは間違いが起こらないようにという大人の配慮を意味するものでしかありません。
むしろ、江戸時代までの一般的な慣習として、旦那の給料は、その家に支給されるものというのが、日本の大昔からの考え方です。
そして夫の小遣いを含めて、家内の一切のやりくりや面倒を見るのは、女性である妻の役割とされてきました。

 その意味では、旦那の俸禄は、お殿様からいただいているというより、現実的には妻からもらっているようなものであり、何事も家族で責任を持って行うというのが、日本における普通の常識であったということができます。

 おそらくですが、たとえば世界の企業における給料の支払いや、銀行口座の管理の一切が、その家の妻の役割ということが世界の常識となったら、世界から戦争の多くは無くなるし、今般のアメリカ大統領選挙のような不正もなくなるのではないかとさえ思います。

 


歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《西洋における女性観、日本における女性観》です。 ギリシャ神話は女性を 「美しくて歌や音楽が上手で賢(かしこ)いけれど、 狡(ずる)くて、好奇心旺盛であり、 男を苦悩させ、恥知らず...

小名木善行さ んの投稿 2020 年11月30日月曜日

  日本の凄さはこんなところにもあるのでしょうか。それにしても、収入を自分で管理するなんて面倒なことをしないで良い国に産まれて良かったとつくづく思います。


★男女は対 等・・・たったひとりで政府高官に挑んだ女性

2020年09月26日 | 日本の女性

 偶然でしょうか、今日、第7664回の「★孤立無援で始めた『ビハインド・ザ・コーヴ』」で、取り上げた八木監督はたったひとりで世界と戦ってくれています。

  ねずさんが百人一首で何度も取り上げてくれている政府高官とたったひとりで戦ってくれた女性を書いてくれています。これも何度読んでも、日本はやはり女性で持っていると思わされます。

  女一人と言えば、2018年10月24日、第594回の「★女一人で日教組に勝った中曽さん川西市議に当選」でも取り上げた中曽さんを思いだします。やはり、日本は女性のものです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。


  ねずさんの学ぼう日本より   2020/9 /18

  男女は対 等・・・たったひとりで政府高官に挑んだ女性

  ・・・略

   それがわかるから、崇徳上皇は、意図して政治に関与しないようにしていたし、毎日を歌会などをして、すごしておいででした。
しかし人間というのは、ひとたび疑心暗鬼に陥ると、そうした意図して政治に無関心でおいでになる崇徳上皇が、裏で何かを画策して いるかのように見えるようになってしまう。
自分が悪いことをする人というのは、自分もされるのではないかと不安でたまらなくなるのです。

 疑心暗鬼に陥った藤原忠通は、後白河天皇の宣旨を得て、平清盛らに命じて、崇徳上皇に謀叛の兆しありという、あらぬ疑いをかけ、 武力を用いて崇徳上皇を逮捕し、讃岐に流罪にしてしまいます。
これが保元の乱(1156年)です。
こうして崇徳上皇は崇徳院となって讃岐に流され、皇后の聖子様は皇嘉門院と名乗って都に残りました。・・・中略


 そんな折に、右大臣の私邸で歌会が催され、聖子様が皇后時代から、ずっと付き従い、聖子様が剃髪して皇嘉門院となられてから も、ずっと付き従っている元皇后陛下付きの女官長であり、いまは皇嘉門院様の別当となっている女性が歌会に招かれたのです。

 そして彼女は持参した歌を披露しました。
歌は、意訳すると次のような意味になります。

「難波の港に住む遊女であっても、
 短い一夜限りの逢瀬でも
 一生忘れられない恋をすることがあると聞き及びます。
 しかし朝廷の高官というのは、
 一夜どころか、
 神代の昔から天皇を中心とし、
 民を思って先祖代々すごしてきました。
 けれど、
 そのありがたさを、その御恩を、
 たった一夜の『保元の乱』によって、
 あなた方は、すべてお忘れになってしまわれたのでしょうか。
 父祖の築いた平和と繁栄のために、
 危険を顧みず身を尽くしてでも平和を守ることが、
 公の立場にいる、あなた方の役割なのではありませんか」・・・中略

 つまりこの歌は、単に皇嘉門院別当一人にとどまらず、崇徳天皇の妻である皇嘉門院の戦いの歌でもあるのです。
そこまでの戦いを、この時代の女性たちはしていました。

 いかがでしょう。
なみいる群臣百卿を前に、堂々と、たったひとりで女性が戦いを挑む。
挑まれた側の公家たちは、ひとことも返せずに、ただうつむくばかりとなる。

 「日本の女性は差別されていた」が聞いてあきれます。
日本の女性は、堂々と男たちと対等な存在として、立派に生きていたのです。

 男女は対等。
それが日本の文化です。

 


  日本は、もしかしたら初めての女性総理が出るまでは再生は無理なのかも。何と言っても、肝っ玉の小さい男に比べて日本女性は腹が据わっています。さて、その女性総理は誰でしょうか。


★報恩感謝の心と奥村五百子

2020年07月14日 | 日本の女性

 戦後のGHQと戦後利得者の企みで劣化してしまった日本人ですが、政・官・財・マスメディア等のお偉いさんのそれに匹敵するかそれ以上に劣化したのが日本の女性と言えば顰蹙を買いそうですが、悪賢い奴等は日本の女性の素晴らしさを知って、ここを落とせば日本は消滅するだろうと理解して、焦点を合わせたのかもしれません。

  ねずさんが日本の偉人を育てた素晴らしい母親などを何度も取上げてくれていますが、今回の奥村さんは初めてじゃないでしょうか。

  何とも、凄い女性です。この真似を出来るのは男でも殆ど居ないでしょう。やはり、日本は女性が支えて来たのは間違いないでしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより     2020/7/6

  報恩感謝の心 と奥村五百子

  ・・・略

 奥村女史が愛国婦人会のために尽くした辛労(しんろう)は、まことに涙ぐましいものでした。
その一例を申し上げますと、明治35年4月13日の愛国婦人会京都支部設立遊説のとき、奥村女史は激しい胃腸病に罹(かか)って いて、二週間以上も食事をしなかったほどだったので、医者が遊説の中止を勧めたのです。

  女史は、薬をたくさん持って新橋から汽車に乗り込みました。
ところが乗り込むやいなや、激しい嘔吐を催し、周囲の人たちは女史にこの旅行の断念を勧めたのですが、女史はただ「ありがとう、 ありがとう」と繰り返し、
「最初の遊説に自分の健康などにかかわってはいられません。
 悪くなった国家のため、会のために死ぬばかりです」
と言って、無理に出発してしまいました。・・・以下略



  やはり、日本は女性の復活こそが必要です。女性が家庭の実権を握り、男を手の平の上で操り、立派な仕事をさせる文化を取り戻しましょう。 


★桂太郎の母と武家の女性たち

2020年07月11日 | 日本の女性

 日本の女性の凄さは子育てに代表されるのじゃないでしょうか。偉人の陰には必ずと言って良い程に素晴らしい母親の子育ての話があります。日本は女性によって造られて来たと言っても言い過ぎではないでしょう。
  最近では、ねずさんが今の日本を築き上げたのも女性天皇だったと書いてくれています。やはり、日本は女性が力を発揮しなければならないのかも。
  そう考えると、戦後教育による劣化が一番酷いのが女性と思われるだけに心配でもあります。

  この話もねずさんが何度か取上げてくれていますが、ここまで凄い母親も珍しいのじゃないでしょうか。だからこそ桂太郎が育ったのでしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより     2020/7/3

  桂太郎の母と 武家の女性たち

  ・・・略

  それと加えて申し上げたいことがあります。
昔の日本人が立派だったということに、もうひとつ、母が立派だった、ということがあります。
とりわけ武家の母の立派さは、おそらく人類の模範ともいえるものであったろうと思えるほどです。

 なぜそれだけ女性たちが妻として、また母として立派だったのかということの背景には、もちろん女子教育といったこともあったろう けれど、それに加えてもうひとつ、当時の社会においては、俸禄が家に支給されるものであり、その管理のすべてが、母が行うものと されていたという点があげられます。

 家の名誉を上げるのは夫の役割です。
男は武功をあげ、戦で敵の大将首をあげて立身出世を図るものです。
けれどその家を守るのは、妻の役割です。

 ですから男性が結婚する女性というのは、しっかりと家を守り、家事一切のみならず家の財産をすべて任せ、委ねることができる女性 であらなければならないとされてきたのが、実は昔の日本です。
社会がそのような構造ですから、武家の女房殿たちは、しっかりと家計を切り盛りし、また子育てにおいても家の財を損ねないだけの しっかりした子を育てることを、いわば常識としてきたのです。・・・以下略



  男の劣化も酷いがそれに輪を懸けて劣化していると思える女性が目立つだけに、日本の再生は本当に出来るのだろうかと心配になりますが、教育が変われば女性も変るはずです。日本の女性にはそれだけの力があるはずです。
  何と言っても、天照大神の国なのですから。


★給料が家に支払われていた日本のシステム

2020年06月14日 | 日本の女性

 子供の頃から亭主は給料を奥さんに給料袋ごと渡すものだと信じ込んで育ったもので、結婚しても何の疑問も持たずに手渡したものです。

  ネットの世界で、初めて世界は亭主が給料を全部持って、奥さんに入用分だけ手渡すというのを知り驚いたものです。

  それにしても、家計を全部任せることの気楽さを知らないのでしょうか。それとも女性を信頼していないのでしょうか。やはり、日本の常識は世界の非常識なのでしょうか。

  この部屋でも、3月30日、第2112回の「★★財布の紐を握っている凄さ」などでも取上げてきたものです。

  とは言え、それが当然だと思っていたので、何故そうなんだろうとの疑問を持ちながらも調べる気もありませんでした。

  ところが、何と、ねずさんがその疑問に答えてくれました。何とも、想定外の理由でした。まさか、給料は家に支払われるものだったとは。ここに、日本の家族制の原点があったようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより     2020/6/6

  給料が家に支 払われていた日本のシステム

 ・・・略

 江戸時代までの日本では、給料(俸禄)というのは家に支払われるものでした。
たとえばお城勤めで俸禄をもらう武士(これを無足といいます)の場合、給料はお米で支払われます。
支給されるお米の量は、お城に勤めに出る夫の役職等に応じて定まりますが、その支払はその夫自身に対してではなく、その者の家に 支払われました。

 たとえば必殺仕掛人シリーズに登場する中村主水(藤田まこと・役)は、30俵2人扶持で、100坪の拝領屋敷に住む同心です が、 その給料は中村家に支払われるものであって、中村主水に支払われるものではありません。
そして家では、妻の「りく」もいますが、家庭内の実権は、妻の母である「せん」が持っていますから、中村家における実質的な給料 の受取人は義母の「せん」であって、だから家庭内で「せん」は絶対的な存在となります。

 ドラマの中で中村主水は、妻にも義母にも頭があがりませんが、それは中村主水がムコ殿であったからというばかりではないので す。
そもそもの給与システムが、そのようになっていたのです。・・・以下略



  まさか、ねずさんが私も大好きな中村主水を話題にしてくれるとは。今も、ネットの合間に必殺シリーズを殆ど毎日見ています。尤も、細切れ編集なのでもの足りないものがあります。

  それにしても、日本人は凄いシステムを構築していたものです。金勘定の苦手な私にとってはこんな有難いものはなかった。金の勘定をしながら仕事なんてしたくもなかった。
  それにしても、その原点がこんなところにあったとは。日本人はとてつもなく頭が良いのかも。


★★財布の紐を握っている凄さ

2020年03月30日 | 日本の女性

  日本の女性の幸福度が世界一と、14日、第2096回の「★皇位継承問題」で、指摘してくれた竹内久美子さんの沖縄でのトークショーを、我那覇さんが「おおきなわ」で紹介してくれています。

  日本の女性が幸福であることを最初に取り上げてくれています。

  その中で、女性が財布の紐を握っていることがどれ程凄い事であるかを語ってくれています。リベラルは、この凄さが分からないのでしょうね。
  折角の素晴らしい立場を男女平等だのを振りかざして態々不幸な立場に落ちようとしているとしか思えません。

  外で、バカな男どもと働くより家庭で実権を握って子育てや家事をやってる方が余程面白いのじゃないでしょうか。

  やはり、良妻賢母で亭主を手のひらの上で操る方が余程幸せでしょう。

 

  日本女性が如何に恵まれた立場におかれているかをリベラルの人達に分かってものらいたいものです。

 日本は女性の天下!

★「日本を貶める反日謝罪男と捏造メディア」の正体

2020年03月15日 | 日本の女性

  ニセ慰安婦問題などでKoreaの闇を明るみに出してくれている大高未貴さんが、新しい本を出したようです。
  日本をChinaに売ってきた奴等を痛烈に叩きのめしてくれているようです。

  何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。宮崎さん独特の書評は相変わらず面白い。今回はソロスを取り上げてくれています。そのソロスと全く逆の愚かものとして、大高さんが取上げた丹羽宇一郎 に言及しています。大高さんは、残念ながら二階を書く暇はなかったようです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和弐年(2020)3月8日(日曜日) 通巻6391号 

  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

 中国に自らを貶めて胡麻をすり続ける莫迦な男たち
  ここまで書いていいんかい、もちろん、よござんす

 大高未貴『「日本を 貶める反日謝罪男と捏造メディア」の正体』(ワック)

 中国の大本営発表のコロナウィルス死者って「少なすぎない」か。もっと不思議なのは、武漢が閉鎖され、死者が鰻登りの 時期に「上海株」が上昇している???
 情報隠蔽、情報操作にかけては第一級のチャイナだから、不思議な数字がでても誰ひとり信用していないのに、習近平政権 は気にする風情がないようだ。
 ジョージ・ソロスと言えば、世界一の投資家という顔、その裏側は「反トランプ」の急先鋒、民主党贔屓のリベラル派、大 口献金者としても知られる。
ところが。こと中国問題となると、ジョージ・ソロスはトランプの中国政策を支持している。いや、それどころかトランプを 遙かに超える反・中国共産党のスタンスを取り、その親玉である習近平に悪罵を投げつけている。
つまりソロスは中国共産党をナチスか、ナチスより劣悪な全体主義と見ているのだ。
 2018年のダボス会議において、ソロスの中国共産党批判の速射砲が始まったのも、ウィグル弾圧、そのヒューマニズム を真っ逆さまにした人権無視の抑圧と差別、強制収容所における惨い拷問に加えての洗脳教育、まがまがしい中国のやり方に 怒りを爆発させて、中国批判を展開した。評者(宮崎)は、「えっ、ソロスは変節したの」と当時コラムに書いた記憶があ る。
 ソロスはハンガリー生まれのユダヤ人、ホロコーストの不安を逃れて英国へ渡り、証券会社のメッセンジャーボーイから身 を起こした。やがて投資のコツを覚え、独自の投資理論を開発して巨万の富を築きた。ソロスの思想の根幹にあるのはハイエ クの経済思想である。
ソロスの投資家としての名声を慕って世界の金持ち連中が、かれに投資資産を預けたのが「クォンタムファンド」。往時は年 率24%もの実績を上げて、ウォーレン・バフェットも真っ青になった。そのファンドの運営をしていたのがソロスの右腕 だったジム・ロジャーズである。
 ジョージ・ソロスは、直近でも中国共産党批判を展開し、EUが中国に甘い認識をいまだに抱くのは危険であるとし、とく にドイツなどが5Gネットワーク構築に中国のファーウェイを加えていることは基本的な間違い、むしろ「EUはエリクソン とノキアをファーウェイと対抗できる強力な企業となるように協力すべきだ」とした。
 「中国政府による宗教弾圧や香港での人権尊重が確立されていない現状について(欧米が)疑問を呈さなければ、習氏に政 治的な勝利を与えることになる」(括弧内の翻訳は日本経済新聞)。

 このソロスと比べると恥ずかしいほど愚かな日本人がいる。それもあろうことか、中国大使を務めたおっさん、丹羽宇一郎 (元伊藤忠会長)である。
 丹羽氏が大使の頃、評者もよく北京に通っていたが、大使館筋の大使への評判は最低に近かった。かれを任命したのは莫迦 の代表ともいえるオカダとかいうパンダハガーの政治家だった。何を間違えたかハトヤマ宇宙人が、オカダを外務大臣に副え た頃から、日本のチャイナ対応の狂態が本格化した。
 丹羽氏は日中友好協会会長という顔もあり、かれの書いた「『習近平の大問題』は、文化大革命を大絶賛した『毛沢東語 録』なみの『習近平語録』ではないか」と著者の大高未貴さんは強烈、痛烈なパンチを浴びせる。
以下、福田康夫らのパンダハガーにくわえて朝日新聞、毎日新聞、NHK、共同通信など、莫迦としか言いようのないメディ アや人物の発言、行動を追跡し、俎上に載せている。ここまで書いて大丈夫?
「中国にひれ伏すアンタら、ホンマに日本男子?」と問う快著である。
 この切れ味、爽快な批判。大和撫子にも女傑が増えた。

  その女傑が、沖縄のジャンヌダルク・我那覇さんの「おおきなわ」のゲストとしてこの本を引っさげて登場してくれています。


  いよいよ日本は女性の時代でしょうか。反日売国左翼・在日野党には質の悪い政治家が目立ちますが、与党には大高さんや我那覇さんにも負けない杉田水脈さんのような女傑が増えてきているように思います。きっと、彼女達が日本を背負って立つ時が来るのじゃないでしょうか。

期待しましょう!

★ほのあかりの美 粋が日本女性の美

2020年01月20日 | 日本の女性

  現在の日本人の劣化は目も当てられない状況に陥っていますが、その中でも日本の子育てや家事を一手に引き受け、亭主を手の平の上で転がしてきた凛とした女性の劣化が一番酷いと言えば顰蹙を買いそうです。
  とは言え、日本の凄さを支えてきたのは日本の女性の凄さだっただけに、もしかしたらGHQに狙われたのかもしれません。

  その昔の女性の素晴らしさを加瀬英明さんが詳しく書いてくれています。おかしな男女平等と言うレッテルにだまされて世界一素晴らしかった日本女性の劣化を放置してきたことが悔やまれます。日本はやはり女性次第でしょう。

  加瀬英明のコラムより     Date : 2020/01/15 (Wed)

  ほのあかりの美 粋が日本女性の美  

     私は昭和11年生まれだが、明治生まれの2人の女性をよく知っていた。

     父方の祖母のか津と、母方の祖母の鶴だ。2人はそれぞれ9人と、8人の子を産んで育てた。2人とも小柄で気丈だった。

     先の戦時中、私は外務省の少壮幹部だった父を東京に残して、母と長野県に疎開したが、空襲下で、か津が父の面倒をみた。

     戦争が敗戦に終わって、9月2日に東京湾に浮ぶ敵戦艦ミズーリ号艦上で、降伏調印式が行われた。父は全権団の随員として、甲板を踏んだ。敵将マッカーサーが傲然と立つ前で、重光葵全権が万涙を呑んで調印するわきに立っているのが、42歳だった父だ。

     父はその前の晩に、か津に降伏調印に随行することを告げた。か津は父を正座させると、「私はあなたを恥しい降伏の使節として、育てたつもりはありません。行かないで下さい」と、凛としていった。

     父はこの手続きを経ないと、日本が立ち行かなくなると、恂々(じゅんじゅん)と説明した。しかし、か津は承知しなかった。「わたしは許しません」といって立つと、隣室へ行って父のために翌朝の下着や、服を整えはじめた。衾(ふすま)ごしに泣きじゃくる声が、低く高く聞えた。

     私は10月に父の借家に戻った。か津は私を正座させると、「英明さん、この仇はかならず討って下さい。約束して下さい」といった。私はいまでも、この教えを大切にしている。

     鶴も焼け出されたので、戦後、鎌倉の私たちの家で暮した。鶴の父は薩摩兵を率いて、会津若松の攻城戦を指揮して、落城した時に自害した家老夫妻の娘を娶って、鶴が生まれた。会津若松城の別名の鶴ヶ城からとって、名づけられた。

     私はか津と鶴の洋装姿を、一度も見たことがない。もっとも、あのころは服といえば和服であって、洋服はまだ洋服と呼ばれていた。

     鶴はいつも毅然としていた。私がある時、時間を守らなかったところ、「時間も太陽や、人や草木と同じ生き物です。あなたの親しい友達です」と諭された。凛としているところが、美しかった。

     私は幼いころから、母が着物を着るのを手伝わされたことから、着付けの免許も持っている。私は多年、公益社団法人『全日本きものコンサルタント協会』の役員をつとめているが、着物は心で着るものだ。諸外国のようにただ衣が美しく、正しく着ているだけではならない。立ち居振る舞いが、何よりも問われる。

     私は空手道の有段者として武道に携わっているが、武道は心の道とされている。剣道、弓道、杖道、茶道、書道、華道、香道も、すべて内面の心のありかたが、基本となっている。日本だけにみられることだ。

     日本の心を一言でいえば、何だろうか。和の心である。
    和のために控え目であること、偽らないこと、周囲を思い遣ることが求められている。日本は美しい心の国であってきた。

     武道をはじめ、何ごとについても感情を露わにすることがあってはならなかった。和の心は自制心によって成り立ってきた。

     私が40代のころまでは、農村や漁村に皺だらけの老女がいた。

     白いほつれ髪とともに、皺の数だけひたむきに生きてきた美しさがあった。いまでは高齢の女性が増えたものの、このような美しい女性を見ることがない。

     日本女性の美しさを一口でいえば、粋(いき)であろう。粋は控え目であって、表に現われない心意気、心ばえ、気合がこもっている。

     というものの、粋は異性なしに成り立たないから、巧みに媚態を秘めながら、暗示して男心をくすぐる。苦労があるとしても、凛としているから感じさせない。

     ほのあかりの美というのだろうか。つい3、40年前までは、粋をはじめとして日常生活のなかに、気というリズムがあった。

     人生は誰にとっても、苦の連続だと考えられていた。苦楽といって、まず苦があった。今日では大多数の人々にとって、楽の連続でなければならない。。

     そのために、すぐに不満を露わにして、耐えることができなくなった。挫折しやすい。

     今日では屋内まで、LEDなどの剥き出しの照明によって陰影が消され、凹凸がなくなって、空間がつかみどころがない無性格なものとなっている。

     とくに、若い女性たちは口を開くと、美しい音楽を聴いた、よい景色を見て「癒されました」という。私は「え? どこか病いを患っているのですか」と、たずねることにしている。癒されるというのは、病んでいることを前提にしている。

     今日の女性は化粧が上手になったのと引き替えに、表情が険しい。外面を飾ることに熱中するあまり、内面を疎かにしている。

     だが、女性は男性の鏡の存在だ。男性が劣化したために、女性を道連れにしたにちがいない。

     いまでは「ブス」というと、容貌を指す言葉となっている。だが明治時代までは身のこなしかたが醜悪なことを、「不粋(ぶす)」といった。いつの間にブスが容貌についてのみ、いうようになったのだろうか。

     江戸時代から明治までは、派手なことが嫌われた。けばけばしい身装をした田舎者の女性を、「葉(は)出(で)」と書いて嘲笑した。余計な葉がはみだしていることを、意味していた。

     この30年ほどだろうか、羞(はじら)いや、ちょっとした女らしい仕草をみせたり、目もとがすずしい女性がいなくなった。

     もっとも、まだ日本には美しい女性がいる。11月に兵庫県に講演に招かれた時に、受け付けの20代のお嬢さんの物腰が、魅力に溢れていた。祖父が陸軍落下傘部隊の勇士だったということだった。

     日本の女性に、絶望することはない。

  日本の女性にはもう一度軟弱な男を再生させる為にも昔ながらの凛とした女性を取り戻して貰いたいものです。日本は女性が男を育て導くことで成り立ってきた国であることを思い出して下さい。日本は女性の双肩に掛かっているのです。
  男なんてちょっとおだててやれば必死で働くのです。そのことはあなたたちが一番知っているはずです。