団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

当用漢字は日本文化破壊工作の一環

2018年01月07日 | 素晴らしい日本語

  このサイトを曲がりなりにも続けてこられたのはPCだからです。これをもし自筆の文を書かなければならないとしたら一日で終わっていたでしょう。と言うのも、先ず漢字を書けない、語彙を思いつかないこともあって辞書を引くだけで疲労困憊することは間違いないでしょうから、どう考えても棒を折っていたでしょう。
  それでなくても無知でも書いているように知らないことが多すぎます。先人の教養の凄さには到底かないません。確かに、古文や漢文などが無くなって勉強は楽になりましたが、それだけ教養はなくなってしまったということです。楽をして失ったものが多すぎたのかも。

  そんな戦後教育にも、GHQの日本人を劣化させる企みがあったようです。何時もの、ねずさんが当用漢字にそんな企みがあったことを書いてくれています。


   大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り    2017年12月27日

  当用漢字は日本文化破壊工作の一環としてつくられたというお話

  …略

 「当用漢字」は、GHQの指導に基づき、昭和21年11月5日に国語審議会が答申し、同年11月16日に内閣が告示しました。
要するに戦後の占領政策の一環として誕生しました。
もともとは、日本占領時に、日本精神弱化のために日本の公用語を英語にしてしまおうという動きもあったのですが、日本には1億か らの人がいるし、日本人が英語が堪能になって逆に文化侵略をしてくるのも恐ろしい(笑)ということから、日本語そのものに手を加 えようとして実行されました。

 はじめに日本語の文章で使用頻度の高い1850字が「当用漢字表」に、「さしあたって用いる文字」として選ばれました。
そして実は、これによって日本人は國語文化の大切な部分を失いました。

 たとえばいくつか例をあげますと、わかりやすいのが礼儀作法の「礼」という字です。
「礼」は、もともとは「禮」と書きました。
字を見たらわかりますが、「禮」は「示(しめす)へん」に「豊(ゆた)か」です。
つまり、おじぎをしたり、お礼を言ったりする礼というのは、相手にわかるように、はっきりと豊かにそれを体の動きで示す、だから 「禮」だったわけです。
ところが、それが「礼」という字になると、いったいなんのことだかわからなくなる。

 学校の「学」に至っては、ものすごく重要な文化が失われました。

 もともと「学」は、「學」と書きました。
「へん」のところが複雑な書体になっていて、「X」が上下に二段並んでいますが、これは人の手で、両側にあるのが大人たちです。
つまり「學」という字は、複数の大人が、みんなでひとりの子を立派な人にするために「引っ張り上げる」という意味を持つ漢字で あったわけです。

 ところがこれが「学」になると、むしろ「子」が主体で、自力で学ぶことが「学」というように錯覚します。
要するに、教育者の側が子のレベルを引っ張り上げるというのが、もともとの「學」、子が自力で学ぶというのが、新字体の「学」で す。学ぶ主体が逆なのです。…中略

 実際、よく使われる「当用漢字」が幼年教育に採り入れられることによって、現実に我々日本人は、日本的な精神性の大切な部分を 失うに至ったということができます。
「禮」という字を子供に教えるのはむつかしいという人もいるようですが、子供というものは、むつかしい字であっても、意味がわか れば、それなりに吸収するものです。

 昭和30年代のことですが、ある子は幼稚園に市営バスで通園していました。
乗るバスは「西循環」という市内西部を循環するバスです。
いろいろな行き先のバスが次々とやってくる中、その子は、ちゃんと「西循環」という漢字を理解して、間違えずに毎日の幼稚園の行 き帰りにバスに乗っていました。
しかもその子は、自分の乗るバスの行き先の漢字を覚えて、ちゃんと紙に書くこともできたそうです。
大人がちゃんと「學(まな)ばせればできる」のです。

  戦前の漢字を見て、こんな難しいのはとてもじゃないが覚えられなかっただろうと、簡単になったことを喜んでいたのですが、それによって大事なものを失っていたんですね。
  子供の時に学ばせられていれば、私でもできたのかもしれません。やはり、勿体無いことをしたのじゃないでしょうか。
  
  それにしても、GHQの日本弱体化計画は凄まじいですね。余程、日本を研究したようです。それにまんまと乗せられて劣化させられた日本人のバカさ加減にも呆れます。やはり、教育再生でもう一度先人の教養を取り戻す必要があります。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿