団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★ヤマトタケルは、日本人の『人のために生きる』という崇高な精神の根源

2019年10月28日 | 誇れる日本

  バカな私はこの歳になるまで、ヤマトタケルの悲惨な人生が可愛そうで、あの一番楽しみにしていた小学校の授業として見に行った「日本誕生」をもう一度見たいとは思えませんでした。
  最後に亡くなって、白鳥となって飛んでいくシーンが忘れられません。何で、死ぬのかその理不尽さが納得行かなかったのだと思います。

  ところが、宮崎さんの何時もの書評でやっとその意味が分かりました。ネットのお陰でねずさんなどに教えてもらった公の精神が込められていたとは頭の悪い私には思い付きもしませんでした。  

 宮崎正弘の国際 ニュース・ 早読みより  令和元年(2019)10月22日(水曜日。祝日) 通算第6246号 

 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

 建国のときから日本は平和と安定をもとめてきた
  民のために祈り、こころを尊ぶ日本の伝統の原点をさぐる

  中村正和『天皇の祈りと道』(展転社)

 『古事記』に描かれた民族の浪漫、横溢する精神の世界とその価値観。
著者はヤマトタケルの物語に、日本人の『人のために生きる』という崇高な精神の根源を見出す。
日本人のこころの原点は、天皇の祈りと、我が国の道にあると説く。
 戦後教育によって久しく忘れられてきた共同体意識、我が道だけが良く他人は放置して顧みないというエゴイズムは本来、日本 人の生き方にはなかった。しかし農耕社会から近代工業国家に発展すれば、農業を基軸としてきた日本社会の在り方は根底が崩れ る。社会的価値観が棄損され、なにが伝統的に尊重されるべきことなのか、見分けの出来ない衆愚が増える。
 伝統的価値観の喪失は、近年のグローバリズムとかの怪しい思想によって、さらに凋落に拍車がかかり、原日本人的な生き方や 価値観、死生観は顧みられなくなった。
 著者の中村氏は、ニーチェを基調におきながら、三島由紀夫の思想と行動に迫り、哲学的見地から存在、生きることと死ぬこと の意味を考察していく。
 人のために生きるという意味は、戦いを避ける、争いごとを治めるということなのであり、ヤマトタケルの遠征に従った弟君の 橘比売は、海の怒りを静めるために自ら犠牲となって果てた。
 父の景行天皇は、息子の帰還に際して凱旋の栄誉も休息も与えず、すぐに東征へ向かえと命じられ、悲壮な決意のもと、ヤマト タケルは勇躍して旅に出る。
世の中の安寧と平定のために粉骨砕身、しかし帰路途中の伊吹山にて没した。
 著者は言う。
 「倭建命(ヤマトタケル)は国のために誠を尽くし、戦い続け、ついに国のために身を捨てたのである。その倭建命が、懐かし い故郷である大和の国を想い、謳った」
 ――大和は国のまほろば たたなづく青垣 やま籠もれる倭(やまと)しうるわし。
 この詩は「最後に謳った渾身の絶唱である」とする。

 昭和天皇は開戦三ヶ月前に謳われた。
 ――四方の海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ。
 だが英米の巨大な野望を前に日本の和平工作実らず、開戦のやむなきに至って、昭和天皇は詔書を発せられた。

 (前略)「東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立またまさに危殆に瀕せり。事既に此処にいたる。 帝国は、いまや自存自衛のため、蹶然起って、一切の障害を破砕するの他なきなり。皇祖高宗の神霊、上にあり。(後略)」

 大東亜戦争は、英米の野蛮を打ち砕き、その阿漕な植民地からアジア諸国を解放するための戦いでもあった。しかし敵の圧倒的 な物量と、謀略によって武運つたなく敗戦に至る。その過程については多くが語られた。英霊の鎮魂は道半ばである。
 終戦の詔書においてGHQは人間宣言を強要したが、当時の日本人は現人神も人間であることは十分い承知していた。
それより重要なことは、昭和天皇が、この詔の前文に、五箇条のご誓文をさらりと挿入されていることである。
近代国家の礎、その国家の基本方針が書かれた五箇条のご誓文こそが、その後押しつけられたヘイワケンポウとかの規律を超え て、日本人の規範であることは指摘するまでもない。

  やはり、日本は凄い。やっともう一度「日本誕生」を見てみたくなりました。今頃解っても遅いですね。


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